明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。
流行年月 | 曲名 | 歌手・アーティスト | ひとこと |
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1934.01. | 秋の祭 | 藤原義江 | |
1934.01. | 急げ幌馬車 | 松平晃 | 松平晃の代表曲といえばこれ。 |
1934.01. | 命かけて只一度 | 奥田良三 | 映画『会議は踊る』より。 |
1934.01. | 鹿児島小原節 | 新橋喜代三 | |
1934.01. | これぞマドロスの恋 | 奥田良三 | 映画『狂乱のモンテカルロ』より。 |
1934.01. | モンテカルロの一夜 | 奥田良三 | |
1934.01. | 別れの出船 | 丸山和歌子 | |
1934.02. | 赤城の子守唄 | 東海林太郎 | |
1934.02. | さくら音頭 | 徳山たまき、三島、小唄勝太郎 | |
1934.02. | そんなお方があったなら | 赤坂小梅 | 「ほんとにそうなら」に並ぶ代表曲。 |
1934.02. | 月形半平太の唄 | 東海林太郎 | |
1934.02. | 友よ鉾をとれ | 東海林太郎 | |
1934.03. | さくら音頭 | 〆香、新橋喜代三、東海林太郎 | コロムビア、ビクター、ポリドールがそれぞれ抱えている作曲家を使って作らせた競作合戦の1曲。結果はビクター盤がもっとも売れ、その次がポリドール、コロムビア盤 (柳橋歌丸、富勇唄) はプロモーションに相当お金をかけたにもかかわらずビクターの20%程度と惨敗に終わった。 |
1934.04. | 桜ばやし | 美ち奴、東海林太郎 | |
1934.04. | 上海リル | 歌川幸子 | |
1934.04. | 讃えよ青春 | 東海林太郎 | |
1934.04. | 七色の虹 | 真澄春夫 | |
1934.04. | 春の鴨緑江 | 真澄春夫 | |
1934.05. | 谷間のともしび | 東海林太郎 | |
1934.05. | 日満音頭 | 三島一声 | |
1934.06. | 裏町の歌姫 | 川島信子 | |
1934.06. | 恋の旅笠 | 結城浩 | |
1934.06. | さらば青春 | 藤山一郎 | |
1934.06. | 城ケ島夜曲 | 東海林太郎 | |
1934.07. | 明日はあの山 | 東海林太郎 | |
1934.07. | キャンプの夢 | 中野忠晴 | |
1934.07. | ダイナ | 中野忠晴とコロムビア・リズム・ボーイズ | 「ダイナ」といえばディック・ミネかエノケンというイメージがあるが、一番最初にカバーしたのは中野忠晴とコロムビア・リズム・ボーイズで、歌詞はディック・ミネ盤とは異なっている。この曲は他にも岸井明、林伊佐緒、リキー宮川などによってカバーされており、人気の高い曲だったことが伺える。 |
1934.08. | 川原鳩なら | 藤山一郎 | |
1934.08. | 地上の星座 | 井崎喜代子 | |
1934.08. | 利根の舟唄 | 松平晃 | 高橋掬太郎作詞、古関裕而作曲による、茨城県潮来のご当地ソング。 |
1934.08. | 並木の雨 | ミス・コロムビア | |
1934.09. | あなたのあたし | 松平晃、市川春代 | |
1934.09. | 利根の朝霧 | 小林千代子 | |
1934.09. | 山は夕焼け | 東海林太郎 | |
1934.09. | 若人の唄 | 中野忠晴 | |
1934.10. | 曠野を行く | 松平晃、豆千代 | 松平晃お得意の満州を舞台とした「大陸歌謡」で、豆千代とのデュエットでヒットした。翌年には、同じコンビで「夕日は落ちて」が大ヒットする。 |
1934.12. | 綾乃の子守唄 | 東海林太郎 | |
1934.12. | 女の友情の唄 | 松島詩子、山野美和子 | |
1934.12. | 黒い瞳 | ディック・ミネ | ディック・ミネは、当時ダンスホールでの演奏を活動の中心としていた。まだ電気マイクが普及していなかったため、演奏では口にメガホンを当てて歌いまくっていたという。 |
1934.12. | 国境の町 | 東海林太郎 | |
1934.12. | ダイナ | ディック・ミネ | 本名は三根徳一で、ギターとスティール・ギターを弾くミュージシャンだった。大男だったためあだ名が「デカ三根」で、レコーディングの合間に歌っていたのがこの曲で、エディー・カンターをはじめさまざまな歌手が歌っていたアメリカのジャズだった。創立間もないテイチクにとってはありがたいヒット曲になったが、当時の文芸部長は「そんなものやったって売れないよ」と否定的だった。しかしそこにいた作曲家、古賀政男が「あんたの好きなようにやりなさい」と言ってくれたおかげでお蔵入りにならずに済んだとか。レコーディングにはギターとボーカルで2本マイクが必要なのに、マイクがの数が少なかったので1本しか用意してくれず、「ギターのところにマイクを置いて、歌の時はかがみこんでマイクのところに口を持っていって歌うの。僕が吹き込みやっている時の格好見たら、吹き出しちゃうよ」と語っていた。当時、ディック・ミネは親のコネで入った逓信省の役人としても働いており、二足のわらじを履いていたのだった。後に、榎本健一 (エノケン) も「エノケンのダイナ」としてカバーしている。 |
1934.12. | 旅は鼻唄 | 東海林太郎 | |
1935.03. | 流線ぶし | 市丸 | 長年彼女の脇で三味線を弾いてきた静子は、市丸の実妹だ。二人で純邦楽の番組に出ることも多く、民謡、端唄、小唄、歌謡曲と幅広いジャンルを股にかけた市丸の片腕として活躍した。 |
1935.05. | むらさき小唄 | 東海林太郎 | 映画『雪之丞変化』主題歌。 |
1935.08. | お伝地獄の唄 | 新橋喜代三 | 作曲の大村能章は、山口県の防府市出身で、明治26 (1893) 年12月13日生まれ。海兵団軍楽隊に入ったのは、15歳の時だった。 |
1935.09. | >夕日は落ちて | 松平晃、豆千代 | 折しも満州国建国という大陸ブームに乗り、1934年の「曠野を行く」と同じ松平晃と豆千代のデュエットで歌ったら大ヒット。 |
1935.10. | ゆかりの唄 | ディック・ミネ | 日活映画『緑の地平線』挿入歌で、作曲は古賀政男。間奏の朗読は、日活俳優の星玲子で、翌年にヒットした「雨の夜船」とあわせて、台詞入り歌謡曲のはしりとなった。どちらも佐藤惣之助が作詞をしているという共通点がある。 |
1935.12. | 雨に咲く花 | 関種子 | 鈴木伝明、高田稔らが出演した新興キネマの映画『突破無電』(1935年10月公開) の主題歌「さらば鴎よ」(高田稔) のカップリングで発売されたシングル。 |
1935.12. | 旅芸人の唄 | 東海林太郎 | 作曲の大村能章はいろいろな戦争歌を作っているが、そのほとんどが「○○小唄」「○○ぶし」だった。「軍国小唄」「海軍ぶし」などで、いずれも伴奏に三味線が入っているのが特徴。 |