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 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

流行年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1938.01. 鴛鳶道中 上原敏、青葉笙子  
1938.03. 人の気も知らないで 小林千代子  
1938.04. 陣中ひげ比べ 東海林太郎  
1938.05. おぼろ月夜 ミス・コロムビア  
1938.05. 博多月夜 音丸  
1938.05. バンジョーで唄えば 中野忠晴  
1938.06. 雨のブルース 淡谷のり子  
1938.07. 荒鷲の歌 東京リーダー、タフェルフェライン  
1938.07. 上海の街角で 東海林太郎  
1938.07. ブルーハワイ 平井英子  
1938.11. 悲しき子守唄 ミス・コロムビア こちらも映画『愛染かつら』の主題歌。この曲と「旅の夜風」が彼女の全盛時代。
1938.11. 旅の夜風 霧島昇、ミス・コロムビア 映画『愛染かつら』の主題歌となり、二人にとって最大のヒット曲となった。
1938.12. 麦と兵隊 東海林太郎 火野葦平による小説『麦と兵隊』、『土と兵隊』、『花と兵隊』はすべて音楽化され、いずれも作曲は大村能章が担当している。
1939.01. 上海ブルース ディック・ミネ  
1939.01. 夢の浮島 青葉笙子  
1939.02. 俺は船乗り 上原敏  
1939.02. 国境の春 岡晴夫  
1939.02. 父よあなたは強かった 伊藤久男、二葉あき子、霧島昇、松原操  
1939.02. 兵隊さんよありがとう 松原操、飯田ふさ江  
1939.03. 一杯のコーヒーから 霧島昇、ミス・コロムビア この年に、霧島昇とミス・コロムビア (松原操) の二人は結婚した。
1939.03. 旅姿三人男 ディック・ミネ  
1939.04. チャイナ・タンゴ 中野忠晴  
1939.04. ほんとにほんとに御苦労ね 山中みゆき  
1939.05. 熱海ブルース 由利あけみ  
1939.05. 島の船唄 田端義夫 バタヤンのデビュー曲。家が貧しく、小学校に通ったのは3年半で、12歳からは名古屋や大阪で町工場やお菓子屋などで働いていた。彼の母親は流行歌が嫌いだったため、夜中に川の橋の下で歌の練習をしていたという。この曲は、当時人気歌手だった上原敏が歌う予定だったが、都合が悪くなったためバタヤンにまわってきたものだった。作詞は清水みのる、作曲は倉若晴生で、この二人は戦後にバタヤンが復活をとげる「かえり船」(1947年) で再びタッグを組むこととなる。
1939.05. 上海の花売娘 岡晴夫  
1939.07. 純情の丘 二葉あき子  
1939.08. 東京ブルース 淡谷のり子  
1939.10. 長崎物語 由利あけみ  
1939.11. 愛染草紙 霧島昇、ミス・コロムビア  
1939.11. 大利根月夜 田端義夫  
1939.11. 名月赤城山 東海林太郎 作曲の菊地博はピアニスト。服部良一は上京してきたときに彼の家に間借りしながらダンスホールに出演し、彼のバンド (菊地バンド) でサックスを吹いていた。昭和8年頃のことである。菊地は新宿に住んでおり、服部は家賃の代わりに彼に和声学を教えた。これがきっかけで、勉強仲間が自然と集まり、30人以上の勉強会になってしまった。これが後の「響友会」で、そこから灰田晴彦、原六朗、レイモンド服部などが巣立っていった。