Pocket

 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

流行年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1867. ええじゃないか メロディが今日まで伝わっておらず、どのような曲であったか不明といういわくつきの流行り唄。慶応3年8月中旬、尾張・三河・遠江の三国に伊勢神宮の御札が降ったと言う流言をきっかけに巻き起こった狂乱の嵐。三味線・太鼓・笛などで囃し立て、女装の男性や男装の女性などが踊り狂い、「ええじゃないか」は翌年の春まで続いたという。また、関西で「ええじゃないか ええじゃないか」を繰り返すテレビCMが流れていたことがあったが、これは新たに節を作り直したもの。ちなみに、GSバンドのモップスは「いいじゃないか いいじゃないか」という歌詞に乗せて阿波踊りとハードロックを融合させた「御意見無用」(1971年) を発表している。
1868. 野毛の山
(さいさい節、ノーエ節)
幕末から流行、横浜の野毛山にできた異人館の風俗を唄にしたもの。大正6-7年頃まで、歌詞を替えて何度も流行した。
1868. 宮さん宮さん
(トンヤレ節)
1868年3月、徳川幕府討伐の軍勢が錦の御旗を立てて進撃する際に道々で歌っていたものとされている。明治の新しい流行歌の第1号とも、近代軍歌の第1号ともいわれているが、本当に行進しながら歌っていたかは不明。なぜなら、当時の日本の兵隊は西洋の兵隊のような音楽に合わせて規則正しく歩く訓練を受けていなかったと考えられているからだ。作詞は討伐軍の長州藩士・品川弥二郎、作曲は同じく大村益次郎と伝えられているが、贔屓の芸者に教えてもらったなど諸説あり、はっきりしない。果ては、イギリスからの逆輸入ではないかという説もある。というのも、アーサー・サリバンのオペレッタ『ミカド』 (1885年) にこの曲が登場するからだ。簡単に整理しておくと、作曲が大村益次郎である確固たる証拠は発見されていない。誰が作曲をしたかについては、 (1) 大村益次郎、 (2) 品川弥二郎と懇意にしていた祇園の芸者・君夫、 (3) 弥二郎が宿泊していた京都の田中文求堂の田中ふきが三味線で節をつけた、 (4) 江戸時代に流行した猥雑唄「トンヤレ節」の歌詞を変えたもの、などがある。
1869. 大津絵節 江戸は元禄の頃、近江 (現在の滋賀県) 大津に住んでいた浮世絵師又平が土産を売るために描いた絵が「大津絵」とされる。江戸時代だけでなく、明治時代になっても愛唱されており、現在では端唄の代表曲となっている。
1869. ギッチョンチョン 文政〜天保年間 (1818〜1843年) 辺りに流行した「ビヤボン節」が変化したもので、囃子詞が「ギッチョンチョン」になったものだといわれている。明治2年頃に流行した。ちなみに、東京節 (パイノパイノパイ) にも「ギッチョンチョン」というはやし言葉が登場する。「ところがどっこい」と同義語で、逆説を表す意味で「ところがギッチョン」という言葉も昔は使われていた。さすがに最近は聞くことがなかったが、テレビアニメ『機動戦士ガンダム00』(2007年)で悪役アリー・アル・サーシェスがこのフレーズを使っているのを見て、アニメの世界では効果的に使われていることを感じたのだった (笑)。
1869. 猫じゃ猫じゃ 幕末から明治初年にかけて流行し、座敷唄としてよく唄われた。
1870. よさこい節 高知県高知市に残るお座敷唄。もとは鹿児島県で8月の夜、相手を思う「恋唄」として唄われていたもので、「よさこい」とは「夜さ来い」という意味がある。これが高知県に伝播すると、1855年の竹林寺での僧・純信と上女中・お馬とのスキャンダルで「坊さんかんざい買う-」という歌詞で有名になった。
1871. ざんぎり頭 「ざんぎり頭を叩いてみれば 文明開化の音がする」で有名な曲。
1872. 流行節
(チョックラチョイト節、チョイト節、紫節)
「さのさ節」の変調。「チョックラチョイト節」という別名は、囃子詞から来ている。

<Years Navi>
【明治時代】
1868-1872 (明治01-05) 年 1873-1877 (明治06-10) 年
1878-1882 (明治11-15) 年 1883-1887 (明治16-20) 年
1888-1892 (明治21-25) 年 1893-1897 (明治26-30) 年
1898-1902 (明治31-35) 年 1903-1907 (明治36-40) 年
1908-1911 (明治41-44) 年
【大正時代】
1912-1916 (大正01-05) 年 1917-1921 (大正06-10) 年
1922-1925 (大正11-14) 年
【昭和時代】
1926-1927 (昭和01-02) 年 1928-1929 (昭和03-04) 年
1930-1931 (昭和05-06) 年 1932-1933 (昭和07-08) 年
1934-1935 (昭和09-10) 年 1936-1937 (昭和11-12) 年
1938-1939 (昭和13-14) 年 1940 (昭和15) 年
1941 (昭和16) 年 1942 (昭和17) 年 1943 (昭和18) 年
1944 (昭和19) 年 1945 (昭和20) 年 1946 (昭和21) 年
1947 (昭和22) 年 1948 (昭和23) 年 1949 (昭和24) 年
1950 (昭和25) 年 1951 (昭和26) 年 1952 (昭和27) 年
1953 (昭和28) 年 1954 (昭和29) 年 1955 (昭和30) 年
1956 (昭和31) 年 1957 (昭和32) 年 1958 (昭和33) 年
1959 (昭和34) 年 1960 (昭和35) 年 1961 (昭和36) 年
1962 (昭和37) 年 1963 (昭和38) 年 1964 (昭和39) 年
1965 (昭和40) 年 1966 (昭和41) 年 1967 (昭和42) 年
1968 (昭和43) 年 1969 (昭和44) 年 1970 (昭和45) 年
1971 (昭和46) 年 1972 (昭和47) 年 1973 (昭和48) 年
1974 (昭和49) 年 1975 (昭和50) 年 1976 (昭和51) 年
1977 (昭和52) 年 1978 (昭和53) 年 1979 (昭和54) 年
1980 (昭和55) 年 1981 (昭和56) 年 1982 (昭和57) 年
1983 (昭和58) 年 1984 (昭和59) 年 1985 (昭和60) 年
1986 (昭和61) 年 1987 (昭和62) 年 1988 (昭和63) 年
【平成時代】
1989 (平成01) 年 1990 (平成02) 年 1991 (平成03) 年
1992 (平成04) 年 1993 (平成05) 年 1994 (平成06) 年
1995 (平成07) 年 1996 (平成08) 年 1997 (平成09) 年
1998 (平成10) 年 1999 (平成11) 年 2000 (平成12) 年
2001 (平成13) 年 2002 (平成14) 年 2003 (平成15) 年
2004 (平成16) 年 2005 (平成17) 年 2006 (平成18) 年
2007 (平成19) 年 2008 (平成20) 年 2009 (平成21) 年
2010 (平成22) 年 │ 2011 (平成23) 年 │ 2012 (平成24) 年 │
2013 (平成25) 年 │ 2014 (平成26) 年 │ 2015 (平成27) 年 │
2016 (平成28) 年 │ 2017 (平成29) 年 │ 2018 (平成30) 年 │
【令和時代】
2019 (令和01) 年 │ 2020 (令和02) 年 │