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 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

流行年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1986 マイナーコードに Heartbreak Sally Sally 初のバラードヒット。
1986.01. 悲しいな 杉浦 幸 フジテレビ系TVドラマ『ヤヌスの鏡』のヒロインとして活躍していた、彼女のデビューシングル。ちょっぴり下ぶくれで、ふてくされたような容姿がデビュー当時の中森明菜に似ていた。
1986.01. 歌謡曲 とんねるず 作曲を担当した見岳章は、後年美空ひばりの「川の流れのように」を作ることになる。
1986.01. キャンドルの瞳 吉川晃司 7枚目のシングルは、「キャンディ」「てぃんーずぶるーす」のヒットで知られる原田真二が作曲した。B面の「奪われたWink」は、岡村靖幸の提供曲。
1986.01. くちびる Network 岡田有希子 これからというところで……。合掌。カネボウ化粧品「レディ80BIO カラーネットワーク」と「86年春のバザール」のCMソングだった。
1986.01. 今夜は Angel 椎名 恵 フジテレビ系テレビドラマ『ヤヌスの鏡』主題歌。
1986.01. 蜃気楼 高橋真梨子 夜の9時には寝てしまうそうで、夜の歌番組には出演したくないのだそうだ (笑) 。
1986.01. 冬のオペラグラス 新田恵利 1968年3月17日の埼玉県生まれで、おニャン子クラブの4人目の卒業生。この曲はソロ第1弾シングル。フジテレビ系アニメ「愛の若草物語」の主題歌を歌っていたこともある。
1986.01. My Revolution(マイ・レボリューション) 渡辺美里 彼女の出世作は、TBS系TVドラマ『セーラー服通り』の主題歌で、小室哲哉が作曲している。当時小室はTM Networkで活動していたが、彼らの代表作となる「Self Control」や「Get Wild」は翌年のヒットとなるので、彼にとってはプロデューサーへの道へ踏み出す大きな一歩となった。
1986.01. Rainy Blue(レイニー ブルー) 徳永英明 1985年8月に第2回マリンブルー音楽祭でグランプリを受賞、BOWWOWやC-C-Bの仕掛け人だった上野義美のアマチュアロックミュージカル「はらじゅくグラフィティ」に準主役で出演し知名度を上げた。「Rainy Blue」は軽井沢で知り合った大木誠と一緒に制作した楽曲(大木は作詞、作曲は徳永自身)で、徳永英明のデビューシングルになった名バラードだ。後に島谷ひとみやリタ・クーリッジなど様々なアーティストがカバーしている。
1986.02. 1986年のマリリン 本田美奈子 お色気路線へ変更してヒット。流し目も鏡を見ながら練習したという。踊りも、腰が切れまくっていた。イントロは、グレン・フライの「ユー・ビロング・トゥ・ザ・シティ」。
1986.02. 1ダースの言い訳 稲垣潤一 アルバム『Realistic』以降、バックバンドはTopicsが担当している。この曲が収録された『Mind Note』は、企画段階では打ち込みやガレージっぽいサウンドにしようとかいろいろな案があったものの、最終的にはタイトル (心の調べ) の通り、心から出てきたものを素直に音にしたという。
1986.02. 色・ホワイトブレンド 中山美穂 作曲は竹内まりや。この曲は彼女の娘が小さかったこともあって、起きないように洗面室で作っていた。ある日、夫の山下達郎に見つかって「キミ、そんなところでなにやってるの!?」と言われた (笑)。
1986.02. Oh!! Popstar チェッカーズ
1986.02. ガラス越しに消えた夏 鈴木雅之 「ハングリアン民族」がキャッチフレーズだった、日清食品「カップヌードル」CMソング (笑)。作曲は大沢誉志幸で、鈴木雅之初のソロ・シングル。
1986.02. じゃあね おニャン子クラブ おニャン子クラブの代表曲は「セーラー服を〜」となっているが、セールス的にはこの「じゃあね」が一番だった。メインボーカルは会員番号5番の中島美春(なかじ)で、実質ソロシングルの様相を呈していた。CX系バラエティ番組『夕やけニャンニャン』テーマソング。1986年の時代背景が使われたドラマ(『あまちゃん』)や特撮番組(『仮面ライダーキバ』の過去編)などでもBGMとして用いられている。作曲したのは中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」を作曲した高橋研だ。
1986.02. スシ食いねエ! シブがき隊 「キワモノアイドル」としての寿命をさらに延ばすことに成功したこの曲は、NHK「みんなのうた」で使われていた。さらに調子に乗って、英語で歌う「オー・スシ」というシングル・カセットをリリースしていた (笑)。
1986.02. Desire〜情熱〜 中森明菜 おかっぱ頭に和風テイストの服で、ファンをかなり驚かせた。この時期が一番声が出ていたし、曲にも恵まれていたと思う。「Tango Noir」辺りになるとかなり音域が狭まっていたような感じる。レコード会社の人が、「彼女、ボイトレしないんだよね」といっていた意味がよくわかった (笑)。
1986.02. 時の流れに身をまかせ テレサ・テン(鄧麗君) 「つぐない」(1984年)、「愛人」(1985年) の次に出たシングル。この3曲は日本でも人気が高く、カバー曲も数多い。
1986.02. バレンタイン・キッス 国生さゆり おニャン子クラブ会員番号8番で、この曲はおニャン子クラブからのソロデビューシングルとして発売された。バックコーラスは、白石麻子と渡辺美奈代(2人ともおニャン子クラブ)、フジテレビ系『月曜ドラマランド』エンディング・テーマに起用されヒットした。この曲は国生さゆりにとって最もよく知られたヒット曲となった。
1986.02. モーニングムーン チャゲ&飛鳥 ここからチャゲアスの復活劇が始まる。
1986.02. 雪國 吉 幾三 「俺は田舎のプレスリー」「俺ら東京さ行ぐだ」などコミック・ソングの歌い手として認識されていたが、この曲のヒットで本格的な演歌歌手の仲間入りを果たした。そして珍しかったのは、演歌の世界では作詞・作曲が歌手とは別に居るのが普通だったのに、作詞・作曲を吉幾三本人が担当していたことだ(以前のコミックソングも自作)。ちなみに、後に「演歌メタル」がカバーしたが、あまり話題にはならなかった (笑)。
1986.03. 青いスタスィオン 河合その子 3枚目のシングルで、森永製菓「HI-SOFT」のCMソングに起用された。デビューシングルからこの辺りまでが彼女の全盛期といえる。
1986.03. 命くれない 瀬川瑛子 40枚目のシングルで、瀬川瑛子唯一の大ヒット曲。録音の際には、作詞の吉岡治と作曲の北原じゅんの意見が衝突し、まとめるのが大変だったとか。
1986.03. 悲しみよこんにちは 斎藤由貴 TVアニメ『めぞん一刻』の主題歌。作曲は玉置浩二。B面の「お引越し・忘れもの」は作曲が亀井登志夫、編曲は武部聡志で、イントロはアルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」が元ネタである。
1986.03. 悲しみモニュメント 南野陽子 フジテレビ系ドラマ『スケバン刑事Ⅱ〜少女鉄仮面伝説』の主題歌。「おまんら、許さんぜよ!」、と思ったのは観ていたこっちの方だった (笑)。
1986.03. 季節はずれの恋 吉沢秋絵 1968年、東京生まれで本名は吉沢章江。85年に「夕やけニャンニャン」の会員No.25で登場、TVドラマ「スケバン刑事」に出演。この曲はセカンドシングルで、オリコンチャートNo.1を獲得。
1986.03. デカメロン伝説 少年隊 ワカチコン! この言葉は、ギターのワウの音を口で表現したとうことらしいが、スペクトラムのデビューシングル「トマト・イッパツ」の歌詞「ワッチコン」に由来するともいわれている (笑)。2枚目のシングルの初回限定盤は、クリアーディスク仕様(やや白がかった透明色)。デカメロンとは、デッカいメロンではなくてジョヴァンニ・ボッカッチョの創作詩「デカメロン(十日物語)」が元ネタとなっている。でも、普通はデッカいメロンを想像しちゃうよね (笑)。
1986.03. はぐれそうな天使 岡村孝子 後に、作曲をした来生たかおもセルフカバー。ホンダ・トゥデイのCMソング。
1986.04. あゝ無情(ああ無情) アン・ルイス フジテレビ系お笑いバラエティ『ワンナイR&R』内で、コントのネタにも使われていた。2003年7月16日放送の「ウォーターボーイズ〜水商売の青春〜」で、ぐっさん演じるホストの富井が、小池栄子の歌う「あゝ無情」に茶々を入れるシーンがあった。「きれいでしょ」(全然!)「ヒラヒラと」(全然!)「いい女でしょ」(自分で言うな!)「見かけよりは尽くすタイプね」(尽くして尽くして捨てられて〜)……といった具合で爆笑ものだった。
1986.04. I’ll Be Back Again……いつかは ビートたけし&松方弘樹 NTV系バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』イメージソング。
1986.04. あした晴れるか/もう少し遠く 来生たかお デビュー10周年を記念して、FM東京ホールで11日間連続のコンサートを行った。しかも、これまでリリースした11枚のアルバムを日替わりで全曲演奏するという暴挙に出た (笑)。
1986.04. おっと Chikan! おニャン子クラブ 現在では放送などで使うのが困難になっている曲のひとつ。その理由は、歌詞が自分(女性)がストレス発散のために満員電車の中で痴漢犯罪をでっち上げようというトンデモない内容だったからだ。当時は痴漢が軽犯罪だったことと、後にえん罪が多発し社会問題になったことも大きい。作詞は当然ながら秋元康、彼が作詞した「ゴーストブスターズ」(ブスを退治する)に負けぬとも劣らない黒歴史といえるだろう。メインボーカルは内海和子、城之内早苗、永田ルリ子、福永恵規、横田睦美。
1986.04. 恋のロープをほどかないで 新田恵利 2枚目のシングルで、こちらもヒットした。
1986.04. シーズン・イン・ザ・サン チューブ キリンビールのCMソング。作曲者・織田哲郎の名を全国に知らしめた一曲。
1986.04. Ban Ban Ban Kuwata Band サザンとは別に、桑田佳祐が結成したバンド。Kuwata Bandの活動で、サザンの方は「みんなのうた」 (1988.06.) まで一時休業。資生堂’86サマープロモーション・ソング。
1986.04. 100%男女交際 小泉今日子 「なんてったってアイドル」の次にリリースされた18枚目のシングル。当初は「明るい男女交際」というタイトルだったが、発売が延期されたときにタイトルも変更された。
1986.05. 新しいラプソディ 井上陽水 ある雑誌に、「まだ30秒しか曲ができてなくて、とにかく3分にするため努力中です。たいへん申し訳ありません」と書いてあった。おそらくこの曲のことだと思う (笑)。1996年には、ビールのCMにも使われた。カップリングの「ダメなメロン」は、アルバム『Golden Bad』に収録されている (笑)。「サントリー角瓶」イメージソングで、2007年にはANAのCMソングとしても使われた。
1986.05. ラズベリー・ドリーム (Raspberry Dream) レベッカ 西村知美が出演していた、アミノ酸を使ったライオンの洗顔料「PAGE ONE」CMソングだった。
1986.04. 蝋人形の館 聖飢魔Ⅱ 「お前も蝋人形にしてやろうかー!」で有名な代表曲。ファンはデーモン閣下のようなメイクをして会場に乗り込むのが常だったが、さすがに化粧を落とさずに電車に乗ってきた女性客を見た時には驚いた (笑)。
1986.05. 君は1000% 1986 Omega Tribe(1986オメガトライブ) 杉山清貴がソロになり、残ったメンバーはヴォーカルにカルロス・トシキを迎えて1986オメガトライブとして再始動。TVドラマ『新・熱中時代宣言』主題歌(主演は榊原郁恵)。
1986.05. クローズ・アップ 中山美穂 作曲には元チューリップの財津和夫を起用し、作詞は松本隆が担当している。
1986.05. さよならのオーシャン 杉山清貴 オメガトライブ解散後、初のソロシングル。自らのレーベル「emberk」を設立した。
1986.05. ジプシークイーン 中森明菜 「Desire」の後を受けて、こちらもヒットしたが音域が狭くいまいちメロディの抑揚に欠けていた。「SAND BEIGE -砂漠へ-」 (1985年) の雰囲気を残している曲。
1986.05. Sosotte 本田美奈子 「マリリン」に続くお色気路線第2弾。サウンドは情熱のラテン系で、振り付けも、地べたにしなを作って座り込むなどますます過激になっていった (笑)。
1986.05. 夏色片想い 菊池桃子 TBS系水曜ドラマスペシャル『放浪』(さすらい)主題歌、日立ビデオ「マスタックスHiFi」のCMイメージソング。マスタックスHiFiのCMには本人が出演し、「桃子、うさぎの耳に、なりたい……な」と言いながら両手を頭の上に持ってくる仕草と台詞が話題となった。
1986.05. やぶさかでない とんねるず TBSドラマ『お坊っチャマにはわかるまい!』主題歌。ビクター音楽産業からキャニオン・レコードに移籍してからリリースした最初のシングル。
1986.06. あじさい橋 城之内早苗 おニャン子クラブの会員番号17番だった城之内早苗のソロデビューシングル。幼い頃から民謡と三味線を習っていたこともあって、アイドルグループに所属していながら演歌歌手としてソロデビューする異色っぷりで大いに話題となり、ヒットした。おニャン子クラブ解散後も演歌歌手の活動を継続し、俳優やラジオのDJなどを継続し、地道に活動を続けている。
1986.06. あたいの夏休み 中島みゆき アルバム『miss M』が発売されたとき、改めて私はミス (独身) です、ということを強調しているのですか、という質問に、アルバムが「『はじめまして』『御色なおし』ときてるから、なんかお見合いしてお色直しに行ったと思ったら……『婚約破棄』!」ということだったらしい (笑)。さらに、「『M』はマゾだったりして」とだめ押しを付け加えていた (笑)。
1986.06. シンデレラたちへの伝言 高井麻巳子 彼女はおニャン子クラブ会員ナンバー16番。福井県の小浜で、家は一風変わった感じの洋館だったという。1階が自転車屋さんだった。6歳違いのお姉さんは、Dee-Deeというグループで夜のヒットスタジオに出演したという。
1986.06. Song for U.S.A. チェッカーズ 彼らのバラード曲でもっとも知名度が高い。英語のネイティブ・スピーカーによると、曲名は「Song for “the” U.S.A.」と、「U.S.A.」の前に「the」を入れるのが正しいという。theが使われるのは国名とか固有名詞だからではなくて、普通名詞の「states」があるからだという (the states which are unitedという意味で使われる )。日本の英語教育ではこういうことは全然教えないので、悪いのは作詞をした売野雅勇氏ではなくて、日本の英語教育ということになる (笑)。英単語はよく目にするけど、英語自体をよく理解していない私たちにとっては勉強になるね。でも、「ウィー・アー・ザ・ワールド」(1985年) を歌っていた「USA・フォー・アフリカ」には「the」がついていなかったなぁ……とふと思ったりして (笑)。
1986.07. 天城越え 石川さゆり 石川さゆり、1980年代最大のヒット曲。「津軽海峡冬景色」と同様、サビの「あまぎぃ〜」の鼻から抜けるような裏声が気持ちいい (笑)。彼女は24〜5歳の時、出産のため一時期休養していた。この曲はカムバックしてから1年後に出たシングルで、当時カラオケで歌いやすい演歌が多かったため、彼女にしか歌えない高い技術が必要な曲をわざと作ったのだという。
1986.07. お先に失礼 おニャン子クラブ 東宝映画『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!』テーマソング、1986年フジテレビ夏キャンペーンソングに起用された。この映画は時間がない中、コンサートとドキュメントを中心に構成されたもので、おニャン子ブームでヒットが期待されたものの惨敗に終わっている。しかもとんねるず主演の『そろばんずく』と同時上映だったにもかかわらず、だ。このシングルからは「セーラー服〜」時代にメインボーカルを担当していた人たちが抜け、岩井由紀子、富川春美、布川智子、渡辺満里奈といった次世代が歌っている。
1986.07. 風のマドリガル 南野陽子 フジテレビ系テレビドラマ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』の主題歌に起用され、ヒットした。
1986.07. Jingi・愛してもらいます 中山美穂 映画『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』主題歌。
1986.07. スキップ・ビート (Skipped Beat) Kuwata Band 要するに、サビで「スッケベー、スッケベー」と言いたかっただけなのね (笑)。
1986.07. Sweat&Tears The Alfee
1986.07. ダイヤモンド・アイズ 少年隊 3枚目のシングル。「仮面舞踏会」と「デカメロン伝説」の作曲は筒美京平だったが、このシングルは長沢ヒロが作曲している。彼はあんぜんバンドで活動しており、明石家さんま&島田紳助の「い・け・な・いお化粧マジック」やおニャン子クラブの「おっとCHIKAN!」などを作っている。他にもマンナンライフの「蒟蒻畑」、東洋水産「マルちゃん赤いきつねと緑のたぬき」のCMソングなどでも知られている。
1986.07. ビー・バップ・パラダイス ビー・バップ少年少女合唱団
1986.07. Merry X’mas In Summer Kuwata Band アルバムは全曲英語詞の『Nippon No Rock Band』をリリース、評論家やファンの間で賛否両論を巻き起こした。
1986.07. プルシアンブルーの肖像 安全地帯 映画『プルシアンブルーの肖像』の主題歌。玉置浩二も、用務員役で主演 (笑)。チェッカーズの映画「Song for U.S.A.」と同時上映だった。
1986.07. 夜明けのMew 小泉今日子 第37回NHK紅白歌合戦で歌った曲。彼女が歌う曲は、ブレス (息継ぎ) の音がよく聞こえる (逆に言えば、ブレスがうまくない、ということ)。これは、91年のヒット曲「あなたに会えてよかった」でもよく聴こえる。
1986.08. Super Chance 1986 Omega Tribe(1986オメガトライブ) フジカラーCMソング。
1986.08. Cha-Cha-Cha 石井明美 フィンツィ・コンティーニのカバー。この曲で味をしめたのか、以降「ランバダ」や「オリーブの首飾り」に日本語の歌詞をのせた曲をリリースしている。当時彼女は、テレビ番組で「もう『Cha-Cha-Cha』は歌わない」と失言したこともある (笑)。TVドラマ『男女7人夏物語』主題歌。
1986.08. ツイてるね ノッてるね 中山美穂 資生堂 ’86秋のCMソング。スキンケア感覚のパウダリーですな (笑)。
1986.08. なんて素敵にジャパネスク 富田靖子 日本テレビ系ドラマ『なんて素敵にジャパネスク』(1986年12月27日放送のドラマスペシャル)主題歌。平安時代の宮廷貴族社会を舞台にした氷室冴子の小説が原作で、このドラマでは富田靖子自身が主演している。B面の「ときめきアンコール」は作詞・作曲がつのだひろ、明治製菓「プチクレープ」CMイメージソングに起用された。
1986.08. 寝た子も起きる子守唄 とんねるず 秋元康、後藤次利といったいつもの作家陣ではないきたやまおさむ(作詞)、林哲司(作曲)を迎えた珍しい曲。パロディやギャグの要素がない真面目な曲だったのがやや新鮮な印象を与えた。映画『そろばんずく』(1986年)主題歌。肝心の映画は併映作品としておニャン子クラブ主演『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!』を持ってきたものの、興行的には失敗に終わった。理由は色々といわれているが、楽屋オチで暴走しないよう監督がアドリブを禁止していたため、グルーブがない上にどこで笑ったらいいか分からないような作品に仕上がってしまったというのが大方の意見のようだ。
1986.08. 不自然な君が好き C-C-B 作曲は、メンバーの関口誠人。デジタルっぽいゲートリバーブのドラム・サウンドが懐かしい。
1986.08. モノクローム・ヴィーナス 池田 聡 彼の代表曲は、スズキ・アルトのCMソング。打ち込みの音が懐かしい。この曲が収録されたアルバム「missing」のジャケットは、小林麻美が撮影した。
1986.09. Say Yes! 菊池桃子 9枚目のシングルで、作詞は売野雅勇が初めて担当した。菊池桃子は、雑誌「Momoco」のイメージガールでもあった。
1986.09. 夏の終わりのハーモニー 井上陽水 井上陽水と安全地帯とのデュエットで、『スターダスト・ランデヴー井上陽水・安全地帯LIVE AT 神宮』(1986年8月31日)にて初めて披露された。作詞は井上陽水、作曲は玉置浩二。
1986.09. B.Blue BO WY メンバーは氷室京介、布袋寅泰、松井恒松、高橋まこと。氷室のヴォーカルは西城秀樹+矢沢永吉。「わがままジュリエット」がヒット中、氷室は引っ越しをした。というのも、留守番をすることが増えた愛犬が寂しくないように、光のたくさんはいる部屋に移りたかったとのこと (笑)。
1986.09. 見返り美人 中島みゆき アルバム「36.5℃」のプロデュースをしたのは甲斐よしひろだった。中島みゆき通に言わせると、このあたりが作品的にはどん底にあったそうな (中島みゆきにくわしいという、F氏談) 。
1986.09. 無錫旅情 尾形大作 上海など、中国の地名が出てくるヒット曲。九州男児で、眉毛も濃いが血も濃いという特異なキャラクターがウケたのだろうか (?) 1986年に中国の江蘇省無錫市は日本から観光客を誘致しようと、日本の観光業界の援助により作詞家・作曲家を無錫に招待した。このとき、作曲家の中山大三郎も無錫を訪れており、帰国後にこのときの様子を書いたのがこの「無錫旅情」だ。中国語でもカバーされ、アジア地域ではかなり有名な曲となった。しかし、尾形大作は事務所からの独立トラブルによって仕事を干されたため、地元の福岡県に戻って地元企業のCMソングを歌ったり、Vシネマに出演したりとローカルタレントとしての地位を確立した。
1986.10. 接近 (アプローチ) 南野陽子 「アプローチ」と読む。初回プレス分には、4種類×3枚=12枚のシール (2×2.8cm) がついていた。
1986.10. 愛しき日々 堀内孝雄 この曲が、ベーヤンのターニング・ポイントとなった。作詞は小椋佳で、1986年末に放映された日本テレビ系時代劇スペシャル「白虎隊」の主題歌。小椋佳の歌詞は、ほのかに気品がある。
1986.10. ヴィーナス 長山洋子 オランダのバンド、ショッキング・ブルーが1970年に世界で大ヒットさせたシングル「ヴィーナス」は、1986年にバナナラマがダンサブルなアレンジでカバーすることで再び大ヒットした。このバナナラマバージョンを日本語でカバーしたのが長山洋子のシングルで、当時はバリバリのアイドル歌手だった。編曲は、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の音楽を担当したことで有名な鷺巣詩郎。長山洋子はこの曲のヒット以降、低迷が続いたが、演歌歌手へ転向して見事「返り咲き」に成功した。
1986.10. 深呼吸して 渡辺満里奈 おニャン子クラブからのソロデビュー作品。彼女がTV番組『夕やけニャンニャン』のオーディションに合格したのは1986年3月27日。
1986.10. 時空 (とき) の旅人 竹内まりや ファミコンのゲームでも出てましたね (笑)。
1986.10. Nana チェッカーズ 歌詞が猥褻だということでNHKから放送禁止をくらってしまったという、メンバーオリジナルの問題作。しかし、この年の紅白歌合戦には堂々と出場 (曲は違うけど) 。以後、アイドルから徐々にアーティスト路線へシフトしていく。
1986.10. 六本木純情派 荻野目洋子 「ダンシング・ヒーロー」に次ぐヒットとなった。この曲のカップリング、「ロマンティック・オデッセイ」は、イマジニアから発売されたファミコンソフト「銀河伝承」のイメージソングだった。
1986.10. ロンリー・バタフライ (Lonely Butterfly) レベッカ 6枚目のシングル。レベッカが商業的に成功したことで、女性をメインボーカルに据えたアマチュアバンドが急増した。
1986.11. ABC 少年隊 7枚目のシングル。足でマイクスタンドを蹴るパフォーマンスで有名となった。
1986.11. Christmas Eve (クリスマス・イブ)/White Christmas (ホワイト・クリスマス) 山下達郎 CDシングルは、色違いのものが何種類か出ている。言わずとしれた大ヒット曲だが、JRのCMで使われるまではそれほど有名でもなかった。間奏に出てくるのは、パッヘルベルのカノンで、またエンディングでのコーラスはアソシエンション風にしている。コレは、当時流行していたオフコースに対抗するためだったという (笑)。カップリングはビング・クロスビーのカバー。ワム!の「ラスト・クリスマス」が出るまでは、世界中のクリスマスソングの定番だった。
1986.11. 恋はくえすちょん おニャン子クラブ フジテレビ系アニメ『あんみつ姫』主題歌でメインボーカルは生稲晃子、岩井由紀子、白石麻子、永田ルリ子。作曲は後に美空ひばり「川の流れのように」を作曲する見岳章。
1986.11. 木枯しに抱かれて 小泉今日子 本人は、「歌い手として初めて認められた曲」ではないかと言っていた。これまではタレントとしては認知されていたが、このヒットでようやく歌手として認められたんだ、ということみたい。作詞・作曲はアルフィーの高見沢。
1986.11. 最後のHoly Night 杉山清貴 JALハワイキャンペーン ’86CMソング。編曲は、スピッツのプロデュースでも知られる笹路正徳。
1986.11. May 斎藤由貴 東宝映画『恋する女たち』主題歌。
1986.11. ねがい 村下孝蔵 アルバム「かざぐるま」からのシングル・カット。明星チャルメラのCMソングで、カップリングの「とまりぎ」は、三田寛子に提供した「恋心」と異名同曲。
1986.11. One Day Kuwata band バラードヒット。考えてみると、Kuwata bandのシングルの曲名は全部英語でアルバムの曲も全部英語詞、そして歌詞は英語では売れないので日本語にしているという、うまい販売戦略をとっていた。
1986.11. 紳士同盟 薬師丸ひろ子 彼女は昔、クィーンのコンサートに行ってメンバーと一緒に写真を撮ってもらったことがあったという (笑)。しかも、コンサートの時には興奮して椅子の上によじ登って怒られたとか (笑)。作詞・作曲は阿木・宇崎のコンビ。
1986.12. あの夏のバイク 国生さゆり この年の9月に中型バイクの免許を取得し、10月にはバイクでニューヨークからロサンゼルスまでアメリカ横断に成功、そのときの様子がビデオと写真集で発売された。この曲もその時のバイク熱にあやかって作られたもの。
1986.12. ないものねだりの I Want You C-C-B TVドラマ『毎度おさわがせします』主題歌。当時としては珍しくラップを取りれていた。
1986.12. ランニング・ショット 柴田恭平 この歌詞、意味わかんねーぞ (笑) 。当時、高視聴率を獲得していた日本テレビ系『あぶない刑事(デカ)』挿入歌。作曲は、NHK大河ドラマ『平清盛』のテーマ曲も作っている、クラシック作曲家である吉松隆。彼は作詞も一部担当している。
1986.12. 好きさ 安全地帯 フジテレビ系アニメ『めぞん一刻』主題歌。

<Years Navi>
【明治時代】
1868-1872 (明治01-05) 年 1873-1877 (明治06-10) 年
1878-1882 (明治11-15) 年 1883-1887 (明治16-20) 年
1888-1892 (明治21-25) 年 1893-1897 (明治26-30) 年
1898-1902 (明治31-35) 年 1903-1907 (明治36-40) 年
1908-1911 (明治41-44) 年
【大正時代】
1912-1916 (大正01-05) 年 1917-1921 (大正06-10) 年
1922-1925 (大正11-14) 年
【昭和時代】
1926-1927 (昭和01-02) 年 1928-1929 (昭和03-04) 年
1930-1931 (昭和05-06) 年 1932-1933 (昭和07-08) 年
1934-1935 (昭和09-10) 年 1936-1937 (昭和11-12) 年
1938-1939 (昭和13-14) 年 1940 (昭和15) 年
1941 (昭和16) 年 1942 (昭和17) 年 1943 (昭和18) 年
1944 (昭和19) 年 1945 (昭和20) 年 1946 (昭和21) 年
1947 (昭和22) 年 1948 (昭和23) 年 1949 (昭和24) 年
1950 (昭和25) 年 1951 (昭和26) 年 1952 (昭和27) 年
1953 (昭和28) 年 1954 (昭和29) 年 1955 (昭和30) 年
1956 (昭和31) 年 1957 (昭和32) 年 1958 (昭和33) 年
1959 (昭和34) 年 1960 (昭和35) 年 1961 (昭和36) 年
1962 (昭和37) 年 1963 (昭和38) 年 1964 (昭和39) 年
1965 (昭和40) 年 1966 (昭和41) 年 1967 (昭和42) 年
1968 (昭和43) 年 1969 (昭和44) 年 1970 (昭和45) 年
1971 (昭和46) 年 1972 (昭和47) 年 1973 (昭和48) 年
1974 (昭和49) 年 1975 (昭和50) 年 1976 (昭和51) 年
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