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 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

流行年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1977.01. あんたが大将 (You are the king of kings) 海援隊 サブタイトルが「You are the king of kings」。ん〜、どこかで聴いたことあるなぁと思ったら、アリスの「チャンピオン」の歌詞にも出てくるではないですか!  後年、海援隊はテイチクでこの曲をセルフカバーしているが、テンポも遅くなって当時のギラギラ感というか、ハングリーな感じはなくなっていた (笑)。特に当時のライブ盤を聴くと、テンポが速過ぎて笑ってしまう。ぜひご一聴を (笑)。
1977.01. 旅立ち/初恋 松山千春 松山千春のデビュー曲。彼が高校を卒業するとき、離ればなれになってゆく仲間たちを想ったもので、デビューのきっかけとなった「’75全国フォーク音楽祭」でも歌っていた。
1977.01. 津軽海峡冬景色 石川さゆり 石川さゆりの1970年代最大のヒット曲。「あ〜あ〜つがる」の鼻から抜けるような裏声が最高 (謎) 。
1977.02. マイ・ピュア・レディ 尾崎亜美 1977年度、資生堂・春のキャンペーン・テーマソング。この曲がヒットし始めたとき、彼女は入院中で看護婦さんやお医者さんにサインをねだられ、ナースキャップやスリッパにサインしたと言うこともあったという (笑)。
1977.02. さよならをいう気もない 沢田研二  
1977.02. 過ぎ去りし思い出は 大塚博堂  
1977.03. あずさ2号 狩人 彼ら最大のヒット曲。この曲があまりにヒットしたため、以後低迷を余儀なくされる。そしてB’zが有名になるまで「男のデュオは売れない」というジンクスがあると言われ続けてしまった。
1977.03. 硝子坂 高田みづえ もとは木之内みどりが歌っていた曲で、アレンジが全然違う。「手招き」の部分でコブシがちょっと入っているのはご愛敬 (笑)。作曲は宇崎竜童だった。武田鉄矢は、この時競作となったが負けたという (涙) 。そういえば、海援隊の人気も落ち込んでいた時期だったしね。
1977.03. サクセス ダウン・タウン・ブギウギ・バンド  
1977.04. 帰らない 清水健太郎 知る人ぞしる、シミケンの第2弾シングル。ジョイサウンドなんかのカラオケに収録されている。一度歌ったが、みんな知らないので評判は芳しくなかった (爆) 。
1977.04. ラヴ・トレイン 浜田省吾  
1977.04. センチメンタル・シティー 草刈正雄 当時は、「マサカリ・クサオです」と言っただけでウケたものだった (笑)。
1977.04. シンプル・ラヴ 大橋純子、美乃屋セントラル・ステイション 作曲の佐藤健はキーボード、土屋昌己はギターという美乃屋セントラル・ステイションというバンドで演奏していた。この曲で、東京音楽祭ゴールデン・カナリー賞を受賞。ちなみにバンド名は、グラハム・セントラル・ステイションのもじりだと思う。
1977.05. 勝手にしやがれ 沢田研二 歌番組では歌の途中で帽子を投げていたが、「あの帽子はその後どうなっているんですか?」という質問には、ADが帽子を拾っているといっていた。
1977.05. 幻の人 茶木みやこ TBSテレビ系『横溝正史アワー』主題歌。シングルとアルバムではヴァージョンが違う。収録アルバム「レインボウ・チェイサー」には、タケカワユキヒデ以外のゴダイゴのメンバーがバックで参加している。リアルタイムで聴いた人以外でこの曲を知っている人は、かなりの通。
1977.05. 潮風にちぎれて 松任谷由実  
1977.06. 哀愁トゥナイト 桑名正博 松本隆作詞、筒美京平作曲で出したシングル第1弾。
1977.06. かざぐるま 松山千春  
1977.06. 気絶するほど悩ましい Char 「逆光線」「闘牛士」とともに歌謡曲3部作といわれる。この曲の作曲は悔垣達志。
1977.06. 渚のシンドバッド ピンク・レディー 1977〜8年辺りが彼女たちの全盛期。サザン・オールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバッド」は、沢田研二の「勝手にしやがれ」とこの曲を合成したものであることは、よく知られている。
1977.06. 夏の少女 南こうせつ 彼は大分県竹中の曹洞宗南陽山勝光寺の住職の息子で、いわゆる「僧籍歌手」。ほかにも植木等がいる。
1977.06. 暑中お見舞い申し上げます キャンディーズ 作曲は佐藤寿一だが、猫の常富善雄が作曲したヴァージョンもある。こちらの方は、1998年のキャンディーズCD-Boxに収録されている。
1977.07. だけど…… 高田みづえ 〈硝子坂〉を作った作詞・作曲・編曲家による第2弾シングル。
1977.07. イミテーション・ゴールド 山口百恵 この曲を歌っていた当時、彼女はまだ18歳だった (!) 。
1977.07. Lui-Lui 太川陽介 未だに漫画などでネタにされる、唯一のヒット曲 (笑)。彼はNHKの音楽番組の司会や、歌手の後ろで踊るダンサーをこなしていた。このヒットから約40年後、テレビ番組でバスを乗り継ぎ目的地を目指す『太川蛭子の旅バラ』(テレビ東京系列) に出演して再ブレイクを果たすとは、誰が予想しただろう (笑)。
1977.07. センチメンタル・カーニバル あおい輝彦 1970年にTVアニメ『あしたのジョー』の主人公、矢吹丈 (やぶき・じょう) 役を担当し、知名度を一気に上げた。
1977.07. マイ・ラグジュアリー・ナイト しばたはつみ 作曲は来生たかお。マツダ・コスモCMソング。たおやかに歌い上げる、当時としてはかなり異色なヒットソング。
1977.07. 灼けた夏/マダムとの散歩 来生たかお 記念すべき (?) 、第2弾シングル。ファンの間では、アルバム『ジグザグ』に収録された隠れた名曲としても名高い。このアルバムは、デヴィッド・フォスターらが参加していることでも有名。また、東海建設のCMに使われた「甘い食卓」も評価が高い。でも、セールス的には大失敗だった。なぜだろう、なぜかしら (笑)。
1977.08. 愛のメモリー 松崎しげる 松崎しげる最大のヒット曲。あるテレビ番組で、若者に元気を出してもらおうと、この曲を弾き語りして無理矢理聴かせていた (笑)。
1977.08. 遠慮するなよ 清水健太郎 いえいえ、遠慮させていただきます (笑)。
1977.08. そんな女のひとりごと 僧位山太志郎 彼は歌だけでなく絵も描いて、二科展に入選したりしていた。彼の登場で、「お相撲さんは歌が上手い」というイメージが定着、歌番組でも余興でお相撲さんがよく出てくるようになった。
1977.08. 人間の証明 ジョー山中 角川映画『人間の証明』の主題歌。このメディア・ミックスでの成功から、続々と映画と主題歌のヒットが量産されていった。ジョー山中は内田裕也に認められ、フラワー・トラヴェリン・バンドでデビュー。当時はアフロヘアにロバート・プラントみたいな格好をして英語で歌を歌っていた。
1977.08. ワインカラーのときめき 新井 満 もともとは電通のサラリーマンで、カネボウのCMソングを歌って大ヒット。曲調はカーペンターズの「マスカレード」そっくりと言われていた。その後はこれといったヒットがなかったが、1988年に「尋ね人の時間」で芥川賞を受賞、小説家に転向してしまった。さらに、後年作曲した「千の風になって」が秋川雅史の歌で大ヒット、つくづく恵まれた人だと思う。
1977.09. 憎みきれないろくでなし 沢田研二 サスペンダーに白い帽子で登場、声にも伸びがあってヒットした。
1977.09. アン・ドゥ・トロワ キャンディーズ  
1977.09. ウォンテッド (指名手配) ピンク・レディー テレビ東京系テレビ番組『なんでも鑑定団』の「お宝買います」コーナーで使われている。
1977.09. お化けのロック 郷ひろみ・樹木希林 この二人のコンビで、後年「林檎殺人事件」がヒットする。お化けというよりも骸骨の踊りといったほうがふさわしいコミカルな振り付けが特徴だった。後年、ブルーハーツがPVでこの振り付けの一部を取り入れて踊っている。
1977.09. 九月の雨 太田裕美 音域が広いため、裏声で歌っている。この曲がヒットしていた頃、歌いすぎてのどを痛めたこともあるという。
1977.10. 秋桜 (コスモス) 山口百恵 結婚して男性の家に嫁ぐ女性が、母を思いやるという内容で、これまで強い女性を演じてきた山口百恵像を一変させた曲。曲調からもわかる通り、作詞・作曲はさだまさし。
1977.10. ビードロ恋細工 高田みづえ 引き続き作詞・島 武実、作曲・宇崎竜童によるシングル第3弾。
1977.10. 冬の稲妻 アリス 北陸地方では、夏ではなく冬に雷が鳴る。これぞほまさしく「冬の稲妻」。「You’re Rolling Thunder」の後の「ハ〜ッ」は谷村新司が考えた。
1977.10. 時代遅れの酒場 加藤登紀子 ファンの人に聞いたのだが、彼女はステージで歌詞をよく間違えるそうな。ファンの方が歌詞を覚えているから、間違えたところがすぐにわかるんだって (笑)。
1977.10. 長雨/ジグザグ 来生たかお 売れっ子演出家、久世光彦の制作したテレビスポットでオンエアされたことでも知られているが、この曲自体はほとんど知られていない (笑)。収録アルバム『ジグザグ』は、彼にとって初の海外録音アルバムであり、また初めての海外旅行でもあったのだった (笑)。
1977.10. てぃーんずぶる一す 原田真二 プロデューサーは吉田拓郎だった。
1977.10. 東京物語 森進一 後年、近田春夫&ハルヲフォンがなぜかカバーしている (笑)。このカバーは、テンポも速くハードロック調のギターがうなりまくっているスグレもの。ちなみに、エレキ・ギターは教則本なんかを書いている小林克己。
1977.11. あんたのバラード 世良正則&ツイスト 世良正則は泥臭く、ねばるような歌い方が特徴で、股関節が柔らかい独特の振り付けでヤンキーの心をわしづかみにした (笑)。もともと大阪で活動しており、円広志は先輩に当たるが彼らの方が先にヒットした。学生時代の記念としてポプコンに出場したら、グランプリを獲得してしまった。この曲でデビュー、第8回「世界歌謡祭」でグランプリも獲得。
1977.11. い・に・し・え 日暮し RCサクセションの前身バンド、リメンダーズ・オブ・ザ・クローバーのリーダーだった武田清一を中心に結成された。ヴォーカルの榊原尚美は、後にソロ歌手・杉村尚美として「サンセット・メモリー」をヒットさせている。
1977.11. 俺はぜったい!プレスリー 吉 幾三 1972年に山岡英二名義で「恋人は君ひとり」をリリースしてデビューしたものの、さっぱり売れなかった。そのため、「よおし、やるぞ!」という意味で名前を吉幾三に変えて再デビューした時のシングルがこの曲。プレスリーはこの年の7月に亡くなったエルヴィス・プレスリーのこと。彼が亡くなって、「オレだって……」と酒場でくだを巻いていた吉幾三が即興で作ったもの。これが評判となって、同名の映画も作られた。
1977.11. キャンディ 原田真二 曲調はビートルズの「ミッシェル」。
1977.11. 演歌チャンチャカチャン 平野雅昭 歌謡曲をメドレーにしてしまった作品。緑の地平線、かえり船、名月赤城山、東京ラプソディー、青い背広で、小樽のひとよ、くちなしの花、理由、わたしの城下町、せんせい、貴方につくします、夫婦鏡、おゆき、わたし祈ってます、あなたに命がけ、なみだの操、あなたにあげる、おんなの夢、恋の奴隷、愛ひとすじの20曲が使われている。
1977.11. 冬が来る前に 紙ふうせん 「翼をください」で知られるフォークグループ、赤い鳥のメンバーだった後藤悦治郎と平山泰代が始めたデュオ。2人は兵庫県立尼崎北高等学校の同級生だったが、ほとんど交流はなく、各自別の大学に進学した跡に再会、赤い鳥の解散直前に結婚している。「冬が来る前に」は紙ふうせん最大のヒット曲で、後藤がストーブを掃除してるときに「冬が来る前にきれいにしないとアカンなぁ」と呟いた言葉が歌詞に使われた。ちなみに間奏部分は、後年にスピッツが「あじさい通り」(アルバム『ハチミツ』収録) のイントロにそのまま使っている。
1977.11. 迷い道 渡辺真知子 デビュー曲でいきなりの大ヒット。サウンドは歌謡曲だが、作詞・作曲は彼女自身。テレビやラジオにも積極的に出演していたことも、当時のニューミュージックのアーティストとは一線を画していたことがわかる。
1977.11. しあわせ芝居 桜田淳子 作詞・作曲は中島みゆきで大きなセールスを記録。この曲でNHK紅白歌合戦に出場。歌い方といい、暗い歌詞といい、みゆき節が全開 (笑)。
1977.11. 時のいたずら 松山千春  
1977.12. 赤い絆 (レッド・センセーション) 山口百恵 彼女が主演したTBS系テレビドラマ『赤い絆』主題歌で、20枚目のシングル。作曲は平尾昌晃。
1977.12. 逆光線 Char 作曲はChar本人。歌謡曲路線の第2弾シングルで、当時20歳そこそこだったこともあって、アイドル的な人気があった。
1977.12. 禁猟区 郷ひろみ  
1977.12. UFO ピンク・レディー UFOの振り付けが大人気となり、人気を決定づけた曲。今でも踊れる人が多いか、という企画を『探偵ナイトスクープ』でやっていた (笑)。振り付けのインパクトでいうと、「ペッパー警部」「ウォンテッド」「UFO」「サウスポー」あたりが4強といえるだろう。

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