Pocket

 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

流行年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1983.01. さよならの物語 堀ちえみ 5枚目のシングルで、彼女によって最大のヒット曲。作詞は岩里祐穂、作曲は岩里と三浦一年によるユニット「岩里未央」名義、編曲は『新世紀エヴァンゲリオン』の音楽を担当した鷺巣詩郎と何気にすごいメンバーによって作られている。
1983.01. 大輔・哲太の Rock’n Roll 嶋 大輔・杉本哲太十1
1983.01. ドリームドリームドリーム 岩井小百合 横浜銀蠅の妹分としてデビューした。シングルのジャケットで着ているドレスは、当時で150万円したという。撮影は嵐 (横浜銀蝿) が行った。
1983.01. 涙のペーパームーン 石川秀美 愛知県瀬戸市生まれ。「第2回秀樹の妹募集」コンテスト (笑) に優勝し、1982年に「妖精時代」でデビューした。秀樹とは、もちろん西城秀樹のことね。
1983.01. 春なのに 柏原芳恵 卒業の季節にぴったりの別れの曲。作詞・作曲は中島みゆき。
1983.01. 19:00の街 野口五郎 野口五郎の、もう一つの代表曲。デビュー前に上京してきたとき、おじさんの家から台東中学へ通い、夜は印刷機のそばで歌の練習をしていたとか。しかも、ラーメンをすすりながら (笑)。
1983.02. 愛されてばかりいると 井上陽水
1983.02. ギャランドゥ 西城秀樹 作者のもんたよしのりもセルフカバー。Aメロはもろにビリー・ジョエルの「ストレンジャー」。でも、「ギャランドゥ」って一体どんな意味なんだろう (笑) ?
1983.02. 秘密の花園 松田聖子 12枚目のシングル。
1983.02. う、ふ、ふ、ふ epo 高校2年生の時、ニッポン放送のライオン・フォーク・ビレッジにフォーク・グループを率いて出場し、関東甲信越地区で最優秀賞に選ばれた。これがきっかけで、1980年3月21日にLP、シングル『DOWNTOWN』でデビューした。資生堂フェアネス春のテーマ・ソング。
1983.02. 通り過ぎた風 高田みづえ 作曲は、「ガラスの花」と同じ谷村新司。B面の「とまどい雨」は、来生たかおが作曲している。
1983.02. 1/2の神話 中森明菜 「少女A」に続く、気の強い少女を描いたシングル。作曲は大沢誉志幸。
1983.02. 処女的衝撃 (Virgin Shock)! シブがき隊 「バージン・ショック」と読む。1990年代にマジックというロカビリー・バンドが出した「東京バーニング・タウン」は、このサビにそっくりだと思うんだけど……。
1983.02. 初恋 村下孝蔵 出世作。意外だが、彼は10代の後半、アジア大会の候補にもなった水泳の達人だった。後年、TV番組『Hey Hey Hey』に出演して歌ったとき、わずかワンコーラスしか流れなかったため、「扱いがひどい」と怒ったファンも多かった。
1983.02. 矢切の渡し 細川たかし もともとはちあきなおみが歌っていたのを、細川たかしがカヴァーしたもの。カバーである細川たかし盤が売れて、以来「孫」(大泉逸郎) のヒットまで演歌はミリオンセラーが出なかった。ちなみに、細川たかし盤が余りに売れたので、レコード会社はちあきなおみのレコードを廃盤にしてしまった。
1983.02. Luv-Ya (ラヴ・ヤ) アン・ルイス 「ラ・セゾン」の次に出たシングルだったため、比較的知名度が高い。作曲はNOBODY。
1983.03. 想い出がいっぱい H2O フジテレビ系テレビアニメーション『みゆき』挿入歌。B面の「10 (テン) %の雨予報」が主題歌だった。
1983.03. 5年目の破局 ヒロシ&キーボー 前作のヒット「3年目〜」ほどには話題にならなかった。この曲が出たとき、次のシングルは「7年目の再会」か「7年目の復縁」だろう、という噂がまことしやかに飛び交っていた (笑) 。
1983.03. ドキドキHeartのバースディ・パーティ 岩井小百合 横浜銀蝿による「サユリチャ〜ン!」コールがイカス (笑)。彼女はポニーテールが特徴だったが、イメチェンのため後年やめてしまっている。
1983.03. Hey! ミスター・ポリスマン 石川秀美 タイトルは、カーペンターズの「プリーズ・ミスター・ポストマン」を意識したのだろうか (笑)。
1983.03. ボディ・スペシャルⅡ サザンオールスターズ 女性の上半身ヌードのシングル・ジャケットと、きわどい歌詞が話題に。
1983.03. 君に、胸キュン。 イエロー・マジック・オーケストラ プロモ・ヴィデオは2種類あるが、なぜかチープな方ばっかりがかかっている。カネボウ化粧品のCMソング。
1983.03. 無口な夜/まどろみミステリー 来生たかお
1983.03. Sing A Song 松山千春 コカ・コーラのCMソングで、CMには松山千春自らも制作スタッフとして参加した。
1983.04. いちごの片想い 岩井小百合 「ドキドキHeartのバースディ・パーティ」のリリースからわずか1ヶ月で発売されたシングル。
1983.04. 高気圧ガール 山下達郎 ムーンレーベルに移籍しての第一弾シングル。1983年ANA沖縄キャンペーンのイメージソング。高気圧のため息は、実は竹内まりや。
1983.04. 時をかける少女 原田知世 彼女が主演した映画『時をかける少女』の主題歌。この「時かけ」に対抗して、工藤由貴は「お湯をかける少女」 (お湯かけ) という、大きなやかんを持って走ってくるCMに出演した (笑) 。こちらは、ハウスヌードル3時3分のCMだった。
1983.04. 天国のキッス 松田聖子 東宝映画『プルメリアの伝説』主題歌。細野晴臣作曲で、彼女の代表曲のひとつ。
1983.04. め組のひと ラッツ&スター 1983年、資生堂サマー・キャンペーンのイメージソング。Vサインを横にした「めっ!」のポーズが流行した。
1983.04. 夏色のナンシー 早見 優 彼女の本名は舘野一美といい、1966年9月2日静岡県熱海市生まれ。ハワイに移住したのは1973年のことだった。’83コカ・コーライメージソング。
1983.04. 夏色のダイアリー 堀ちえみ
1983.04. 夏女ソニア もんたよしのり With 大橋純子 大橋純子は、北海道夕張出身。両親は夕張炭坑の食堂を経営しており、彼女は子供の頃から食堂で唄っては小銭を稼いでいたという (笑)。歌っていた曲は、美空ひばりの「リンゴ追分」「ひばりの佐渡情話」などだった。この「夏女ソニア」は、もんたよしのりとのデュエット曲で、コーセー化粧品1983年夏のキャンペーン・ソング。
1983.05. 純愛さがし 高田みづえ
1983.05. 僕笑っちゃいます 風見慎吾 欽ちゃんファミリーからのデビュー曲で、作曲は吉田拓郎。
1983.05. Zokkon 命 (Love) シブがき隊 メロこそ違うが、イントロとエンディングのアレンジはナイト・レンジャーの「炎の彼方」(Don’t Tell Me You Love Me) そのまんま。アレンジャーのセンスを疑ってしまうわん。作曲・編曲は水谷竜緒で、知る人ぞ知るGSバンド「アウト・キャスト」のメンバーだった人だ。
1983.05. 探偵物語 薬師丸ひろ子 原作・赤川次郎、角川映画『探偵物語』主題歌。作詞は松本隆、作曲は大瀧詠一のコンビだ。「すこしだけやさしく」は、TBS系テレビバラエティ『わくわく動物ランド』のED。
1983.05. 浪花恋しぐれ 都はるみ・岡 千秋 作詞のたかたかしは、西城秀樹の「愛の十字架」など歌謡曲で活躍していたが、45歳の時に演歌に転向、五木ひろしの「おまえとふたり」などを書いている。この曲は夫婦もののデュエットとして、男性は破天荒な噺家だった春団治を想定している。岡千秋は1970年に日吉ミミに「むらさき慕情」を提供した作曲家だったが、それだけでは生活できず、歌舞伎町でピアノを弾いて生計を立てていた。迫力あるがらっぱちな歌声が特徴だったが、岡山出身でせりふの大阪弁がおかしいとダメ出しされたため、猛特訓したという。彼は後に五木ひろしに「長良川艶歌」を提供し、作曲家としての地位を確立している。
1983.05. ボヘミアン 葛城ユキ 「ボヘミア〜ン!!」というシャウトが強烈なヒット曲。もともとはチャゲ&飛鳥の持ち歌だった (作詞はAska、作曲は井上大輔) 。毎日放送シリーズ水曜の女『赤い足音』主題歌。
1983.06. 電話 松山千春 「今、失われたものを求めて」のアルバムリリース後、ラジオ・リクエストなどを中心に評価が高まり、この曲は彼にとっては初めてのアルバムからのシングル・カット作品となった。
1983.06. エスカレーション 河合奈保子 第25回日本レコード大賞・金賞を受賞。
1983.06. トワイライト〜タ暮れの便り〜 中森明菜
1983.06. メリーアン The Alfee この曲と「星空のディスタンス」で、ロック・バンドとしての地位を確立した。
1983.07. 恋・あなた・し・だ・い! 岩井小百合 カップリングには、岩井小百合自身が作詞・作曲した「いけないのですか?」が収録されている。
1983.07. 青い夏のエピローグ 堀ちえみ 開業医の夫と離婚して間もない1999年の元日から4日にかけて、大阪の浪花座で春やす子らと舞台で大喜利をつとめた。天然のボケぶりが大いに会場をわかせた。
1983.07. お久しぶりね 小柳ルミ子 久しぶりのヒットとなった。この年に公開された、彼女主演の映画『白蛇抄』の演技も話題に。
1983.07. おまえにピタッ! 横浜銀蠅 レコードデビューに当たって、東芝EMI、トリオ、キングが候補として残ったが、最終的にはキングレコードの水橋春夫氏とやることになった。というのも、リーダーの嵐が、「デビューするときに自分のレーベルを作ってほしい」と言ったのを快諾してくれたからだった。夏目雅子が出演していたカネボウ「レディ80・パウダーチェンジ」CMソング。
1983.07. ためいきロ・カ・ビ・リー 近藤真彦 曲名だけで全然ロカビリーじゃないぞ (笑)。
1983.08. 越冬つばめ 森 昌子 作曲の篠原義彦は、実は円広志。サビの「ヒュルリ〜」の部分は作曲に時間がかかったらしい。当初は競作で、彼の作品が一番良かったのだが「誰が作ったんだね?」という質問に、作曲を依頼したディレクターが、恥ずかしくて「円広志です」と言えなかったという逸話がある (笑)。
1983.08. 踊り子 村下孝蔵 大ヒットした「初恋」から半年後にリリースされたシングルで、こちらも余勢を駆ってヒットした。ライブでもよく歌われていたが、弾き語り色の強い演奏となっている。シングルジャケットの印象的な切り絵は、村上保の手によるものである。
1983.08. Cat’s Eye 杏里 日本テレビ系アニメ『キャッツアイ』主題歌で、彼女の代表曲。ここから、「北条司原作のアニメ主題歌はヒットする」神話が生まれた。歌詞の「見つめる」「妖しく」の部分のピッチが少し低いような気がする。気のせいかなぁ。
1983.08. 松田聖子 「SWEET MEMORIES」は、サントリーの缶ビールのCMソングに使われていた。
1983.08. 兄弟船 鳥羽一郎 「なみの〜まにまに〜」で有名なヒット曲。カサブランカ・グッバイとどっちがいいか、と言われれば返答に困るかも (爆) 。紅白歌合戦に出場したとき、ゴム長靴に手ぬぐいのねりじはちまきをして、「美川さんや小林幸子さんとは違って、衣装代は格安です」と言って笑いを取っていた。
1983.08. Hey! Beppin シブがき隊 このタイトルをみて、Della Beppinを思い浮かべる人は相当の通かも (爆) 。
1983.08. 15歳で“オバン”と言われます 紅麗威甦 タイトルがものすごいインパクト。小さい頃、一度だけテレビで見たのを憶えていて、この曲のタイトルだけは未だに忘れられない (笑)。
1983.08. 子供達を責めないで 伊武雅刀 なぜか話題になった、「私は子どもが嫌いだ!」と絶叫する伊武雅刀のシングル。曲は、サミー・デイビス・Jrの「Don’t Blame the Children」。
1983.08. そんなヒロシに騙されて 高田みづえ GSっぽいと思ったら、作詞・作曲は桑田佳祐。
1983.09. ギザギザハートの子守唄 チェッカーズ 「涙のリクエスト」のヒットでチャートを再浮上したデビュー曲。「ちっちゃな頃からちっちゃくて……」の替え歌が流行ったが、「あ〜あ〜」以外はこのフレーズだけでAメロからサビまで全部歌えてしまうところが面白い。お試しあれ (笑)。
1983.09. 禁区 中森明菜 イントロがもろにテクノ歌謡。切ない女心を歌ったヒットシングル。
1983.09. Good-bye 青春 長渕 剛 TVドラマ『家族ゲーム』の主題歌で、本人も出演。下降していくサビが特徴。
1983.09. 細雪 五木ひろし この曲で、第25回日本レコード大賞・特別金賞を受賞。この曲を録音する前、声帯ポリープが悪化したため入院し、手術している。術後の経過は良く、ファンを集めたディナーショー兼バースデーパーティにてマイクを握り、復活をアピールした。
1983.09. 激しい雨が The Mods 博多で「めんたいビート」の中心的な存在となっていた。日立マクセルカセットテープのCMソングとなり、ブレイク。続く「バラッドをお前に」もヒット。レコードでは、「はげしい」の「は」のピッチが低い気がする。後のライヴではしっかりと音が出ていたので、ライヴで鍛えられたバンドであることをしみじみ感じた。
1983.09. 無邪気な天使 嶋 大輔 NTV系ドラマ「花咲け花子」主題歌。アフロ・リーゼントにTシャツ・短パン、おまけに野球のバットを持ったスナップはかなり笑える。
1983.09. 流れ星 松山千春 TBS系のドラマ「胸さわぐ苺たち」の主題歌。1983年11月3日に放映されたドラマの冒頭シーンで、コンサート会場からこの曲を歌うという演出にトライした。
1983.09. 釜山港へ帰れ 渥美二郎 チョー・ヨンピルのヒット曲をたくさんの歌手がカバーしたが、最も売れたのは彼のヴァージョンだった。1曲をじっくりと歌い込む姿勢が買われたのだろうか。
1983.09. スプリンクラー/Please Let Me Wonder 山下達郎 発売当時は、夏男の達郎のイメージにふさわしくないと言うことで不評だったという (笑)。作者の達郎自身は気に入っているということで、しばしばライブでも取り上げていた。エレキ大正琴がフューチュアされていることでも有名。この歌の舞台は、表参道と青山通りの交差点、地下鉄千代田線の入り口だという←細かい (笑)。
1983.10. あの娘 中島みゆき 編曲はザ・スパイダースなどで活躍した井上堯之が担当した。リリースが予定よりも半年ほど遅れたこともあって、最初にラジオなどで流れたものとは異なるミックスが採用されている。
1983.10. 挑発∞/XYZ シブがき隊
1983.10. 22歳 谷村新司 リリース当時、『ザ・ベストテン』に「22歳」を入れよう、とリスナーが団結してテレビ局にハガキを送るという「ドラゴン作戦」が展開された (笑) 。
1983.10. 瞳はダイヤモンド/蒼いフォトグラフ 松田聖子
1983.11. 悲しみが止まらない 杏里 「Cat’s Eye」のヒットをバネに、大きく羽ばたくことに成功。このヒットがなかったら、一発屋で終わっていたかもしれない。元ネタはシュープリームスの「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ」。
1983.11. 泣かせて 研ナオコ 作詞・作曲の小椋佳もセルフカバーしている。
1983.11. 黄昏ダンシング 麻倉未稀 1960年7月27日、大阪市生まれ。本名は村上徳子。1981年にオンワードのCMソング「ミスティ・トワイライト」でデビュー。その後は洋楽のカバーがしばらく続いた。TBS・MBSテレビドラマ『さよならを教えて』挿入歌。
1983.11. 東京シャッフル サザンオールスターズ 全然売れなかったらしいが、昔懐かしい昭和初期のスウィングジャズの雰囲気を持っている。この曲で第34回『NHK紅白歌合戦』にも出場した。
1983.11. 人間(ひと)の駱駝 大塚ガリバー 宮本輝の青春小説『青が散る』を原作にした同名のTBSテレビドラマ挿入歌。主題歌は松田聖子の「蒼いフォトグラフ」だった。大塚ガリバーは前クールで放送されていたドラマ『家族ゲーム』で主役を演じた長渕剛の付き人をしていたことから出演が決まったという(役名も「ガリバー」)。と同時に長渕剛が作曲した「人間の駱駝」でデビューし幸先のよいスタートを切ったものの、大ヒットには至らなかった。歌い方に長渕のようなパンチ力が足りなかったのかもしれない。そもそも「人間の駱駝」っていうタイトルも意味が分からないし (笑)。放送終了後は裏方へ回り、柳葉敏郎のアルバムプロデュースや楽曲提供を行った。
1983.11. ベイビー! 逃げるんだ RCサクセション 三菱自動車ミラージュのCMソングで、忌野清志郎もCMに出演し、「三菱ってーのが作ったんだぜ!」と語っていた。
1983.11. ワインレッドの心 安全地帯 玉置浩二が率いていた、安全地帯の出世作。作詞は井上陽水、サントリー赤玉パンチのCMソングと、2年後の1985年にはテレビドラマ『間違いだらけの夫選び』のエンディングテーマに起用された。この曲で安全地帯を知った人が多かったのだが、実はデビュー曲はこれではなくて「萌黄色のスナップ」だった。「ワインレッドの心」のすぐ後にリリースされた「真夜中すぎの恋」(1984年4月)、「マスカレード」(同年7月)はヒットしなかったが、続く「恋の予感」(同年10月)で返り咲く。
1983.12. 哀愁のワインディング・ロード 横浜銀蠅 リーダーである「嵐」 (らん) の名前の由来は、意外にも昔好きだったキャンディーズの「伊藤蘭」からとっていた。そのままでは弱そうなので、ワイルドにあらしと書いて「らん」と読ませることにしたとか。ジャ○ーズ系アイドルにも「嵐」(こちらは「あらし」)というのがいたが、全く関係ない (笑)。
1983.12. もしも明日が わらべ 高部知子が抜け、見栄晴 (みえはる) くんが代わりに入ってトリオとして出したシングル。

<Years Navi>
【明治時代】
1868-1872 (明治01-05) 年 1873-1877 (明治06-10) 年
1878-1882 (明治11-15) 年 1883-1887 (明治16-20) 年
1888-1892 (明治21-25) 年 1893-1897 (明治26-30) 年
1898-1902 (明治31-35) 年 1903-1907 (明治36-40) 年
1908-1911 (明治41-44) 年
【大正時代】
1912-1916 (大正01-05) 年 1917-1921 (大正06-10) 年
1922-1925 (大正11-14) 年
【昭和時代】
1926-1927 (昭和01-02) 年 1928-1929 (昭和03-04) 年
1930-1931 (昭和05-06) 年 1932-1933 (昭和07-08) 年
1934-1935 (昭和09-10) 年 1936-1937 (昭和11-12) 年
1938-1939 (昭和13-14) 年 1940 (昭和15) 年
1941 (昭和16) 年 1942 (昭和17) 年 1943 (昭和18) 年
1944 (昭和19) 年 1945 (昭和20) 年 1946 (昭和21) 年
1947 (昭和22) 年 1948 (昭和23) 年 1949 (昭和24) 年
1950 (昭和25) 年 1951 (昭和26) 年 1952 (昭和27) 年
1953 (昭和28) 年 1954 (昭和29) 年 1955 (昭和30) 年
1956 (昭和31) 年 1957 (昭和32) 年 1958 (昭和33) 年
1959 (昭和34) 年 1960 (昭和35) 年 1961 (昭和36) 年
1962 (昭和37) 年 1963 (昭和38) 年 1964 (昭和39) 年
1965 (昭和40) 年 1966 (昭和41) 年 1967 (昭和42) 年
1968 (昭和43) 年 1969 (昭和44) 年 1970 (昭和45) 年
1971 (昭和46) 年 1972 (昭和47) 年 1973 (昭和48) 年
1974 (昭和49) 年 1975 (昭和50) 年 1976 (昭和51) 年
1977 (昭和52) 年 1978 (昭和53) 年 1979 (昭和54) 年
1980 (昭和55) 年 1981 (昭和56) 年 1982 (昭和57) 年
1983 (昭和58) 年 1984 (昭和59) 年 1985 (昭和60) 年
1986 (昭和61) 年 1987 (昭和62) 年 1988 (昭和63) 年
【平成時代】
1989 (平成01) 年 1990 (平成02) 年 1991 (平成03) 年
1992 (平成04) 年 1993 (平成05) 年 1994 (平成06) 年
1995 (平成07) 年 1996 (平成08) 年 1997 (平成09) 年
1998 (平成10) 年 1999 (平成11) 年 2000 (平成12) 年
2001 (平成13) 年 2002 (平成14) 年 2003 (平成15) 年
2004 (平成16) 年 2005 (平成17) 年 2006 (平成18) 年
2007 (平成19) 年 2008 (平成20) 年 2009 (平成21) 年
2010 (平成22) 年 │ 2011 (平成23) 年 │ 2012 (平成24) 年 │
2013 (平成25) 年 │ 2014 (平成26) 年 │ 2015 (平成27) 年 │
2016 (平成28) 年 │ 2017 (平成29) 年 │ 2018 (平成30) 年 │
【令和時代】
2019 (令和01) 年 │ 2020 (令和02) 年 │