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 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

流行年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1968.01. 恋のしずく 伊東ゆかり 前年度にヒットした「小指の想い出」がどちらかというと代表曲になってしまった感があるが、セールス的はこちらの方が上だった。作詞の安井かずみと作曲の平尾昌晃のコンビは、3年後に小柳ルミ子の「私の城下町」を作り大ヒットに。
1968.02. 亜麻色の髪の乙女 ヴィレッジ・シンガーズ TBS系列のテレビ番組、『ヤング720』に長期間取り上げられていた。後に、島谷ひとみがダンサブルなアレンジでカヴァーしてヒット。その時、ヴィレッジ・シンガーズを名乗るニセモノも登場、作曲のすぎやまこういちはオリジナルを懸命に擁護していた。この時のメンバーは小松久、笹井一臣、清水道夫、小池哲夫、林ゆたかの5人。
1968.02. イムジン河 ザ・フォーク・クルセダーズ この曲は、実は発売日の前日に発売中止が決まった。フォークルは最初、民謡だと思っていたがレコード化の段階で朝鮮民主主義人民共和国の作詞作曲者がいることが判明、ジャケットに明記して欲しいとの申し入れがあった。そのため、韓国側に反発が怒るのではないかという懸念がレコード会社に生じた、という。この「イムジン河」についてアルフィーの坂崎がラジオ番組「K’s Transmission」で「イムジン河2001」として取り上げ、2001年度民間放送連盟ラジオエンターテインメント部門最優秀賞を受賞した。
1968.02. ケメ子の唄 ザ・ダーツ フークルの「帰ってきたヨッパライ」にあやかりテープの早回しを利用して作られたコミックソングで、典型的な一発屋。ザ・ジャイアンツによる競作盤や松平ケメ子による「私がケメ子よ」が発売されるなど、にわかにケメ子ブームが巻き起こった。もともとは京都でベンチャーズのコピーをしていたバンドで、持ち歌だった「ケメ子の唄」は、当時京都で流行していた作者不詳の曲で、曲名は「愛なんて」だったという。しかも、有名なおにぎりのくだりがある3番の歌詞はなかったとか。ちなみに、長谷川町子もマンガ「サザエさん」のネタで「ケメ子」を使っていた。
1968.02. 薩摩の女 北島三郎 三味線が「チャンチャカチャンチャチャンチャ……」とラテンっぽいリズムを刻んでいるのには驚かされた。
1968.02. ゆうべの秘密 小川知子 当時は清純派だったのだ、これでも……。後に谷村新司とデュエットで×××……。この年、紅白歌合戦にも出場。彼女のデビュー曲にして最大のヒット曲。
1968.03. 悲しくてやりきれない ザ・フォーク・クルセダーズ 1968年10月、大阪でのさよならコンサートを機に解散。2ndシングルは韓国の民謡「イムジン河」が予定されていたが、朝鮮総連側の抗議で発売中止に。
1968.03. 神様お願い ザ・テンプターズ 作詞・作曲は、メンバーの松崎由治。彼の泣きそうな歌い方が印象に残っている。
1968.03. 花の首飾り/銀河のロマンス ザ・タイガース 彼らの5枚目のシングル。2001年、井上陽水がカヴァーし、聞茶の CMソングとして使われた (笑) 。カップリングの「銀河のロマンス」は、映画「世界はボクラを待っている」の主題歌。
1968.03. 星影のワルツ (再) 千昌夫 もともとは1966年に発売されているが、この年に大ヒット。ヒットするまでは本人の有線放送へのリクエストや放送局プロモーションなど、涙ぐましい努力が行われたという。
1968.04. 霧にむせぶ夜 黒木憲 原由子も「じんじん」の歌詞で「霧にむせぶ夜」と歌っている。たぶんこの曲あたりからとってきたのだろう。
1968.04. 思案橋ブルース 中井 昭・高橋 勝とコロラティーノ 長崎市内に架かっていた思案橋を歌ったご当地ソング。青江三奈の「長崎ブルース」、内山田洋とクール・ファイブの「長崎は今日も雨だった」など、長崎の観光ブームの一翼を担うヒットとなった。作詞・作曲は、コロラティーノのトランペッターである川原弘。
1968.04. 小さなスナック パープル・シャドウズ 歌謡ロック路線が多かったGSの中にあって、遅れてデビューした彼らはより一段と歌謡曲やムード歌謡寄りの曲を歌うようになっていた。作曲は、メンバーの今井久で、後に同名の映画も作られた。ちなみに、ロス・インディオス&シルヴィアでヒットした「別れても好きな人」は彼らが先に歌っていた。パープル・シャドウズ版のリズムはシャッフル系で、アレンジもだいぶ異なっている。
1968.04. 長い髪の少女 ザ・ゴールデン・カップス ゴダイゴのミッキー吉野が在籍。
1968.05. グッド・ナイト・ベイビー キング・トーンズ ひたすらドゥ・ワップの道を突き進む、怒濤のグループの大ヒット。いまでも活動を続けている。当時のメンバーは内田正人、成田邦彦、石井迪、加生スミオ。
1968.05. たそがれの銀座 黒沢明とロス・プリモス 彼らはいくつか銀座に関するシングルを出しているが、その中でも最も知名度の高いのがこの曲。
1968.05. 天使の誘惑 黛ジュン 「恋のハレルヤ」とともに代表曲。パンチのある歌声と、脚線美が特徴だった。ちなみに、彼女の実兄は作曲家の三木たかし。この曲は、「恋の奴隷」「長い髪の少女」を作曲した鈴木邦彦の手によるもの。
1968.06. エメラルドの伝説 ザ・テンプターズ ショーケンこと、萩原健一が在籍していたことでも有名なGSグループ。メンバーは萩原健一、松崎由治、田中俊夫、高久昇、大口広司の5人。
1968.06. コモエスタ赤坂 ロス・インディオス 棚橋静雄を中心に結成されたラテンバンド。トリオ・ロス・パンチョスの来日公演が好評で、ラテンブームが起こり、ロス・インディオスは中南米のポピュラー音楽に目を向けて演奏するようになった。
1968.06. 私って駄目な女ね 和田弘とマヒナスターズ、大形久仁子 (内田あかり) 大形久仁子は後に内田あかりに改名して、「浮世絵の街」をヒットさせている。
1968.07. 愛のさざなみ 島倉千代子 歌手生活15周年記念作品。着物姿の彼女と、サイケを意識した安っぽいジャケットアートが何とも不釣り合い (笑) 。
1968.07. 海は恋してる ザ・リガニーズ
1968.07. 釧路の夜 美川憲一 久しぶりのヒット曲。作者の宇佐英雄は、「柳ケ瀬~」のヒットで釧路で大盤振る舞いをしすぎて借金も膨らんだが、誰も助けてくれない。こちらがつくしたのに、と憎い思いを歌にしたのがこの曲。結局、歌と引き替えに美川のプロダクションが迎えにきてくれ、借金も払ってくれた。
1968.07. 恋の季節 ピンキーとキラーズ 「わ~すれられないの~」で有名な曲だが、あのファッションも忘れられない。メンバーは今陽子、ジョージ浜野、エンディ山口、ルイス高野、パンチョ加賀美。
1968.07. シー・シー・シー ザ・タイガース 第6弾シングル。この頃のメンバーは沢田研二、加橋かつみ、森本太郎、岸部おさみ、瞳みのる。1969年に加橋が脱退し、代わりに岸部シローが加入した。
1968.07. 長崎ブルース 青江三奈 作詞の吉川静夫と作曲の渡久地正信は、翌年彼女の最大のヒット曲「池袋の夜」を作ることになる。
1968.07. 水虫の唄 ザ・ズートルビー あの「ずうとるび」とは別。そして実は、フォーク・クルセイダーズの変名バンド。
1968.07. 夜霧の恋の物語 石原裕次郎
1968.08. 知りすぎたのね ロス・インディオス 後にヴォーカルにシルヴィアを加え、「別れても好きな人」で見事復活。
1968.08. バラ色の雲 ヴィレッジ・シンガーズ 3枚目のシングルで、それまではフォーク・ロック調の楽曲から一転して橋本淳&筒美京平コンビによるブルー・コメッツのようなGS歌謡曲に。メンバーも何人かが入れ替わり、体制が新しくなった中での恵まれたヒットとなった。シングルリリース時のメンバーは小松久、林ゆたか、清水道夫、小池哲夫、笹井一臣。B面の「輝く星」は、ドラムの林ゆたかが作曲している。彼はもともと寺本圭一とカントリー・ジェントルメン、大野義夫とカントリー・メイツで活動していたカントリー畑の人だ。
1968.09. あなたのブルース 矢吹健 森進一ばりの声で「あなたあなたあ~な~た~」とやられたら、やっぱり怖い。
1968.09. オリビアの調べ フォーリーブス CBSソニーレーベルの第1弾シングル。メンバーは北公次、青山孝、おりも政夫、江木俊夫の4人で、ジャニーズアイドル。
1968.09. 串本育ち/和歌山ブルース 古都清乃 昭和40年に吉田正に師事、同年8月に「初恋笠」でデビューした。B面の「和歌山ブルース」が昭和54年辺りから近畿、中国、九州地域を中心に人気を集め、ロングヒットになった。「串本育ち」には、名前の通り途中で民謡「串本節」のフレーズが挿入されている。
1968.09. 好きになった人 都はるみ 力強いコブシと甲高い歌声で見事にヒット。「さよ・おなら~」と「おなら」を強調するものまねもよく行われていた (笑)。
1968.10. 朝のくちづけ 伊東ゆかり 「恋のしずく」「知らなかったの」など連続してヒットを飛ばしていた頃の全盛期ともいうべきシングル・ヒット。
1968.10. 今は幸せかい 佐川満男 彼は、もともとホリプロの堀威夫氏が率いていたウェスタン・バンド、スウィング・ウェストのヴォーカルだった。このスウィング・ウェストは、最初はウェスタンやロカビリーを演奏していたが、後に大幅にメンバー・チェンジをしてGSバンドになった。
1968.10. 山谷ブルース 岡林信康 社会的なメッセージを歌に込め、日本のディランと騒がれた。後年、ダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンドがカヴァー。しかも曲調はジェフ・ベック・グループの「Situation」そのまんま。聴くべし。
1968.10. 小さな日記 フォー・セインツ
1968.10. 友よ 岡林信康、高石友也、フォーク・キャンパーズ 今、この曲を歌える若者はほとんどいない (笑) 。
1968.11. 愛の奇跡 ヒデとロザンナ 出門英と、ロザンナ・ザンボンによるデュオ。出門は、小柳ルミ子の「星の砂」「湖の祈り」などの作曲者としても有名。
1968.11. 三百六十五歩のマーチ 水前寺清子 行進曲風の楽曲で、人生を応援する内容と明るい歌声が受けて、彼女の代表曲に。人気歌手となりつつあったため、録音当日に譜面を渡され、こんな行進曲風の曲を歌うの? と疑問に思ったという。
1968.11. 主婦のブルース 高石友也
1968.11. 年上の女 森進一 「としうえのひと」と読む。出だしからヴィブラートがかかった裏声で泣くように歌う曲で、なかなか真似できない歌い方でヒットした。
1968.12. 雨の赤坂 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ 前作「さよならのあとで」の路線を踏襲した歌謡曲だったが、それほど振るわず、この辺りから人気が徐々に衰えていく。
1968.12. 青年は荒野をめざす ザ・フォーク・クルセダーズ 解散後、加藤はサディスティック・ミカ・バンドを経て作曲家に、はしだはシューベルツやクライマックスなどを結成してヒットを飛ばし、北山は「白い色は恋人の色」や「戦争を知らない子供たち」などを手がける。
1968.12. はなの手拍子 英亜里 ソニーのアイドル演歌の源流。「オールナイト・ニッポン」や「パックインミュージック」などの深夜ラジオでもよく流れていた。作詞・作曲はハマクラこと、浜口庫之助。
1968.12. ブルー・ライト・ヨコハマ いしだあゆみ 1969年度日本レコード大賞作曲賞受賞。筒美京平の名を知らしめることになった作品。後年、Mi-keがタイトルをパロッて「ブルーライト・ヨコスカ」を出した。

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