Pocket

 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

流行年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1975.01. オリーブの首飾り ポール・モーリア・グランドオーケストラ フランスの指揮者、編曲家で、イージーリスニング界の第一人者として「ラブ・サウンドの王様」と呼ばれている。この曲は日本でとりわけ人気があり、手品のBGMによく使われている。オリジナルはビンボー・ジェットの「嘆きのビンボー (El Bimbo)」で、日本語の「貧乏」とひっかけて「Bimbo、ビンボー、びんぼーォ! 貧乏!」というスゴいタイトルのシングルが発売されていた(東芝EMI EOR-1691)。そういえば、「Cha-Cha-Cha」を歌っていた石井明美もカバーしてました (忘れてたわ)。
1975.01. 昔の名前で出ています 小林 旭 録音は、昭和49年10月28日に行われている。この曲で、歌手として見事復活した。
1975.01. さらばハイセイコー 増沢末夫 名馬ハイセイコーの主戦騎手、増沢末夫がハイセイコー引退を記念して歌った曲。作詞の小坂巌は、競馬週刊誌に増沢騎手は歌がうまいという記事を書いたところ、エイコー企画の人から連絡が入りとんとん拍子にレコード化が進んだ。この曲がヒットしたため、「ハイセイコーよ元気かい」「いななけカツラノハイセイコ」など二番煎じの曲が発売された。
1975.01. 私鉄沿線 野口五郎 彼の代表曲といえばこれ。この曲のヒットで、彼はいつも改札口で待っているイメージが定着した (謎) 。作曲した佐藤寛 (さとう・ひろし) は、彼の実の兄。前作「甘い生活」がかなりヒットしていたので、プレッシャーがかかり録音から2日後、佐藤は血を吐いて倒れてしまうというハプニングもあった。この曲のヒットで、それまで賞レースに縁のなかった彼が第17回日本レコード大賞歌唱賞、第6回日本歌謡大賞放送音楽賞、第8回日本有線大賞グランプリ受賞と賞を総なめにした。
1975.02. この愛のときめき 西城秀樹 とある雑誌に「身体検査」とあり、こんな事が書いてあった。「身長180センチ、体重56キロ、胸囲84センチ、ヒップ87センチ。足のサイズ25.5センチ、視力は左右ともに1.5。あたまのまわり55.5センチ、髪の毛の長さは平均15センチ。鼻の高さは3.3センチで、ちょうどいいと本人は思っているのだ」 (←細かすぎるって) (笑)。
1975.02. 22才の別れ かぐや姫の伊勢正三と、猫の大久保一久が組んだフォーク・デュオで、この曲が代表曲。
1975.02. ルージュの伝言 荒井由実 バックで聴こえる甲高い声の持ち主はヤマタツで、この仕事から仕事が増えた、という (笑)。オールディーズファンにはこたえられない名作。スタジオジブリのアニメ映画『魔女の宅急便』でも使われている。
1975.02. サボテンの花 チューリップ 通算8枚目のシングル。1993年に『ひとつ屋根の下』の主題歌に使われたため、リバイバル・ヒットに (ただし、こちらは財津和夫によるセルフカバー)。
1975.02. 年下の男の子 キャンディーズ キャンディーズ初の大ヒット曲。この曲で3人の並び方 (向かって左からミキ、ラン、スー) と、彼女らのイメージコンセプトである「春」を確立。実はこの曲、トム・ジョーンズの「Something ‘bout You Baby I Like」(1974年) が元ネタとなっている。イントロのアレンジまでそっくりなのだ。
1975.02. 我が良き友よ かまやつひろし 作詞・作曲:吉田拓郎。カントリー、ロカビリー、GS、フォークと次々に音楽を乗り換え生き延びてきたカメレオン的人生には驚きを禁じ得ない (笑)。ちなみに、TVアニメ「はじめ人間ギャートルズ」の主題歌&挿入歌はかまやつひろし本人の作品 (笑)。
1975.03. 湖の決心 山口百恵 ジャケットの撮影は、篠山紀信。好きになった男性に尽くそうとする歌詞が、時代を感じさせる。
1975.04. 僕にまかせてください クラフト 作詞・作曲はさだまさし。TVドラマ『ほおずきの唄』主題歌。さだまさしの曲とマンドリンのカラカラする音色で悲しさ倍増の曲 (笑)。クラフトのメンバーには、後に稲垣潤一のヒット曲「クリスマスキャロルの頃には」を書く三井誠がいた。
1975.04. シクラメンのかほり 布施明 作詞・作曲は小椋佳で、布施明の代表曲となった。2005年には、テレビ特撮『仮面ライダー響鬼』の挿入歌を歌って久しぶりのヒットを記録した。
1975.04. Down Town/いつも通り Sugar Babe フジテレビ系お笑いTV『おれたちひょうきん族』のおかげで再ヒットする。この番組ではエンディングに、epoによるカバーが流れていた。「なぁっ、ないろのぉ〜」というフレーズが流れたら、今日も土曜日が終わってしまったんだなぁ〜、って感じていた人も多いはず (笑)。
1975.04. デュエット (二重唱) 岩崎宏美 デビュー・シングルで、息の長いヒットになった。次に出した「ロマンス」で一気にブレイクし、歌唱力のある歌謡曲歌手として80年代中頃まで活躍した。
1975.04. 哀しみの終るとき 野口五郎 デビューは高校1年生の時、曲名は「博多みれん」という演歌だった (笑)。もちろん、ヒットしなかった (笑)。他にも「卑弥呼」なんていうミョーな曲も歌っていた (笑)。調べてみたら、曲名は「HIMIKO (卑弥呼)」で、1979年にリリースされたシングル「青春の一冊」のB面に収録されていた。
1975.04. 恋のリクエスト あいざき進也 6枚目のシングルで、作曲は井上大輔 (当時は忠夫) 。彼にとって大きなヒットとなり、アイドルとしての人気をつかんだ。
1975.04. 心のこり 細川たかし シングル・ジャケットは、今と全然顔が違う。昔、漫談で「私バカよね」「わかっとるやないけ」と、ネタにもされていた (笑)。最初、曲名は「私バカよね」で、細川たかしは「いくらレコードの発売日がエイプリルフールだからって、これはないでしょう」と苦言を呈したほど (笑)。デビュー曲で大きなヒットとなったが、しばらく苦戦が続く。作詞のなかにし礼と作曲の中村泰士とのコンビは、後に「北酒場」(1982年3月) の大ヒットを生む。
1975.04. 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 手塚治虫の「ブラック・ジャック」にもグループ名が登場 (ほんのチョットだけ) し、「あんた あの娘の なんなのさ」が1975年を代表する流行語に。
1975.05. 千曲川 五木ひろし 長野県を流れる千曲川の情景を歌ったご当地ソングで、演歌としては珍しく3拍子が使われている。サビの部分は音域が高いため、カラオケでは歌いにくい。
1975.05. いつか街で会ったなら 中村雅俊 TVドラマ『俺たちの勲章』挿入歌。作曲は吉田拓郎で、Aメロは彼がリリースしたシングル「明日に向かって走れ」に似ている気がする。
1975.05. 恋の暴走 西城秀樹 顔も濃ければ、曲名も濃い (笑)。だって、デビューしたときのキャッチフレーズが「ワイルドな17才」だからねぇ (笑)。
1975.05. やすらぎ 黒沢年男 作曲は、「人生いろいろ」「珍島物語」「無錫旅情」などのヒットを持つ中山大三郎。曲調は石橋正次の「夜明けの停車場」に近いが、こちらは叶弦大の曲だ。
1975.05. 想い出まくら 小坂恭子 ポプコンでデビューしたシンガーソングライターで、大ヒットしたセカンドシングル。なんとなくもの悲しい曲調で、同じようにピアノを弾きながら歌う小坂明子と区別できない人も多かった (笑)。
1975.05. 巴里にひとり 沢田研二 13枚目のシングル。フランス語で録音されたバージョン(MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE)もある。しかもフランスでリリースされ、ヒットしてしまったといういわくつきの作品。
1975.06. リリー・マルレーン 加藤登紀子 デビュー曲は、1966年5月の「誰も誰も知らない」。こんな曲、今は誰も知らない (笑)。
1975.06. アンタあの娘の何なのさ 港のヨーコを守る会 「港のヨーコ……」を、ヨーコの側から見たアンサーソング。阿木燿子・宇崎竜童が携わっている。
1975.06. 北島三郎 彼は山本譲二、小金沢昇司、原田悠里などの歌手を輩出し、「おやじ」とも呼ばれている。
1975.06. 御免 井上陽水 いくら何もないからって、人に水をすすめるなっての (笑)。ポリドール時代最後のシングル。
1975.06. 石狩挽歌 北原ミレイ 「オンボロロ〜オンボロボ〜ロ〜ロ〜」が強烈なインパクト。ニシン漁を描いた演歌の名作。
1975.06. 帰って来た港のヨーコ エコノミック・アニマルズ これも「港のヨーコ……」のアンサーソングだが、阿木燿子・宇崎竜童は関わっていない (笑)。
1975.06. 夏ひらく青春 山口百恵 第26回NHK紅白歌合戦でこの曲を歌っている。
1975.06. 卒業写真 荒井由実 卒業式でもよく歌われる曲で、初期のユーミンの代表曲。
1975.06. 裏切りの街角 甲斐バンド ギターのリフの一部分に、「トルコの黄昏」を引用した、甲斐バンドの出世作。
1975.07. 乙女のワルツ 伊藤咲子 谷村新司がリリースしたアルバム『海猫』に収録されている「都忘れ」 (デュエット with 水沢有美) は、この曲が元ネタではないかと言われている (笑)。『海猫』は1975年12月20日発売で「乙女のワルツ」よりもちょっと後だから、この曲を聴いていたことは十分に考えられる (爆) 。本当のところはどうなんでしょう、チンペイさん?
1975.07. ロマンス 岩崎宏美 「あなたお願いよ……」のサビが印象的な初期の代表曲。このヒットで、第17回日本レコード大賞・新人賞、第6回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞と賞を総なめに。
1975.07. 誘われてフラメンコ 郷ひろみ Aメロで声が裏返るため、ちょっとオカマっぽい歌い方をする曲となった。フラメンコとふらふらを引っかけた遊び心ある曲。
1975.08. 開け! チューリップ 間 寛平 作詞・作曲の山本正之氏は、あのタイムボカンシリーズの主題歌を担当している人なのだ。チューリップとはパチンコの赤い羽のことで、イントロで流れているのは軍艦行進曲 (軍艦マーチ)。主に関西で広く知られている。
1975.08. 人恋しくて 南 沙織 秋〜冬にかけてのヒットを狙ったもの悲しい曲だが、「暮れそうで暮れない」のフレーズが強い引きになっている。作曲は「春うらら」で有名な田山雅充。
1975.08. 『いちご白書』をもう一度 バンバン 荒井由実が提供した曲で、バンバンの代表曲となった。いちご白書とは米映画を指す。学生運動をしていた男性が、就職を機に髪をばっさり切り、「もう若くはない」とつぶやいて体制側に与していく悲哀を歌ったもの。
1975.08. 時の過ぎゆくままに 沢田研二 沢田研二主演のドラマの企画から始まり、当時時効が騒がれていた三億円事件をモチーフに、三億円という危険な希望を抱いている青年の惨めな日常のイメージを取り入れている。谷村新司は、2000年度のコンサート・ツアー「History」でこの曲をカバーした。
1975.09. あなたを待って三年三月 森 昌子 紅白歌合戦でも歌っている。当時、17歳だった。曲調は、「高校三年生」風の青春歌謡+演歌。
1975.09. アザミ嬢のララバイ 中島みゆき 中島みゆきのデビューシングル。次に出す「時代」で一世を風靡し、シンガーソングライターの地位を確立する。
1975.09. 愚図 研ナオコ 作曲は宇崎竜童で、キャニオン・レコードに移籍してから出した初シングル。同名のアルバムには、「想い出まくら」「山谷ブルース」など、当時のヒット曲をカバーしている。
1975.09. 20才のめぐり逢い シグナル コーラスがきれいなフォークグループの代表曲。岸田智史は、一時期シグナルと同じ事務所にいたことがある。ヒット曲が出てしばらくすると、必ずそのイメージを払拭したくなって歌わなくなることがあるが、彼らのステージで「20才のめぐり逢い」を演奏しなかったのを見て、「きみの朝」をまた歌う決心をしたという (笑)。
1975.09. I Love You, O.K. 矢沢永吉 キャロル解散後、初のシングル。ロッカバラードが泣かせる。
1975.09. 今はもうだれも アリス アリス初のビッグヒットで、通称「今だれ」 (笑)。作詞・作曲は関西フォーク・トリオ「ウッディ・ウー」のリーダー、佐竹俊郎。ウッディ・ウーのヴァージョンは、既に1969年にリリースされていた。アリスのカバーは、よりビートを強調したサウンドになっている。
1975.09. ささやかな欲望 山口百恵 10枚目のシングルで、B面の「ありがとう あなた」はTBS系TVドラマ『赤い疑惑』の主題歌。
1975.09. 紫のハイウェイ COOLS(クールス) 元々はキャロルの親衛隊として有名となったバイクチームで、キャロル解散後にデビュー。デビュー前には俳優の岩城滉一も在籍していたが、俳優としての進路が決まっていたためデビュー前に脱退という形に。「紫のハイウェイ」は作曲が五大洋光だが、これは矢沢永吉の変名。これは当時、矢沢が洋光台に住んでいたからと言う話がある。B面の「あの娘はステディ・ガール」はジョニー大倉が作曲と、事実上キャロルメンバーのサポートを全面に受けてのデビューとなった。当時のメンバーは舘ひろし、水口晴幸、村山一海、ジェームス藤木、飯田和男、大久保喜市、佐藤秀光。
1975.10. あの日にかえりたい 荒井由実 TVドラマ『家庭の秘密』主題歌。何気ないイントロの女性コーラスもいい味を出している。この曲の路線でデビューしたのが丸山圭子だった。
1975.10. 俺たちの旅 中村雅俊 彼が主演したTVドラマ『俺たちの旅』主題歌で、小椋佳の曲。
1975.10. 黒の舟唄 長谷川きよし 桑田佳佑も、CDシングル「真夜中のダンディ」のカップリングでカバーしている。
1975.10. センチメンタル 岩崎宏美 前作「ロマンス」に引き続いてヒットした。作曲は筒美京平。
1975.10. 白い教会 西城秀樹 雑誌に、「学校に近いお店のオートバイを借りて『乗りまわしたいなー』」という写真が載っていた。よく見たら、それは酒屋の配達用のカブだった (笑)。この曲はアレンジがかなり仰々しい気がする。
1975.11. 青空、ひとりきり 井上陽水 フォーライフ移籍後、初のシングル。
1975.11. めまい 小椋 佳 TVドラマ『娘たちの四季』主題歌。長年銀行マンとして働いてきた彼だったが、退職後に東京大学に再入学。キャンパスに本当に小椋佳が授業を受けていたと知り合いが言っていた。
1975.11. 無縁坂 グレープ 6枚目のシングルで、やはり暗かった (笑)。彼らのヒット曲はすべて暗い曲で占められており、これが解散の引き金となったという。1991年に再結成したときは、年をとったから「グレープではなくレーズンでいこう」といって笑いをとっていた。NTV系テレビドラマ『ひまわりの詩』主題歌。
1975.11. なごり雪 イルカ これまで作詞しかしてこなかった伊勢正三が、本格的に作曲に取り組んで完成させた名曲。当時、かぐや姫が歌っており、ヒットは確実といわれていた。最初、彼女にこの曲がまわってきたときは世界観を壊すのではないかと一度は断っている。イルカはスターダスターズのテナーサックス奏者として有名だった保坂俊雄の娘で、小さな頃からジャズを聴いて育った。メジャー指向がなく、好きなことを追いかけていた彼女には大きなステップアップとなった。
1975.11. 弟よ 内藤やす子 デビュー曲。両親は浪曲師だった。ドスがきいたハスキーな声質で、やさぐれた歌い方が特徴。
1975.12. 時代 中島みゆき ヤマハのポプコン、そして世界歌謡祭のグランプリに輝いた代表曲。
1975.12. 北の宿から 都はるみ 小林亜星の曲により大ヒット、この曲で一時代を築いてしまった。この曲が売れたため、なかなか次のシングルを出さなかった。これが原因となって低迷を余儀なくされ、復活するのは80年に発売された「大阪しぐれ」まで待たなければならなくなったことはよく知られている。また、1曲のヒットシングルで引っ張りすぎて次のシングルが大コケした姿を見ていたホリプロは、石川さゆりが「津軽海峡冬景色」が大ヒットしても、シングルをコンスタントに出させて、低迷を回避させている。
1975.12. 木綿のハンカチーフ 太田裕美 ドラマ仕立ての歌詞がよかった。このシチュエイションを逆にしたのが松村和子の「帰ってこいよ」。
1975.12. 眠れぬ夜 オフコース オフコースの出世作。フォークっぽさから少しずつ脱却し、ニュー・ミュージック路線に向かうきっかけとなった曲。
1975.12. およげ!たいやきくん/いっぽんでもにんじん 子門真人 子ども向けTV番組『ひらけ!ポンキッキ』で使われ、大ヒット。日本で最も多い枚数を売り上げたシングルとして語り継がれている。しかし印税契約ではなかったため、彼には全然お金が入らなかった話は有名。このヒットのおかげで、キャニオンレコードは自社ビルを建てた。それから24年後、この会社は同じ系統で「だんご三兄弟」を大ヒットさせた。その時の歌手も印税が入らなかったという、二重でトホホなお話。作曲をした佐瀬寿一 (させ・じゅいち) は他にも山口百恵の「パールカラーにゆれて」「赤い衝撃」、キャンディーズの「暑中お見舞い申し上げます」などを作曲している。
1975.12. 白い約束 山口百恵 B面の「山鳩」は、東宝映画『絶唱』の主題歌。

<Years Navi>
【明治時代】
1868-1872 (明治01-05) 年 1873-1877 (明治06-10) 年
1878-1882 (明治11-15) 年 1883-1887 (明治16-20) 年
1888-1892 (明治21-25) 年 1893-1897 (明治26-30) 年
1898-1902 (明治31-35) 年 1903-1907 (明治36-40) 年
1908-1911 (明治41-44) 年
【大正時代】
1912-1916 (大正01-05) 年 1917-1921 (大正06-10) 年
1922-1925 (大正11-14) 年
【昭和時代】
1926-1927 (昭和01-02) 年 1928-1929 (昭和03-04) 年
1930-1931 (昭和05-06) 年 1932-1933 (昭和07-08) 年
1934-1935 (昭和09-10) 年 1936-1937 (昭和11-12) 年
1938-1939 (昭和13-14) 年 1940 (昭和15) 年
1941 (昭和16) 年 1942 (昭和17) 年 1943 (昭和18) 年
1944 (昭和19) 年 1945 (昭和20) 年 1946 (昭和21) 年
1947 (昭和22) 年 1948 (昭和23) 年 1949 (昭和24) 年
1950 (昭和25) 年 1951 (昭和26) 年 1952 (昭和27) 年
1953 (昭和28) 年 1954 (昭和29) 年 1955 (昭和30) 年
1956 (昭和31) 年 1957 (昭和32) 年 1958 (昭和33) 年
1959 (昭和34) 年 1960 (昭和35) 年 1961 (昭和36) 年
1962 (昭和37) 年 1963 (昭和38) 年 1964 (昭和39) 年
1965 (昭和40) 年 1966 (昭和41) 年 1967 (昭和42) 年
1968 (昭和43) 年 1969 (昭和44) 年 1970 (昭和45) 年
1971 (昭和46) 年 1972 (昭和47) 年 1973 (昭和48) 年
1974 (昭和49) 年 1975 (昭和50) 年 1976 (昭和51) 年
1977 (昭和52) 年 1978 (昭和53) 年 1979 (昭和54) 年
1980 (昭和55) 年 1981 (昭和56) 年 1982 (昭和57) 年
1983 (昭和58) 年 1984 (昭和59) 年 1985 (昭和60) 年
1986 (昭和61) 年 1987 (昭和62) 年 1988 (昭和63) 年
【平成時代】
1989 (平成01) 年 1990 (平成02) 年 1991 (平成03) 年
1992 (平成04) 年 1993 (平成05) 年 1994 (平成06) 年
1995 (平成07) 年 1996 (平成08) 年 1997 (平成09) 年
1998 (平成10) 年 1999 (平成11) 年 2000 (平成12) 年
2001 (平成13) 年 2002 (平成14) 年 2003 (平成15) 年
2004 (平成16) 年 2005 (平成17) 年 2006 (平成18) 年
2007 (平成19) 年 2008 (平成20) 年 2009 (平成21) 年
2010 (平成22) 年 │ 2011 (平成23) 年 │ 2012 (平成24) 年 │
2013 (平成25) 年 │ 2014 (平成26) 年 │ 2015 (平成27) 年 │
2016 (平成28) 年 │ 2017 (平成29) 年 │ 2018 (平成30) 年 │
【令和時代】
2019 (令和01) 年 │ 2020 (令和02) 年 │