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 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

流行年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1980.01. 松山千春 彼は北島三郎に「僕が紅白に出てなくて良かったね。僕が出たら絶対にトリをとるからさ」という暴言を吐いていたことが判明 (笑) 、和田アキ子は「私でもそんなことはいえない」と言っていた (笑)。
1980.01. Tokio 沢田研二 パラシュートを背負って立つ姿が目に焼き付いて離れない大ヒット曲。後年、カブキ・ロックスが歌詞を変え「お江戸」としてカバー、「A to Z」を「いろはにほへと」と歌っていた (笑)。作詞は糸井重里。
1980.02. 涙のアベニュー サザンオールスターズ 高木澪もカバーしてた。ここから「チャコ〜」がヒットするまでは、彼らにとっての第1次停滞期。それでも、高田みづえに提供した「私はピアノ」はヒットしていた。さすがは桑田佳佑。
1980.02. ランナウェイ シャネルズ 鈴木雅之、桑野信義、田代まさしなどが在籍するドゥ・ワップを主体にしたグループ。この曲はメジャーデビュー曲で、パイオニアのラジカセ「ランナウェイ」のCMソング。
1980.03. アンジェリーナ 佐野元春 曲はブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走」。
1980.03. 嵐の金曜日 ハウンド・ドッグ 彼等のデビュー曲。パンチパーマ (?) 姿で犬をなでている大友康平はチョットこわい (笑)。この曲は、レコード会社の人に「これは間違いない! レコード大賞もんだ」と言われていたが、大友康平に言わせると「何がレコード大賞だ、100位にも入んねぇじゃねぇか。首絞めてやろうかと思ったね (笑) 」ということだった (笑)。
1980.03. ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ 鹿取洋子 ジャケット違いのシングルが2種類ほど出ている。なかなかインパクトがあり、個人的にはかなり好きだったがなぜか憶えている人は余りいない (笑)。後に名前を「鹿取容子」に変えてアニメソングなどを歌っていたが、あまりパッとしなかった。でも、『超時空騎団サザンクロス』の主題歌「星のデジャ・ブ」は名曲。問題があったのは作品自体だったんだね、きっと (爆) 。
1980.03. This is a Song for Coca-Cola 矢沢永吉 コカ・コーラのCMソング。ワーナー・パイオニア移籍第一弾シングル。商品名をそのまま曲名にした (つまり、露骨すぎるタイアップ戦略がいやがられた) ため、放送業界から締め出されてしまった。
1980.04. 雨の慕情 八代亜紀 左手の薬指を衣装の一部分に通せるようになっていて、「雨雨ふれふれ」の部分でひらひらさせる振り付けが印象的だった。
1980.04. 帰ってこいよ 松村和子 三味線歌謡の極めつけで、しかも大ヒット。「津軽三味線」と歌謡曲を結びつけた最初の曲で、以降細川たかしの「望郷じょんがら」などへ引き継がれていく。しかも歌詞は「木綿のハンカチーフ」の逆ヴァージョン。詞では「木綿の〜」は潔く男にサヨナラするのに対して、こっちの歌詞では男の方が未練たらたら。この対照的なところが面白い。2000年にはものまね歌合戦で復活、globeや小柳ゆき、矢神純子などが好評だった。
1980.05. いなせなロコモーション サザンオールスターズ ドリス・デイ、シュープリームスなど、懐かしい歌手や曲のオンパレードで、オールディーズファンにはうれしい。
1980.05. ロックンロール・ウィドウ 山口百恵 百恵ちゃんの控えめだが力強いシャウトが聴ける珍しいロックン・ロール・ヒット。作曲はもちろん宇崎竜童。
1980.05. 谷村新司 移調すれば、ピアノの「黒鍵」だけで弾ける。世界中で歌われている、谷村新司のワールドワイドな「スバル」しい大ヒット曲 (笑)。ニッカウヰスキー、スーパーニッカのCMソング。作ったのは引っ越しの最中で、詞とメロデイが同時に浮かんできて、30分ほどで書き上げたという。アルバム『昴』の1曲目は、「Runnin’ On My Way 春爛漫」 (「Runnin’ on」) 、「通夜の夜には不釣り合い」 (「玄冬記」) というとんでもない歌詞から始まる強烈な曲が勢揃いしている (笑) が、自分の息子 (なぜかペンネームは「へもけ」という) のために作ったという「マイ・ボーイ」が新司ファンには人気があるらしい。コンサート「History2000」では、階段を駆け上り「フランク・シナトラに「マイ・ウェイ」があるように、谷村新司にはこの曲があります!」という前説をしていた。さすがシンジ。
1980.05. タブー (禁じられた愛) 郷ひろみ カーリーヘアで、桑名正博と区別がつきにくかった (笑)。
1980.06. 哀愁でいと 田原俊彦 デビュー曲だったからか、カバー曲だったからか、トシちゃんのヒット曲では一番マトモだった (笑)。原曲は、レイフ・ギャレットの「ニューヨーク・シティ・ナイツ」。
1980.06. トゥナイト シャネルズ アマチュア時代に大瀧詠一とつながりがあって、プロデビューしようと思うと相談した時に「やめたほうがいい」と言われたそうな。
1980.07. 明日なき世代 浜田省吾
1980.07. Bright Eyes 井上陽水 1968年、陽水は大学受験再失敗。原因は、ビートルズ、女性、パチンコ、麻雀、と項目が増えた (笑)。
1980.07. How Many いい顔 郷ひろみ 彼が歌う歌詞には時々「うぶ毛」が登場する。この言葉を聞くたびに何となくおかしさを感じるのは私だけだろうか? (笑)
1980.07. パープルタウン 八神純子 谷村新司は「彼女は英語の発音がいいんですよね。パープルタウンって切って発音するんじゃなくて、パーポートーンみたいに。だから、『パポトン』って何かな? と思ってたんですよ」と言っていた (笑)。この曲の元ネタは、レイ・ケネディの「ロンリー・ガイ」(原曲タイトルは”You Oughta Know By Now”)。余りに似ているので、元ネタ曲の作曲者であるレイ・ケネディやデヴィッド・フォスターらが八神純子とともに作曲者として名を連ねている。
1980.08. 恋人よ 五輪真弓 突然、なぜかの大ヒット。キャリアが長い割に、「少女」 (1972年) や[さよならだけはいわないで」 (1978年) 程度のヒットしか知られていなかった。テレビの露出が増えたのはいいが、いつの間にかあだ名が「ベラ」に (笑)。きっと、ヤマタツと同じ幽霊系の顔をしているからだろう (笑)。
1980.08. みちのくひとり旅 山本譲二 作曲の三島大輔は臼井邦彦といい、歌手やレコード会社のあてもないまま作った曲のうちの1曲だった。作詞の市場馨は「夜明けの停車場」の作詞をした丹古晴己と弟子の水木翔子の合作ペンネームだ。山本譲二はダーティハリーをもじった伊達春樹という名前で一度デビューしているがうまくいかず、北島三郎のもとで再起を図っていた。有線放送で注目を集めるようになり、テレビ番組で歌ったことがブレイクのきっかけとなった。
1980.08. シャドー・シティ 寺尾 聰 毎週「歌のトップテン」などに出演しており、話題がなくなってきたからかこんなことがあった。「ボクは混んでる電車の中でも座るのが得意なんですよ」といって、お尻を振りながら他の歌手が座っている座席にむりやり割り込んでいた (笑)。
1980.09. 酒場で Dabada 沢田研二 漫画「すごいよ!マサルさん」のギャグで「ダバダバ〜」というのがあったが、この曲の影響があるんだろうか?
1980.10. なみだ涙のカフェテラス ジューシィ・フルーツ 「ジェニーはご機嫌ななめ」に続くシングル。B面の「恋はベンチシート」のタイトルが、後に出るザ・ぼんちの「恋のぼんちシート」に流用されるのだった。作詞はともに近田春夫だったからね (笑)。
1980.10. 風は秋色 松田聖子
1980.10. My Sugar Babe/Daydream 山下達郎
1980.10. 出航 (さすらい) 寺尾 聰 「歌のトップテン」で確か3曲同時にチャートインしたが、その中では一番目立たなかった。
1980.11. クレイジーラヴ 井上陽水 1969年、陽水は大学受験再々度失敗。原因は受験慣れだった (笑)。勉学に向いてないことをやっと悟り、歌を歌い始めた (笑)。
1980.11. 味噌汁の詩 千 昌夫 「みそしる」ではなく「みそする」と歌うとバッチリ決まる (笑)。
1980.11. ペガサスの朝 五十嵐浩晃 明治チョコレートCMソング。はっぴいえんどで活躍した鈴木茂の編曲により、シティ・ポップスとして完成度の高い作品に仕上がっている。

<Years Navi>
【明治時代】
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【大正時代】
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1930-1931 (昭和05-06) 年 1932-1933 (昭和07-08) 年
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【平成時代】
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【令和時代】
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