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 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

流行年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1976.01. ファンタジー 岩崎宏美 4枚目のシングル。当時高校2年生 (堀越学園) で、車ではなく電車で通学していた。
1976.01. 立ちどまるなふりむくな 沢田研二 15枚目のシングル。前シングル「時の過ぎゆくままに」がよかったため、地味な印象は否めなかった。
1976.02. 愛の狩人 平田 満 東北弁で喋りながらサビで歌うコミックソング。サウンドはホーンセクションもファンキーな感じで、典型的な一発屋。後で出した「東村山音頭」は志村けんと競作になったが、当然向こうの方がテレビの露出も多かったので負けている。
1976.02. 愛の始発 五木ひろし 「川は流れる橋の下」を何度も繰り返すため、覚えやすい。しかしこの曲のヒットの後、「おまえとふたり」で復活するまでやや低迷する。
1976.02. 大阪ラプソディー 海原千里・万里 姉妹漫才コンビで、当初は関西を中心に活動していたが、1976年当時、東京ではラジオとテレビを含めて13本のレギュラーを持っていた売れっ子漫才師となっていた。海原千里は現在の上沼恵美子。2人の歌声はキレがあり、なかなかのものだ。このシングルはデビュー曲で、漫才師になったときに裏を披露していたことからレコード会社から声がかかった。発売前のラジオCMでは、曲を一切流さずに「 海原千里・万里。新曲、2月25日発売」とナレーションを流すだけで、リスナーに「どんな曲なのか?」と思わせる戦略がとられた。発売時には袴を着てのぼりを立てた人力車に乗って銀座を練り歩き、ホテルの宴会場でマスコミ向けの発表会を行っている。
1976.02. 春うらら 田山雅充 南沙織に「人恋しくて」を提供していた作曲家で、「春うらら」でソロデビュー。当時活況を呈していたさまざまな音楽祭にノミネートされ、注目が集まった。
1976.02. 君よ抱かれて熱くなれ 西城秀樹 16枚目のシングル。途中で曲調がガラッと変わり、明るくなるのが特徴。
1976.02. たった二年とニケ月で 水森英夫 氷川きよしを見いだした育ての親で、一連のヒット曲を書いている。この曲は自身の作曲だ。
1976.02. わかって下さい 因幡 晃 第10回ヤマハポピュラーソングコンテスト (ポプコン) で最優秀曲賞を受賞した代表曲。
1976.03. 愛に走って 山口百恵 B面の「赤い運命」は、TBS系テレビドラマ『赤い運命』主題歌。
1976.03. 明日に向って走れ 吉田拓郎 「あす」ではなく「あした」と読む。Aメロのキーが低いので、歌いにくそうだ。
1976.03. 翳りゆく部屋 荒井由実 イントロの荘厳なパイプオルガンとコーラスでガツンとくるバラード曲。いろいろなアーティストにカバーされている。
1976.03. きみ可愛いね 伊藤咲子 1989年、ZIGGYが「Gloria」をリリース。Aメロはどこかで聴いたことがあると思っていたら、実はこの「きみ可愛いね」のAメロとほとんど同じことが判明 (笑)。谷村新司にパクられた (?) 「乙女のワルツ」といい、この曲といい、実はパクられているものが多い。
1976.03. 春一番 キャンディーズ キャンディーズの「春」というイメージを定着させたヒット曲。メロディのほとんどは同じ旋律を歌うユニゾンなので、カラオケでも歌いやすい。歌詞は千家和也が担当する予定となっていたが、穂口の仮作詞を高く評価したため、作詞・作曲・編曲は穂口雄右が一人で担当することになった。
1976.03. ビューティフル・サンデー 田中星児 「スバ、スバ、スバ、スバらしいサーンデ〜」と、ド肝を抜く訳詞で聴く者を圧倒した、ダニエル・ブーンのカバー曲。ジャケットは両A面扱いのように見えるが、盤を見てみると「ビューティフル・サンデー」はB面扱いだったことがわかる。ちなみに、彼とグッチ祐三はいとこに当たるが、全然似ていない (笑) 。とある情報によると、現在はカラオケ教室の先生をしているとのこと。そういえば、森永チョコボールの金のマーク1枚、銀なら5枚を集めておもちゃをもらおうなんていうCMにも出てましたね (懐) 。
1976.03. ロードショー 古時計 デビュー曲があっという間に大ヒットしたフォークデュオ。さらに解散もあっという間で、翌年の3月というから驚きだ。たった1年ほどの活動しかしなかったのは、メンバーのジェームス西田は内定が決まっていたヤマハに就職したからだった。合方の大場弘一は、石川県の実家に戻り家業を継いでいる。
1976.04. 帰らざる日々 アリス シャンソン風の曲。最初に書かれた歌詞はもっとシリアスで「自殺」がテーマだったという。あまりに重すぎたので書き直したらしい。
1976.04. 路地裏の少年 浜田省吾 ソロデビューシングル。ここからしばらく悪戦苦闘が続き、ブレイクは「風を感じて」(1979年) までしばらくお預けとなる。
1976.05. 盆帰り 中村雅俊 作詞・作曲が小椋佳であることは、つぶやくように歌うことからもよくわかる。お盆のシーズンによくかかっていた。
1976.05. 未来 岩崎宏美 抜群の歌唱力と落ち着いた物腰で、現役女子高生にはまったく見えなかった (笑)。
1976.05. 夏にご用心 桜田淳子 15枚目のシングル。短めのスカートで、脚を上げる振り付けにドキッとした人も多かった。「ご用心!」のフレーズがインパクトがあった。
1976.05. おゆき 内藤国雄 彼はプロの将棋棋士で、弦哲也の演歌曲を歌って大ヒットした。
1976.05. 東京砂漠 内山田洋とクール・ファイブ ダイア建設のCMソングとして20年以上にわたって使われたため、知名度が高い曲となっている。しかし、当のダイア建設は2009年に倒産、民事再生法の適用を受けた。時代の流れを感じますなぁ。
1976.05. わかんねえだろうナ 松鶴家千とせ 今の人には、松鶴家千とせと言っても「わかんねえだろうナ」 (笑)。シャバダバ〜。
1976.06. 鳴呼! 花の応援団 異邦人 「チョンワ! チョンワ!」で有名だった、どおくまん原作のマンガ『嗚呼!! 花の応援団』のイメージソング。関西弁で語り、歌うコミックソング。
1976.06. あなただけを あおい輝彦 ソロになってから最大のヒット曲。作詞は、元ガロの大野真澄、作曲は猫の常富喜雄だった。この曲と「Hi-Hi-Hi」「センチメンタル・カーニヴァル」がソロヒット3部作といわれている。つまり、「あなただけを」が水戸黄門、「Hi-Hi-Hi」と「センチメンタル・カーニヴァル」がそれぞれ助さん、角さん役と考えれば分かりやすいかも (笑)。
1976.06. 北酒場 五木ひろし フォークの神様、岡林信康が作った演歌曲だが、今となっては忘れ去られて曲となっている。というのも、1982年に細川たかしが「北酒場」を大ヒットさせてしまったからだ (笑)。細川の曲とは全く違うので要注意。
1976.06. きらめき 野口五郎 20枚目のシングル。ミディアムテンポで愛を歌い上げる曲だったことがヒットの要因だったのかもしれない。
1976.06. 酒と泪と男と女 河島英五 昔、BOROの「大阪で生まれた女」と区別がつかなかった (笑) 。彼は高校生時代に、バスケットボール部の仲間とバンド「ホモ・サピエンス」 (笑) を結成、高校の卒業式で答辞を読むことになったが、なんとギターの弾き語りで歌ってしまった。これが新聞の記事になり、それを読んだテレビのディレクターから声がかかって、大阪のテレビに出演することになったとか。その後、紆余曲折を経て1975年に「何かいいことないかな」でソロデビュー、この「酒と泪と男と女」はデビュー・アルバム『人類』に収められていた。彼の風貌は、「ホモ・サピエンス」というよりは「北京原人」とか「ネアンデルタール人」に近いと思うのだが、気のせいだろうか (笑) 。
1976.06. ダスティン・ホフマンになれなかったよ 大塚博堂 大塚たけしという名前で歌手デビューしていたが、ヒットに恵まれず。32歳の時、この曲で再デビューし好評を博す。精力的に活動するものの、1981年に37歳の若さで亡くなっている。
1976.06. 目覚めた時には晴れていた 伝書鳩 単に寝坊しただけちゃうの? (笑) メンバーは後に作詞家として大成する (高山厳「心凍らせて」、わらべ「めだかの兄妹」、芹洋子「四季の歌」など) 荒木とよひさがいたことでも知られている。TVドラマ『土曜グランド劇場』主題歌。
1976.06. パタパタママ のこいのこ 子ども向けTV番組『ひらけ!ポンキッキ』で使われていた。「ホネホネロック」と共に名曲。
1976.06. ささやかなこの人生 3枚目のシングルで、サビが少々地味だが代表曲の1つ。
1976.06. 別涙 因幡 晃 「わかれ」と読む。「わかって下さい」の次に出たシングルで、そこそこヒットした。テレビ番組で、詞を書く時の発想はどこから来るんですかという質問に、「女性言葉の別れの歌が、自然と出てくるんですよ」と答えていた。いわれてみれば、彼のヒット曲はそんなのばっかりだなぁと納得。
1976.06. 山口さんちのツトム君 川橋啓史 この曲のヒットから約13年後、「○○○○さんちのつ○○くん〜 このごろ少し変よ〜 どうしたのかな〜」という替え歌がほんのちょっとだけ流行った (笑)。NHK『みんなのうた』より。
1976.06. 横須賀ストーリー 山口百恵 「これっきり、これっきり……」のリフレインが強烈なインパクト。シングル曲では初めて阿木燿子・宇崎竜童の楽曲を採用している。第7回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞。
1976.06. 嫁にこないか 新沼謙治 岩手県出身で、木訥とした田舎の青年が女性にプロポーズするという曲で、代表曲となった。後に、バドミントンの世界的名手といわれる湯木博恵と結婚。
1976.07. どうぞこのまま 丸山圭子 ポスト・ユーミンとして話題を集めたが、結婚を機に引退。
1976.07. 揺れるまなざし 小椋 佳 真行寺君枝が出演した資生堂のCMソングになった。
1976.08. あなたがいたから僕がいた 郷ひろみ 「よろしく哀愁」の系列に連なる、切なさ全開の曲といえる (笑)。
1976.08. ペッパー警部 ピンク・レディー デビューシングルで、シングル・ジャケットの「Mie」の太り方がスゴイ (笑)。TVオーディション番組『スター誕生』から生まれたデュオ。この番組の決勝では、つなぎの服を着てピーマンというグループの「部屋を出て下さい」を歌っていた。そのときは、彼女たちよりも歌手デビュー後にタレントとなる清水由貴子の方に注目が集まっていた。後に、モー娘。もカバーしている。
1976.08. 青春時代 森田公一とトップ・ギャラン 歌詞は最初、寮歌のようなバンカラなものだったが、曲調と合わなかったため全部書き直したという。
1976.08. 四季の歌 芹 洋子 作詞・作曲は荒木とよひさ。彼は学生時代スキー選手だったが、新潟県で骨折、治療に3年もの年月が必要だった。この曲は彼が病院のベッドの上で作ったもので、彼は当時19歳。ギターを弾きながら看護婦たちに歌って聴かせていたものが一人歩きして、作者不明の曲として広く歌われるようになったという。彼女の曲はNHKの中国向け放送で流れたことから、「四季歌 (スーチーコー)」という名前で親しまれることになった。
1976.09. コバルトの季節の中で 沢田研二 作曲は本人、自然体で歌いやすい曲に仕上がっている。プロデューサーは石川浩二、ミキサーは野村正樹、コーディネーターは木崎純久だった。
1976.09. メランコリー 梓みちよ 売れっ子の作詞家・喜多条忠と、作曲家・吉田拓郎を迎えて、大人の女性を描いた曲でヒットした。「こんにちは赤ちゃん」「二人でお酒を」「メランコリー」が彼女のヒット3部作。
1976.09. もう一度逢いたい 八代亜紀 第18回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞曲。太くかすれた声質だったため、演歌に向いていた。ただし、後年歌いすぎて声がガラガラになってしまった。
1976.09. 想い出ぼろぼろ 内藤やす子 作詞・作曲は阿木・宇崎のコンビ。ちょっとドスがきいていて、やさぐれた歌い方とカーリー・ヘアが印象的だった (笑)。山口百恵も後にカーリー・ヘアにしていたり、阿木・宇崎のコンビでちょっとドスをきかせた感じでヒット曲を連発したが、やっぱり全然方向性が違うわね (笑)。第18回日本レコード大賞・最優秀新人賞を受賞。
1976.09. パールカラーにゆれて 山口百恵 前作「横須賀ストーリー」の余波を受けてこちらもヒット。
1976.10. あばよ 研ナオコ 中島みゆきが提供した曲。
1976.10. すきま風 杉良太郎 彼が主演していたTV時代劇『名奉行遠山の金さん』の挿入歌で、流し目と共に中年女性のファンを悩殺 (笑)。オリコンチャートではトップ20に入らなかったものの息の長いヒットとなったことで、彼の代表曲としてよく知られるようになった。いではくが作詞、遠藤実が作曲、京建輔が編曲を担当し、この3人は後に千昌夫の「北国の春」(1977年)でもロングヒットを飛ばすことになる。ちなみに、編曲の京建輔は特撮『怪傑ズバット』の音楽、主題歌、挿入歌も担当している。
1976.11. 哀愁のシンフォニー キャンディーズ 大人っぽいムードを持ち、サビで曲の雰囲気が変わる。「怖い」のコーラスの部分をうまく聴かせる仕組みになっている。
1976.11. 赤い衝撃 山口百恵 TBS系テレビドラマ『赤い衝撃』主題歌。作詞は千家和也、作曲は「およげ! たいやきくん」を作った佐瀬寿一で、この作品以降は阿木燿子、宇崎竜童のラインがメインとなる。
1976.11. かけめぐる青春 ビューティー・ペア (ジャッキー&マキ) 「ビューティビューティ〜」で有名な女子プロ・デュオ最大のヒット曲。リングネームはダニエル・ブーンの「ビューティフル・サンデー」から取ったとか (謎) 。全盛期にはファン倶楽部の会員が1万人を越えた (そのほとんどが女子中学生) 。マキ上田は1975年3月19日、大田区体育館で、ジャッキー佐藤は同年4月27日に後楽園ホールで、それぞれプロレスデビューしている。
1976.11. S・O・S ピンク・レディー ディレクターの飯田久彦のイメージとしては、「ザ・ピーナッツ (歌がうまい女性デュオ)」+「山本リンダ (踊れる歌手)」=「ピンク・レディー」ということだったらしい。
1976.11. 失恋レストラン 清水健太郎 清水健太郎、略してShimikenの大ヒット曲で、第28回NHK紅白歌合戦にも出場、作詞・作曲はつのだひろ。デビューは24歳とかなり遅めだった。
1976.12. デンセンマンの電線音頭 デンセンマン・伊藤四朗・小松政夫 「人造人間キカイダー」に出てくるハカイダーのような顔をしたデンセンマンが踊る「電線音頭」は異常なスピードでお茶の間を席巻、「オットットットッ」が流行した。伊東四朗と小松政夫が出演していたTVバラエティ『みごろ! たべごろ! 笑いごろ!』で使われていた。始まった当初は視聴率が悪かったため、なんでもやってやろうということでかなりのハイテンションでこの曲を歌っていた。当時のVTRを見ると、彼らの迫力は鬼気迫るものがある (笑)。デンセンマンは、ニューギニアの火力発電所からやって来たという設定になっていた (笑)。
1976.12. フィーリング ハイ・ファイ・セット 1975年にアメリカでヒットしたモーリス・アルバート「フィーリング」のカバー。このヒットから約15年後、m.c.ハマーはペプシのCMでコカ・コーラを飲んでこの曲を歌っていた (笑)。さらには、1998年にオフスプリングがパンク・ロックのアレンジでカバー、このような動きがFLOWの「贈る言葉」など、J.Popパンクカバーにも影響している [と、勝手に思っている (笑) ]。

<Years Navi>
【明治時代】
1868-1872 (明治01-05) 年 1873-1877 (明治06-10) 年
1878-1882 (明治11-15) 年 1883-1887 (明治16-20) 年
1888-1892 (明治21-25) 年 1893-1897 (明治26-30) 年
1898-1902 (明治31-35) 年 1903-1907 (明治36-40) 年
1908-1911 (明治41-44) 年
【大正時代】
1912-1916 (大正01-05) 年 1917-1921 (大正06-10) 年
1922-1925 (大正11-14) 年
【昭和時代】
1926-1927 (昭和01-02) 年 1928-1929 (昭和03-04) 年
1930-1931 (昭和05-06) 年 1932-1933 (昭和07-08) 年
1934-1935 (昭和09-10) 年 1936-1937 (昭和11-12) 年
1938-1939 (昭和13-14) 年 1940 (昭和15) 年
1941 (昭和16) 年 1942 (昭和17) 年 1943 (昭和18) 年
1944 (昭和19) 年 1945 (昭和20) 年 1946 (昭和21) 年
1947 (昭和22) 年 1948 (昭和23) 年 1949 (昭和24) 年
1950 (昭和25) 年 1951 (昭和26) 年 1952 (昭和27) 年
1953 (昭和28) 年 1954 (昭和29) 年 1955 (昭和30) 年
1956 (昭和31) 年 1957 (昭和32) 年 1958 (昭和33) 年
1959 (昭和34) 年 1960 (昭和35) 年 1961 (昭和36) 年
1962 (昭和37) 年 1963 (昭和38) 年 1964 (昭和39) 年
1965 (昭和40) 年 1966 (昭和41) 年 1967 (昭和42) 年
1968 (昭和43) 年 1969 (昭和44) 年 1970 (昭和45) 年
1971 (昭和46) 年 1972 (昭和47) 年 1973 (昭和48) 年
1974 (昭和49) 年 1975 (昭和50) 年 1976 (昭和51) 年
1977 (昭和52) 年 1978 (昭和53) 年 1979 (昭和54) 年
1980 (昭和55) 年 1981 (昭和56) 年 1982 (昭和57) 年
1983 (昭和58) 年 1984 (昭和59) 年 1985 (昭和60) 年
1986 (昭和61) 年 1987 (昭和62) 年 1988 (昭和63) 年
【平成時代】
1989 (平成01) 年 1990 (平成02) 年 1991 (平成03) 年
1992 (平成04) 年 1993 (平成05) 年 1994 (平成06) 年
1995 (平成07) 年 1996 (平成08) 年 1997 (平成09) 年
1998 (平成10) 年 1999 (平成11) 年 2000 (平成12) 年
2001 (平成13) 年 2002 (平成14) 年 2003 (平成15) 年
2004 (平成16) 年 2005 (平成17) 年 2006 (平成18) 年
2007 (平成19) 年 2008 (平成20) 年 2009 (平成21) 年
2010 (平成22) 年 │ 2011 (平成23) 年 │ 2012 (平成24) 年 │
2013 (平成25) 年 │ 2014 (平成26) 年 │ 2015 (平成27) 年 │
2016 (平成28) 年 │ 2017 (平成29) 年 │ 2018 (平成30) 年 │
【令和時代】
2019 (令和01) 年 │ 2020 (令和02) 年 │