明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。
流行年月 | 曲名 | 歌手・アーティスト | ひとこと |
---|---|---|---|
1967.01. | この広い野原いっぱい | 森山良子 | 彼女は小学校から成城学園に通っていたお嬢様。この曲はレギュラー出演していたラジオ番組で、週に1曲、週津園舎が自作曲を発表するコーナーがあり、苦し紛れに30分ほどで作った曲。しかも、スケッチブックに印刷されていた歌詞に曲をつけたもの。このスケッチブックは銀座の画材屋が製作したもので、詞を作ったのは手芸家の小薗井圭子だった。この曲のヒットで、彼女は「フォークの女王」と呼ばれるようになった。 |
1967.01. | 遠い渚 | シャープ・ホークス | 1980年代にテレビのお笑い番組『おれたちひょうきん族』のホタテマンとして復活し、人気を集めた安岡力也が在籍していたグループ。 |
1967.02. | 君こそわが命 | 水原弘 | 「黒い花びら」以来パッとしなかったが、この曲で見事復活。そういえば最近、地方でも金鳥のアースレッドの看板を見なくなったような気がする。由美かおると双璧。 |
1967.03. | 恋のハレルヤ | 黛ジュン | デビュー曲が大ヒット、パンチのある歌声と、脚線美が特徴だった。 |
1967.03. | 小指の想い出 | 伊東ゆかり | 彼女の代表曲は、「あなたが噛んだ~」で有名なこの曲。この時代、小川知子、黛ジュン、中村晃子らとともにガール・ポップの先駆けとなった。 |
1967.03. | 新宿ブルース | 扇ひろ子 | 広島県出身で、大阪に住んでいたとき、芸事が好きな母親が歌謡学校に通わせていたのが歌に触れるきっかけとなった。その後、上京し、1964年にプロデビューしているが、なかなかヒットに恵まれなかった。そんなときに出会ったのがこの曲で、「これでダメなら歌手をやめよう」という背水の陣で望んだレコーディングは、なんと録り直しに。オーケストラをバックに情感たっぷりに歌い上げたのにと、ふてくされながらバンド編成で歌ったのが大ヒットしてしまう。彼女は太く低い声で歌うのが特徴で、このヒットのおかげで映画界から声がかかるようになり、仁侠映画によく出演するようになった。 |
1967.03. | 世界の国からこんにちは | 各社歌手 | 1970年の日本万国博覧会(大阪万博)のテーマソングとして島田陽子が作詞、中村八大が作曲したもので、同年3月1日に三波春夫、吉永小百合、坂本九らが各自で吹き込みをする形でレコードが発売された。その中でも三波春夫のシングル盤(テイチクからリリース)が最高の売り上げを記録し、140万枚を売り上げた。三波盤の解説書には、この曲とB面「万国博覧会音頭」を男女二人で踊る振り付けが掲載されていた(振り付けはテイチク文芸部が担当)。 |
1967.03. | ブルー・シャトウ | ジャッキー吉川とブルー・コメッツ | 彼らにとって最大のヒット曲になったが、作曲した井上忠夫 (後に大輔に改名) は歌謡曲に近かったため余りに気に入っていなかった模様。大ヒットしたことで、こうした歌謡曲路線のGSが次々とヒットを飛ばすようになった。ブルコメは本格的な洋楽路線のバンドだったので、この大ヒットがGSのイメージを固定してしまったと嘆いていた。また、「森トンカツ、泉ニンニク~」という替え歌も流行した (笑)。 |
1967.03. | 野バラ咲く路 | 市川染五郎 | 歌舞伎役者が歌うフォークソングということで話題となった。 |
1967.04. | 想い出の赤いヤッケ | 高石友也 | 日本初のインディーズ・レーベル、URCを立ち上げたのもこの人。 |
1967.04. | 花はおそかった | 美樹克彦 | 怒濤のセリフ攻め「大っきらいだ、白い雲なんて」「僕の命を返してくれ、返してくれよ!」あたりは、今聴いてもとかなり笑える。最後の「バカヤロー!」の叫びがいい。 |
1967.05. | シーサイド・バウンド | ザ・タイガース | ザ・タイガースの人気は決定づけた4枚目のシングルで、約40万枚を売り上げた。 |
1967.06. | あなたのすべてを | 佐々木勉 | シンガーソングライターで、後に作曲家に転向。「別れても好きな人」「3年目の浮気」「ラブ・ラブ・ミンキーモモ」などのヒット曲を書いている。 |
1967.06. | いとしのマックス | 荒木一郎 | 母親は女優の荒木道子で、シンガーソング・ライターの草分け的存在。加山雄三と双璧で、後のこの曲は舘ひろしがカヴァー (1991.8.) 。英語のタイトルは「Max A Go Go」。 |
1967.06. | 好きさ好きさ好きさ | ザ・カーナビーツ | アイ高野らメンバーの5人組GSバンドのデビュー曲で、ゾンビーズのカバー。ゾンビーズはイギリスで人気が高く、ビートルズらとともにブリティッシュ・インベンジョンの一翼を担うバンドだった。ゾンビーズの「好きさ好きさ好きさ」(英語タイトルは「I Love You」)は元々シングルのB面で、日本でのみヒットした。カーナビーツは、ロンドンの観光名所カーナビーストリートに由来しているとおり、影のあるブリティッシュ・サウンドを好んでいた。この曲は、アウト・キャストや遠藤ミチロウ、Mi-Ke、「あ~ん?」という口癖でおなじみの跡部さま(『テニスの王子様』のキャラソン)などにカバーされており、人気が高い。 |
1967.06. | 世界は二人のために | 佐良直美 | 佐良直美といえばこの曲。この曲で第9回日本レコード大賞の新人賞を受賞している。他にもTVテレビドラマ『ありがとう』に出演したり、『NHK紅白歌合戦』の司会者を務めたりするなど多方面で活躍した。 |
1967.06. | 真赤な太陽 | 美空ひばりとブルー・コメッツ | GSに挑戦したことで、音楽の幅を広げることに成功。作曲はジャズ・バンド、シャープス&フラッツのリーダー、原信夫だった。 |
1967.08. | 恋はみずいろ/今日の日はさようなら | 森山良子 | 彼女の父親は、コロムビア・ジャズ・バンドに在籍していたトランペッター、森山久だ。彼はサンフランシスコ生まれの日系二世で、「霧の十字路」という曲を残している。「恋はみずいろ」はヴィッキー・レアンドロスが歌ったフランスのヒット曲。1967年のユーロビジョン・ソング・コンテストで4位に入賞し、後にイージーリスニングのアーティストとして有名なポール・モーリアがインストゥルメンタル盤を発売して有名になった(1967年)。この波は日本にも押し寄せ、両シングルがヒット。ヴィッキーは1968年に来日し、日本語でもこの曲を歌っている。森山良子のシングルでは、ヴィッキーの日本語盤と同じく漣健児が作詞を担当している。 |
1967.08. | ひとりの時も | 荒木一郎、吉永小百合 | |
1967.09. | 風が泣いている | ザ・スパイダース | |
1967.09. | 北国の二人 | ジャッキー吉川とブルー・コメッツ | |
1967.09. | 恋をしようよジェニー | ザ・カーナビーツ | 大ヒットした「好きさ好きさ好きさ」に続く2枚目のシングルで、ボーカルは前作と同じアイ高野が担当した。作曲の藤まさはるは、フィリップスのディレクターをしていた本城和治のこと。 |
1967.10. | いつまでもどこまでも/バン・バン・バン | ザ・スパイダース | 「いつまでもどこまでも」は井上順が歌っている。B面の「バン・バン・バン」は映画で使われており、こちらの方が知名度が高い。ともにかまやつひろしの作曲。「バン・バン・バン」のサビ、「バンバン ババババ ババババーン」は、志村けんのギャグでも使われていた。 |
1967.10. | 命かれても | 森進一 | |
1967.10. | オーケイ! | ザ・カーナビーツ | 3rdシングルで、デイヴ・ディー・グループのカバー曲。訳詞は「ミュージック・マガジン」の編集長としても活躍した星加ルミ子。カーナビーツの定番曲となった。B面の「クレイジー・ラブ」は、ポール・アンカのカバー。 |
1967.10. | 小樽のひとよ | 鶴岡雅義と東京ロマンチカ | 北海道・小樽を代表するご当地ソングだが、最初は「粉雪のラブレター」という名前で、小樽という言葉は1箇所しか出てこなかった。そのため、いろいろと手直しをしてできあがったのがこの曲。曲名は北島三郎の「函館の女」のヒットを参考にしてつけられたという。 |
1967.10. | 恋人と呼んでみたい | 永井秀和 | |
1967.10. | 新宿そだち | 津山洋子・大木英夫 | 津山洋子とデュエットし、大ヒットした曲。アップテンポな8ビートの演歌で、サウンドはGS、歌い方は演歌というすごい取り合わせ。作詞家の別所透は、新宿祭りで歌えるよう、阿波踊り風の曲を書いてくれと遠藤実に注文したが、これから発展する街なので都会的な方がよいということで作ったのがこの曲。後に「雨の新宿」という二番煎じ的な曲もリリースしているが、津山・大木のコンビは1967年に解消。津山曰く「大木さんとはプロダクションが違ってましたから、あの曲を歌うときにデュエットしただけ」ということだったので、プロダクションが違っていたので仕事がしにくかったことがコンビ解消の一因らしい。津山は後の夫となる高樹一郎とコンビを組み、大木は二宮善子とデュエットした「あなたまかせの夜だから」がヒットしている。 |
1967.10. | 虹色の湖 | 中村晃子 | 歌手で初めて、ジーンズ姿で (日本の) テレビに出演。しかも花模様の刺繍が施してあった。 |
1967.10. | モナリザの微笑 | ザ・タイガース | 3枚目のシングルで、作詞は橋本淳、作曲はすぎやまこういちと前作「シーサイド・バウンド」と同じだ。 |
1967.10. | 忘れ得ぬ君/今日を生きよう | ザ・テンプターズ | ザ・テンプターズのデビュー・シングル。カップリングの「今日を生きよう」は、グラス・ルーツのヒット曲をカヴァーしたもので、両面ヒットとなった。「忘れ得ぬ君」は松崎由治、そして「今日を生きよう」はショーケンが歌っている。 |
1967.12. | 雨の銀座 | 黒沢明とロス・プリモス | |
1967.12. | 帰って来たヨッパライ | ザ・フォーク・クルセダーズ | 「おらは死んじまっただー」でTVアニメ「はじめ人間ギャートルズ」にも使われた。テープの倍速エフェクトがバカウケ。この曲が売れ始めてからのメンバーは、はしだのりひこ、加藤和彦、北山修。 |
1967.12. | 君だけに愛を | ザ・タイガース | 1967年2月5日のデビュー、このシングルは「僕のマリー」「シーサイド・バウンド」「モナリザの微笑」に続く第4弾。 |
1967.12. | 君に祖国を | ザ・シャデラックス | |
1967.12. | 盛り場ブルース | 森 進一 | 東京の夜の社交場として歌詞に登場する「銀座・赤坂・六本木」は非常にゴロがよい上に知名度の順番になっているため、広く知られることになった。第1回日本有線大賞、第1回全日本有線放送大賞・金賞を受賞。 |
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