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 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

流行年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1966.01. 逢いたくて逢いたくて 園まり ザ・ピーナッツが歌っていた「手編みの靴下」の歌詞を変更して発売したもの。彼女がリリースしたシングルでは最も売れたもので、園まり自身が主演を務める日活映画『逢いたくて逢いたくて』も1966年6月に封切られた。
1966.01. アラ見てたのね 都はるみ 12枚目のシングルで、「アラ見てたのねー!!」というフレーズが強烈なインパクトを残した。
1966.01. 唐獅子牡丹 高倉健 高倉健主演の任侠映画『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』主題歌で、前年の「網走番外地」に続くヒットシングル。安保闘争や反戦フォークなどが台頭していた頃、盛り場ではこうした任侠歌謡がヒットしていた。
1966.01. 星影のワルツ 千昌夫 最初はB面扱いでリリースされたが、じわじわと人気が出てついには1968年度年間シングル売上1位を記録。ヒットするまで1年半近くかかっている。
1966.02. 蒼い星くず 加山雄三 東宝映画『アルプスの若大将』の主題歌。演奏はランチャーズではなく、寺内タケシとブルージーンズである。
1966.02. いい湯だな デューク・エイセス  
1966.02. 骨まで愛して 城卓矢  
1966.04. バラが咲いた マイク真木 日大芸術学部在学中の1963年にモダン・フォーク・カルテットを結成し、コンサートやテレビなどで活動した。解散後はソロ歌手としてこの曲でデビュー、浜口庫之助によるわかりやすい歌詞とメロディで一躍有名となり、モダン・フォークの旗手といわれるようになった。
1966.04. 僕だけの君 西郷輝彦  
1966.04. ラブユー東京 黒沢明とロス・プリモス 彼らのデビュー曲は有線、ジュークボックスなどで支持され続け、息の長いヒットとなった。しかし、リリース当時はB面扱いで、カップリングの「涙とともに」がA面だった。1987年にはフジテレビ系お笑い番組『おれたちひょうきん族』に登場し、「ラブユー貧乏」というリメイク盤をリリースした。
1966.05. いつまでもいつまでも ザ・サベージ 1965年にエレキバンドのザ・サベージとしてデビューしたが、ほどなくしてメンバー2人が脱退、寺尾聰と渡辺純一が後任のメンバーとして加入、『勝ち抜きエレキ合戦』などのテレビ番組で優勝しホリプロダクションのオファーを受け「いつまでもいつまでも」でレコードデビューした。67年1月には寺尾が脱退、ザ・ホワイト・キックスというバンドに移るが解散。石原裕次郎の製作・主演映画『黒部の太陽』で俳優デビューし、これがきっかけで石原軍団門下となった。
1966.05. 銀座ブルース 和田弘とマヒナスターズ、松尾和子 銀座のホステスとクラブの客との会話を歌に織り込んだヒット曲で、女性ボーカルとして松尾和子が参加している。1966(昭和41)年の第17回NHK紅白歌合戦に出演した際には、この「銀座ブルース」を歌った。
1966.05. 柳ケ瀬ブルース 美川憲一 1965年「だけどだけどだけど」でデビューし、西郷輝彦に続く青春歌謡路線で行こうとしていたがさっぱり売れず。そういうわけで、最初にこの話があったときには「演歌だから」と一度は断っている。この曲が発売されたときにはすでに岐阜市柳ケ瀬ではちょっとしたヒットになっていた。作者の宇佐英雄が飲屋街で流して歩いていたからだ。後の「釧路の夜」もこの人の作品。
1966.06. お嫁においで 加山雄三 同年11月には『ゴジラ』で有名な本多猪四郎監督による青春映画『お嫁においで』が製作された。作詞は岩谷時子、作曲は加山雄三のペンネームである弾厚作。
1966.06. 君についていこう ザ・シャデラックス  
1966.06. 恍惚のブルース 青江三奈 デビュー曲。彼女の芸名は、川内康範が「週刊現代」に連載していた小説「恍惚」の女性歌手に由来する。この曲はヒットしたものの、レコード大賞の新人賞は逃している。その理由は、彼女曰く「新人歌手にしては老けすぎている」ということだったらしい。当時、彼女は21歳だったにもかかわらず、だ (笑)。/td>
1966.06. 人妻椿 三島敏夫 三島敏夫は昭和30年代にハワイアンバンドのバッキー白片とアロハハワイアンズ、和田弘とマヒナスターズなどでボーカルを担当しており、1963年に独立。「人妻椿」は松平晃による1936年のヒット曲をカバーしたもので、TBSテレビ『人妻椿』の主題歌となった。
1966.06. 星のフラメンコ 西郷輝彦 ハマクラの「星」シリーズの中の傑作。「星娘」もカッコイイぞ。
1966.07. 青い瞳(日本語版) ジャッキー吉川とブルー・コメッツ ブルコメの実質的なデビュー曲は、1966年3月にまず英語の歌詞で歌われたバージョンの「青い瞳(Blue Eyes)」が発売され、当時としては驚異的な10万枚を売り上げた。その後、B面の楽曲をインストゥルメンタルの「マリナによせて」に変更し、日本語の歌詞をつけた本作がリリースされ、こちらは50万枚の売り上げとなる大ヒットとなった。年代的には映画『007 サンダーボール作戦』の主題歌、「サンダー・ボール/ミスター・キス・キス・バン・バン」のシングルが1966年2月と最も早いが、こちらはカバー曲である。
1966.08. おはなはん 倍賞千恵子  
1966.08. 悲しい酒 美空ひばり 作曲は古賀政男で、彼の曲は「影を慕いて」「日本橋から」「サーカスの唄」など、オリジナル歌手ではなくカバーによってヒットした曲も多い。実はこの「悲しい酒」もオリジナルは美空ひばりではなかったのだ。しかし、カバー曲であることを知られると歌わなくなるかもしれないということで、スタッフや美空ひばりにはカヴァー曲であることを伏せて録音したという
1966.09. 絶唱 舟本一夫 デビュー3周年記念のシングル。大江賢次郎原作、日活映画『絶唱』主題歌。最初は歌う予定がなかったものの、この映画に主演しているのに主題歌を歌っていないのはおかしいという話が出て急遽作られた経緯がある。第8回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞。B面の「雨の中に消えて」は、舟木が主演した日本テレビ系テレビドラマ『雨の中に消えて』主題歌。
1966.09. 空に星があるように 荒木一郎 1966年、「ある若者の歌」でアルバム・デビュー。この作品は第21回芸術祭に参加し、文部大臣奨励賞を受賞している。このアルバムに収録されていたのが「空に星があるように」で、これはレコード大賞にノミネートされ、第8回日本レコード大賞新人賞を受賞した。
1966.09. 雪山に消えたあいつ 克美しげる 1964年に「さすらい」を大ヒットさせ、紅白出場も果たした。あまり知られていないかもしれないが、テレビアニメ「エイトマン」の主題歌を歌っていたのも彼だった。
1966.09. 夢は夜ひらく 園まり 作曲家の曽根幸明が練馬少年鑑別所、通称ネリカンで歌われていた曲を採譜・編曲して藤原伸という名前で歌っていた「ひとりぽっちの唄」がもとになっている。このシングルはかなりヒットし、その4年後に宇多田ヒカルの母親である藤圭子が「圭子の夢は夜ひらく」というタイトルでカバーし、こちらもヒットした。このほか、緑川アコ、藤田功(曽根幸明)、愛まち子、バーブ佐竹、梅宮辰夫(いずれも1966年)のカバーが存在する。ちなみに、園まりはこのシングルがヒットした翌年の1967年に、この曲をモチーフとした日活映画『夢は夜ひらく』に出演した。
1966.10. いぬのおまわりさん この曲は、童謡「サッちゃん」(1959年)を作曲した大中恩の手によるもの。もともと、絵本の絵に付ける曲として、1960年に雑誌社から依頼を受けたもので、大中は歌詞が20行以上もあって長いので引き受けたくなかったという。しかし、雑誌社の編集者と話をしていると奥さんの咳払いが聞こえたため、二つ返事で引き受けたという。というのも、当時は作曲家としてはまだ駆け出しで稼ぎも少なかったからだ。こうして、「いぬのおまわりさん」は『チャイルドブック』1960年10月号の別売りソノシートで世に出ることとなった。さとうよしみによるコミカルな歌詞、犬の鳴き声「ワンワン」を織りまぜたリズミカルな曲は、後に1961年10月10日にNHKの『うたのえほん』で流れると人気を博し、文化庁などによる「日本の歌百選」にも選ばれるほど支持される童謡となった。
1966.10. 今夜は踊ろう 荒木一郎 俳優業の傍ら東海ラジオで『星に唄おう』という番組のパーソナリティを務めていた。この番組は森永乳業がスポンサーで、「空に星があるように」に続きヒットした。
1966.10. 旅人よ 加山雄三  
1966.10. 夕陽が泣いている ザ・スパイダース 映画『涙くんさよなら』の挿入歌で、スパイダースの出世作となった。歌謡曲テイストが強いと思ったら、作詞・作曲は浜口庫之助だった。ドラムズの田邊昭知は、後にタモリやRIP SLYMEなどをマネジメントする芸能プロダクション「田辺エージェンシー」を設立する。
1966.10. 若者たち ブロードサイド・フォー 黒沢久雄、横田実、山口敏孝、鶴原俊彦のフォーク・グループ。黒沢は映画監督、黒沢明の息子。フジテレビのテレビドラマ「若者たち」の主題歌で、ヒットし始めた頃にはふつうの学生生活に戻っていた。大学の3年生になったら解散しようと決めていたからだ。
1966.11. いっぽんどっこの唄 水前寺清子 コロムビアを飛び出した伊藤正憲は日本クラウンを設立、彼女の芸名も彼が考えた。前年は「ゆさぶりどっこの唄」、翌年のシングルは「どうどうどっこの唄」とこの時期は「どっこもの」で攻めていた。この「どっこもの」の中で最もヒットしたのがこの曲だ。彼女は、語尾を「〜んにゃ!」という風にコブシを回す物まねをよくされていた (笑)。
1966.11. 大阪ろまん フランク永井 昔は、「みなさんこんばんは、あなたのフランク・長○です」と言っただけで受けたものだった (笑) 。
1966.11. 想い出の渚 ザ・ワイルド・ワンズ 1966年6月に結成され、メンバーはリーダーの加瀬邦彦を筆頭に、植田芳暁、鳥塚しげき、島英二。加瀬は寺内タケシ率いるブルージーンズにいた。東芝レコードのキャピトル邦盤第一号として発売され、またたく間にヒット、いまでもよくCMなどに使われている。1978年には、ハンダースがいろいろな人の物まねでこの曲をカヴァーした。
1966.11. こまっちゃうナ 山本リンダ 舌足らずな歌い方でアイドルデビューしたが、この曲以降は鳴かず飛ばず。レコード会社を移籍し、「どうにもとまらない」「狙いうち」などアクションで見せるセクシー路線で見事返り咲いた。
1966.12. 霧の摩周湖 布施明 作詞家の水島哲は本名を安倍亮一といい、読売新聞の記者をしながら作詞をしており、平尾昌晃の「星はなんでも知っている」の歌詞も彼の作品。「霧の~」は、まず布施明の声のイメージから入ってタイトルが先にでき、平尾昌晃がカンツォーネを意識した曲を書いた。第9回日本レコード大賞の作曲賞を受賞。

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