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 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

流行年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1972.01. 結婚しようよ 吉田拓郎 昔、結婚式場 (上野精養軒) のCMソングで「結婚しよう~僕と~僕とぉ~お~」というのがあって、区別がつかなかった (笑) 。ちなみに、こちらのCMソングは秀二という人が歌っていた。関東ローカルのCMだったのね。
1972.01. だれかが風の中で 上條恒彦 中村敦夫主演の時代劇、『木枯し紋二郎』 (原作:笹沢佐保) のテーマソング。監督の市川崑は細かく注文をつけ、小室等が書き直すこと3回、ようやく曲が完成した。上條恒彦は現在俳優、そしてジブリのアニメには欠かせない声優として活躍。カップリングの『橋』は、すぎやまこういち作曲。
1972.01. 夜明けの停車場 石橋正次 彼は、TV特撮「アイアインキング」に出演していた。実際、アイアンキングに変身するのは浜田光夫で、必殺技もない上に1分しかもたなかった (笑) 。結局、敵をやっつけるのは石橋正次の役だったのだ。
1972.02. 岸壁の母 二葉百合子 菊池章子が歌っていた「岸壁の母」をカバーし大ヒット。2010年3月には、現役を引退する記者会見を行った (このとき78歳)。3歳で初舞台を踏んでいるから、実に70年以上にわたる芸能活動にピリオドを打ったことになる。
1972.02. 北国行きで 朱里エイコ 実力派シンガーで名の通っていた彼女が放ったヒットシングルだ。鈴木邦彦による歌謡曲だった。晩年はかなり太ってしまっていた。
1972.02. 太陽がくれた季節 青い三角定規 音楽の教科書にも載っている。TVドラマ『飛び出せ!青春』の主題歌だった。メンバーは西口久美子、高田真理、岩久茂の3人。西口はソロ歌手として現在でも活動を続けている。
1972.02. ハチのムサシは死んだのさ 平田隆夫とセルスターズ 作詞をしたのは俳優の内田良平で、童話のような歌詞の世界が新鮮だった。平田隆夫と菊谷英二は、「ハチのムサシ」というスナックを経営していたが、平田が2011年に永眠。残った菊谷が、引き続きスナックを経営している。
1972.02. ぼくの好きな先生 RCサクセション この頃は、まだフォークグループだった。と書いたら、ファンの友人からクレームがきた。ロックの楽器を買うお金が無くて、フォーク用のものを使っていただけだ、本当はこの時期からロック・バンドだったんだ、と (笑)。
1972.03. あの鐘を鳴らすのはあなた 和田アキ子 この曲には基になったイメージ曲がある。それはニール・ダイアモンドの「スィート・キャロライン」で、フィナーレに胸を張って歌える歌を、ということで作られた。結局これが彼女の代表曲となり、1991年の紅白でも熱唱している。
1972.03. 人生が二度あれば 井上陽水 「アンドレ・カンドレ」から「井上陽水」に改名、レコード会社もCBSソニーからポリドールへ移籍し、再デビューした時のシングル。
1972.03. 走っておいで恋人よ アリス アリスのデビュー曲。
1972.03. 八月の濡れた砂 石川セリ 彼女のデビュー曲は、1971年の映画『八月の濡れた砂』主題歌だった。
1972.03. メリー・ジェーン つのだひろ ゴダイゴに先駆けて、英語詞でじわじわとヒットしていったロッカ・バラード。作詞をしたのは、成毛滋の友人で外交官の息子だった、蓮見富士夫 (ペンネームはクリストファー・リン) だった。彼の特異な容貌は、ホラー漫画家の実兄、つのだじろうでさえも描ききれないだろう (笑) 。1970年代半ばにはキャプテン・ひろとスペース・バンドなるグループも率いていた。また、シミケンこと清水健太郎の「失恋レストラン」を書いてヒットさせたりしている。ドラマーとしても有名で、1995年頃の夏に高中正義が横浜のランドマークタワーでライヴをやったときにドラムを叩いていた (実は高中よりもつのだひろが出演していたのを知らなかったのでうれしい誤算だった (笑) ) 。
1972.04. 恋の追跡 欧陽菲菲 メロは全然違うけど、イントロとのホーンセクションのフレーズはブラス・ロックで名を馳せたチェイスの「黒い炎」をうまくアレンジしている。さすがは筒美京平。ちなみに、「黒い炎」のホーン・フレーズはブラック・ビスケッツの「Relax」 (1998年10月) でも使われている。
1972.04. さよならをするために ビリー・バンバン TV「2丁目3番地」の主題歌で、作詞は石坂浩二。
1972.04. サルビアの花 もとまろ
1972.04. 赤色エレジー あがた森魚 バックは、はちみつぱい。書生の格好をして歌っていた、大正ロマン溢れる曲。
1972.04. 瀬戸の花嫁 小柳ルミ子 彼女自身は、歌って踊れる歌手を目標にしていたが、ヒットしたのは日本情緒溢れるこの曲と「わたしの城下町」。しかし根気強くショーを続け、現在では歌って踊れる歌手となっている。
1972.05. 三善英史 彼の母親は、円山花街で名をはせた美人芸者だった。現在は地方営業やラジオのDJ、着物の見立てで生計を立てているらしい。
1972.05. 女のみち ぴんからトリオ 余りに売れすぎた彼らの代表作。もとはコミックバンドで、メンバーは宮史郎とその兄・宮五郎、そしてこの曲を作曲した並木ひろし。この曲がヒットしてからは殿さまキングスなど、コミックバンド出身の演歌グループがもてはやされた。
1972.05. 恋の町札幌 石原裕次郎 時計台、札幌を歌ったご当地ソング。女性の心情を歌った女唄だ。
1972.05. ひとりじゃないの 天地真理 3枚目のシングルで、「恋する夏の日」とともに代表曲。この時期、一連のヒット曲を手がけていたのは森田公一だった。
1972.06. 学生街の喫茶店 ガロ 1970年に結成され、メンバーは堀内譲 (マーク) 、日高富明 (トミー) 、大野真澄 (ヴォーカル) の3人で、ソフト・ロック的なサウンドで人気を博した。作曲はテレビゲーム「ドラゴン・クエスト」の音楽担当でも有名なすぎやまこういち。
1972.06. 旅の宿 吉田拓郎 アコースティックギターとハーモニカで弾き歌いする、彼の代表曲。「結婚しようよ」のヒットと共に、フォークソング一時代を築いた。
1972.06. どうにもとまらない 山本リンダ 日本経済もオイルショック前で、「どうにもとまらな」かった (笑)。作曲の都倉俊一は、舌足らずな歌い方ではダメだと一度断っている。しかし、発声から踊りまでことごとく従来のイメージを解体し、できあがったのがこのスタイルだった。90年代にはリバイバル・ブームに乗ってリンダブームが再燃。米米クラブは「リンダメドレー」をライブで歌っていた。
1972.07. 傘がない 井上陽水 改名してからの第2弾シングル。サウンド全体の元ネタは、ハードロック・バンドで当時人気が高かった、グランド・ファンク・レイルロードの「ハードブレイカー」。ちなみに、とんねるずのテレビバラエティ『とんねるずのみなさんのおかげです』に出演した時、この曲を歌い始めたらいきなり石橋にスリッパで頭をたたかれていた (笑)。
1972.07. 北信濃絶唱 野路由紀子 TBSのTVドラマ『北信濃絶唱』主題歌。鼻にかかった声でこぶしをコロコロと細かく回しながら歌うのが彼女の特徴だった。3拍子の演歌曲。
1972.07. 京のにわか雨 小柳ルミ子 「瀬戸の花嫁」の次に出たシングルで、こちらは京都のご当地ソング。イントロとオブリガートには京琴が使われている。
1972.07. せんせい 森昌子 デビュー曲で、山口百恵、桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれていた。この曲で紅白歌合戦に初出場。
1972.07. たどりついたらいつも雨ふり モップス 作詞・作曲は吉田拓郎。鈴木ヒロミツ、そして後にアレンジャーとして活躍する星勝が在籍していたバンドで、これまでのGS、サイケデリック路線から音楽の幅を広げることに成功した。彼らは、海外ではガレージバンドと認知され、人気を博している。
1972.07. 返事はいらない 荒井由実 ユーミンのデビューシングル。まったくといっていいほど売れなかった (笑)。そのため、現在ではこのシングルはかなりのプレミアがついている。
1972.07. >耳をすましてごらん 本田路津子 NHK連続テレビ小説『藍より青く』の主題歌となり、お茶の間でも親しまれた。
1972.08. 男の子女の子 郷ひろみ ゴー!ゴー! 1972年度の大河ドラマ『新平家物語』にも出演。西城秀樹、野口五郎とともに「新御三家」と呼ばれ、70年代にアイドル歌謡曲のトップスターとして君臨した。
1972.08. 折鶴 千葉紘子 もともとはカンツォーネの歌手だったが、転身して歌謡曲を歌うようになった。この曲がヒットした割には顔が知られておらず、地方へ行くと「折鶴」を唄っている人に似ているわねぇとよく言われたとか (笑) 。
1972.08. 吉田拓郎の曲でヒット。「ゆっ・き・でしった~」のサビが印象的なメロウソング。ザ・リガニーズの元メンバー、常富喜雄とジ・アマリーズの田口清らが中心になって結成された。後に、常富があおい輝彦に提供した「あなただけを」が大ヒットする。
1972.09. 喝采 ちあきなおみ 彼女の代表曲は、細川たかしの「北酒場」を作曲した中村泰士の手によるものだった。
1972.09. 春夏秋冬 泉谷しげる 泉谷しげる最大のヒット曲で、福山雅治や松山千春などによってカバーされている。2013年に第64回『NHK紅白歌合戦』に出場した際、この曲を歌った。
1972.09. 虹をわたって 天地真理 1973年、春の選抜高校野球の開会式で、この曲が流れた。彼女もその場所に姿を現し、大歓声で迎えられたという。
1972.09. バス・ストップ 平浩二 ロッカ・バラードの歌謡曲。「バ~スッ・おぉ~」で始まる切ない歌い方が特徴で、大ヒット。彼の弟は、『伝説巨神イデオン』や『無敵ロボトライダーG7』などのアニメソングをヒットさせた、たいらいさおだ。「バス・ストップ」を作曲したのは、「サスケ」や「妖怪人間ベム」の主題歌を歌ったハニー・ナイツの2代目リーダー、葵まさひこ。彼は歌手活動の傍ら作曲活動をしており、『ウルトラマンA』の主題歌 (作曲) 、シモンズ「恋人もいないのに」 (編曲) 、加藤和彦と北山修「あの素晴しい愛をもう一度」 (編曲) などを担当している。
1972.09. めぐり逢う青春 野口五郎 出身は岐阜県美濃市。赤ン坊の頃から歌手になるんだときめていたらしい (笑) 。彼の両親は歌が好きで、岐阜県の素人のど自慢大会でいつも1、2位を争うライバル同士で、それが縁で結婚した。「両親が果たせなかった歌手への道を、ぼくにたくしていた、その気持ちは赤ン坊のぼくにもわかっていたわけなのさ」と語っている (笑) 。
1972.10. 少女 五輪真弓 父親が音楽好きだったが、洋楽ではなく家では浪曲や古賀メロディが流れていた。彼女が初めて人前で歌ったのは、高校1年生の3学期で、フォークギターを弾いて歌った曲は「ドナドナ」だった (笑)。
1972.11. 黄色い麦わら帽子 松崎しげる グリコ「アーモンドチョコレート」のCMソングとなり、「愛のメモリー」のヒットの下地を作った。アイドルっぽい曲で、本人は余り気に入っていない模様。
1972.11. そして、神戸 内山田洋とクールファイブ 全国有線放送大賞、夜のレコード大賞功労賞、日本レコード大賞作曲賞を受賞した。
1972.11. ひなげしの花 アグネス・チャン 日本でのデビュー曲。当時、ギターも弾けたがミニスカートでスタンドマイクを持って歌い、たどたどしい日本語も魅力の1つとなった。物まねで使われる定番曲でもある。後年、あんな風になるとは……。
1972.11. スウィート・ホーム大阪 ファニー・カンパニー 桑名正博が在籍してた大阪のロックバンドで、当時は「東のキャロル、西のファニカン」と呼ばれ、人気を二分していた。
1972.12. 怨み節 梶芽衣子 東映『女囚さそりシリーズ』の主題歌。後に映画『キル・ビル』にもこの曲が使われ、再評価の気運が高まった。
1972.12. おきざりにした悲しみは 吉田拓郎
1972.12. 悲しみの町 藤圭子 神居 (かむい) 中学に入学してからは成績が優秀だったとかで、2年生の時に弁論大会で優勝。そして、その代表として札幌大会に出場したという。そのタイトルは、「困難に打ち勝とう」だったという。
1972.12. ケンとメリー~愛と風のように~ BUZZ 東郷昌和と小出博志のデュオ。デビュー曲で、日産スカイラインのCMソングに起用されてヒットした。
1972.12. さそり座の女 美川憲一 美川憲一の代表曲は、昭和47年8月31日に録音された。1980年代になると人気が低迷、ほとんどTVに出ることはなかったが、ものまね芸人のコロッケが盛んに取り上げていた。そして1989年のものまね番組に登場、コロッケとデュエットしたことが大きな転機となり、奇跡的に復活を遂げた。
1972.12. 地下鉄にのって こちらも吉田拓郎の曲。カントリーとフォークの軽快なリズムで味わいがある作品。
1972.12. ルイジアンナ キャロル デビュー曲で、メンバーは矢沢永吉、ジョニー大倉、内海利勝、ユウ岡崎の4人。

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