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 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

発売年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1973.02. 中学三年生 森昌子 3枚目のシングルで、中学を卒業していく先輩を思う女の子の歌だったが、「中学三年生」でかなり強いコブシが入る (笑)。
1973.02. 同棲時代 大信田礼子 上村一夫の劇画「同棲時代」をレコード化。作詞も彼が手がけている。
1973.02. 円山・花町・母の町 三善英史 この曲を売るために、現場の芸者衆を相手に歌うキャンペーンをやったそうな。彼の子供の頃のあだ名は「男ひばり」だった。静岡県伊東市立北中学校の学芸会で美空ひばりの「リンゴ追分」を熱唱してからついたあだ名だらしい (笑) 。円山 (まるやま) は、彼の母親の出身地。
1973.02. 春のおとずれ 小柳ルミ子 作曲は森田公一。
1973.02. なみだ恋 八代亜紀 彼女の出世作。この曲で第15回日本レコード大賞で歌唱賞を受賞している。ハスキー・ヴォイスの演歌歌手だったため、「ポスト青江美奈」と呼ばれた。
1973.02. 狙いうち 山本リンダ 都倉俊一はシンコペーションの効いた派手な楽曲が得意。TVアニメ『ちびまる子ちゃん』でまる子が「ウダダー」と歌っていた。「どうにもとまらない」とともに代表曲。
1973.03. オレンジの雨 野口五郎 雑誌「明星」の創刊20周年を記念した曲。口を半開きにしながら、「そんなこっ・とお〜どうでもいいじゃなっ・い〜」とものまねタレントのコロッケがよくテレビで歌っていた (笑)。
1973.03. 赤とんぼの唄 あのねのね 原田伸郎と清水國明のデュオ。コミックソングで、彼らのデビュー曲。短いフレーズをひたすら歌詞を変えて歌っていく曲。彼らは旅館でアルバイトをしていたことがあって、学生たちをうまくおだてて布団を敷かせてしまったり、彼らがバイトしているところへピンクレディー結成前のミーが修学旅行で泊まったことがあるというエピソードもあった。ミーは彼らを覚えていたが、あのねのねの二人は全然覚えていなかったとさ (笑)。
1973.03. ジョニィヘの伝言 ペドロ&カプリシャス 高橋真梨子が歌を歌っている。歌詞にはジョニィなどが出てきて無国籍な感じがするが、中身は空気を読んで相手にうまく伝えてくれ、という日本的なものだった。
1973.03. 他人の関係 金井克子 バンバンババンバン……。何となく原由子が歌い方をまねているような気がするこの曲は、最初はB面に収録される予定だった。TV番組『銀座NOW』の今月の歌に採用され、ヒット。彼女の後ろで踊っていたのは、ザ・フラッシャーズという4人組の男性ダンサーだ。この曲がヒットするまで、彼女は30枚以上のシングルを出していた。
1973.03. 若葉のささやき 天地真理 6枚目のシングル。作詞の山上路夫は、彼女の歌詞を作るのは非常に大変だったと後年語っている。
1973.03. 夢の中へ 井上陽水 東宝映画『放課後』主題歌。初の大ヒット曲で、後に斉藤由貴もカバー。小室等は、「彼自身にはフォークをやろうという意識はなかったと思う。ギター1本でビートルズをやっていたわけだから」と語っている (笑)。
1973.04. 赤い風船 浅田美代子 コンセプトは「童謡」、歌の技巧よりもあどけなさを強調したことがヒットへつながり、80万枚を売り上げた。その時、レコード会社のCBSソニーでは販売会議で6割の人間がこれは売れるだろう、と踏んでいた。そして、浜田省吾のいた愛奴のデビューシングルがその販売会議にかかったとき、8割の人間が「これは売れるだろう」と予想したので、100万枚は絶対に売れると言われていた。しかし、実際に発売されてみるとさっぱり売れず (笑) 、このギャップが原因で愛奴は解散したという (by サンデーソングブックでのハマショーインタビューより) 。
1973.04. 危険なふたり 沢田研二 軽快な曲で初期の代表曲となった。途中でさらにテンポが速くなる。第15回日本レコード大賞・大衆賞、第4回日本歌謡大賞・大賞を受賞している。
1973.04. 心の旅 チューリップ チューリップ最大のヒット曲。この曲が売れなかったら故郷へ帰らなければならない、という切羽詰まった状況で放った逆転ホームランだった。後に吉田栄作もカバー。
1973.05. コーヒーショップで あべ静江 彼女の中で最も知名度の高い曲。清純派の女性歌手のデビュー曲だった。
1973.05. 情熱の嵐 西城秀樹 1972年3月にデビュー。キャッチフレーズは、「ワイルドな17才」だった (笑) 。歌い方もかなりワイルドだった。
1973.05. 紙風船 赤い鳥 解散後は、ハイ・ファイ・セット、紙ふうせんへ別々の道をたどることとなった。
1973.05. 君の誕生日 ガロ 細野晴臣や高中正義、山下達郎などそうそうたるメンバーをサポートに迎えていたが、ガロ自体の評価は余り高くない。というのも、彼らはテレビに出ないことがかっこよかった時代にテレビに出てしまったこと、そしてソロ活動がいまいちパッとっしなかったことが理由として考えられる。
1973.05. 絹の靴下 夏木マリ 1971年に中島淳子という名前でデビューしているが、清純派路線だったためいまいち売れなかった。そこで1973年に改名して「絹の靴下」で再デビューするとたちまちヒットし、代表曲となった。
1973.06. ファンキー・モンキー・べイビー キャロル キャロルといえばこの曲。メンバーはジョニー大倉は、亡くなるまでこれを引きずっていた。歌詞を書いたのは彼だったからね。
1973.06. 裸のビーナス 郷ひろみ 古代ギリシャの王族のようなコスチュームがジャケットになっており、未だに恥ずかしいネタにも使われている (笑)。
1973.07. 愛の光 アリス アルバム「アリスⅡ」からのシングル・カット。アルバムヴァージョンは、イントロがやたらと長い (笑) 。でも、何で歌の主人公は日溜まりを避けながら歩いているんでしょう?
1973.07. 君が美しすぎて 野口五郎 子どもの頃は、体が弱かったとか。4才の時、顔なじみの看護婦さんに女性ばかりの寄宿舎に連れて行かれ、「マグマ大使」や「船方さん」 (三波春夫) を歌ってお菓子を沢山もらっていたという (笑) 。
1973.07. 恋する夏の日 天地真理 第24回NHK紅白歌合戦に出場、代表曲となっている。爽やかな夏を描いたヒットソング。
1973.07. 草原の輝き アグネス・チャン 曲名は、映画『草原の輝き』から。作曲は平尾昌晃。
1973.07. てんとう虫のサンバ チェリッシュ 結婚式になるとこの曲だった。そして「愛の口づけくれました」のフレーズでキスシーンを迫るのがお決まりだった (笑)。
1973.07. わたしの彼は左きき 麻丘めぐみ 彼女の代表曲で、CMでも替え歌が流れていたと思う。第15回日本レコード大賞・大衆賞を受賞。
1973.08. ミカンが実る頃 藍美代子 純エリ子名義でデビューしたもののパッとせず、藍美代子に改名して再デビューしたときのシングル。
1973.08. 色づく街 南 沙織 72年の11月から妹のロージィが沖縄から上京、彼女のマンションに同居し始めた。ロージィは学校もアメリカン・スクールの11年生 (高校2年生) で、毎日学校にちゃんと通っていたので、欠席がちな沙織よりも成績が良かった。「姉の権威ががた落ちだわ」と沙織は嘆いていたという (笑) 。
1973.08. 個人授業 フィンガー5 先生に憧れる生徒の心情を歌ったもので、トレードマークだった晃の特大サングラスもこの曲のヒットで定着した。
1973.08. くちなしの花 渡 哲也 戦時中の特攻隊員が恋人を思って書いた手記をもとに作品化したもので、彼の男っぽさとストイシズムが感じられる。もちろん大ヒット。
1973.08. 浮世絵の街 内田あかり 当時の衣装のデザインはやまもと寛斎。楽曲では和楽器を取り入れている。内田あかりの本名は大形久仁子で、1968年に和田弘とマヒナスターズとのデュエット「私って駄目な女ね」がヒットしていた。
1973.08. わたしの青い鳥 桜田淳子 クッククック……。3枚目のシングルが大ヒット。
1973.09. 青い果実 山口百恵 デビューシングルが売れなかったこともあり、歌詞・曲ともに路線変更、コンセプトとして「青い性」を付け加えた。当時としてはかなりきわどいとされた歌詞も話題となった。
1973.09. 神田川 南こうせつとかぐや姫 歌詞の世界は、作者の喜多条忠自身の体験から作られているという。最初この曲はシングルカットの予定もなく、大して宣伝もしていなかったがラジオの深夜放送から火がつきヒットした。最終的には200万枚の売り上げたともいわれており、南こうせつとかぐや姫にとって文字通り最大のヒット曲となった。シングルジャケットには「PANAM」(パナム)レーベルからの発売がわかるよう、大きめに表示されていた。クラウンレコードは歌謡曲や演歌に強いレコード会社だったため、フォーク、ニュー・ミュージックの専門レーベルに位置づけられた。このパナムレーベルは、かぐや姫をはじめとするフォーク、イルカなどの女性シンガーソングライター、ティン・パン・アレー(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆)の流れを汲み、1970年代に大きな影響力を持った。ちなみに、当時大手の航空会社として有名だったパンアメリカン航空(略して「パンナム/PAN AM」と呼ばれていた)とは綴りが同じだがまったく関係がない(笑)。
1973.09. 心もよう 井上陽水 「夢の中へ」でブレイクし、この曲で人気を決定づけた。B面の「帰れない二人」は忌野清志郎との共作で、名曲といわれている。この2曲を収録したアルバム『氷の世界』も大ヒットした。
1973.09. みずいろの手紙 あべ静江 2枚目のシングルで、この曲で紅白歌合戦に出場。イントロの語りを、「今年も紅組が勝つと言って下さいますね」と言い換えて、客席から拍手を浴びていた。このとき、ギターはクロード・チアリが弾いていた。
1973.09. 白いギター チェリッシュ
1973.10. 小さな恋の物語 アグネス・チャン ザ・ドリフターズの映画『大事件だよ全員集合!!』の劇中歌となり、セールスとしては彼女にとって最大のものとなった。
1973.10. 愛さずにいられない 野口五郎 3年保育で美濃保育園に入ったが、お遊戯の時間が嫌いでいつも逃げ出していたらしい。しかも、園内では神戸一郎や水原弘の歌をよく歌っていた (笑) 。おまけに、女の子がいても平気でお○っ○を所かまわずしていたという (笑) 。
1973.10. 五番街のマリーヘ ペドロ&カプリシャス 「別れの朝」「ジョニィへの伝言」とこの曲が代表曲。「ジョニィへの伝言」と同系列の曲で、マリー、五番街と無国籍な単語が並んでいるのも同じ。
1973.10. ヘイ・ユウ・ブルース 左とん平 プロデュースは、ミッキー・カーティス。四半世紀後にヒットするとは……。
1973.11. あなた 小坂明子 1973年度世界歌謡祭最優秀グランプリを受賞した曲。ヤマハのポプコンでグランプリを獲得、ピアノを弾きながら歌うスタイルが当時としては新鮮だった。しかし、ルックスがいまいちだったためヒットに恵まれず。以後、似た名前の小坂恭子や、久保田早紀、八神純子らピアノの弾き語りをするシンガーソングライターが続々と現れるようになった。
1973.11. きっと言える 荒井由実 ユーミンのセカンド・シングルで、編曲は彼女自身とキャラメル・ママが行っていた。B面は「ひこうき雲」で、どちらも今となってはスタンダード曲になっているが、発売当時は全然売れなかった。
1973.11. 恋の雪別れ 小柳ルミ子 10枚目のシングルで、声量と裏声を上手く使いこなす必要があるため、上手に歌うのはなかなか難しい。
1973.11. 魅せられた夜 沢田研ニ 8枚目のシングルで、ケニー・ウッド・オーケストラが参加している。
1973.11. なみだの操 殿さまキングス 200万枚近くを売った大ヒット曲。ぴんからトリオとともに、もともとはコミックバンドだった。カラオケの曲目リストを読んでいると、宮史郎と宮路オサムが仲良く並んでいる (笑) 。この曲は、彩木雅夫による3枚目のシングルで、2枚目が不振だったためこの作品で失敗したら後がないという状況に追い込まれていた。テーマは女性の貞操で、最初は「女の操」という曲名だったが、ぴんからトリオの「女シリーズ」に似ているため、「なみだの操」に変更された。
1973.12. 母に捧げるバラード 海援隊 これが売れなかったら故郷へ帰らなければならない、という背水の陣でヒット。グループ名は、坂本龍馬らが設立した実在の貿易会社から取られている。
1973.12. 恋のダイヤル6700 フィンガー5 「リンリンリリン……」のこの曲で、ウルトラマンタロウにも出演 (たしか第48話「怪獣ひなまつり」)。ジャケットには「5人のスーパー・チャイルド」と書いてあるが、複数なので「スーパー・チルドレン」とするのが正しい…… (←細かい) 。
1973.12. 青春時代 アリス アルバム「アリスⅢ」からのシングルカット。アリスの知名度を全国的に広げるきっかけとなった曲。とはいうものの、「アリスⅢ」はアリスのアルバムの中でも一番評価がよくない (笑) 。
1973.12. ウィスキーの小瓶 みなみらんぼう 1944年宮城県生まれ。法政大学卒業後、ラジオ台本作家を経て「酔いどれ女の流れ歌」で作詞・作曲家としてデビュー。「ウィスキーの小瓶」は、歌手としてのデビューシングル。ラジオ台本作家の時代、ラジオ局に来るタレントのマネージャーなどに「空飛ぶ鯨」などを聴かせていたが、「変な歌だねぇ。こんなの売れるのかなぁ」と言われていた (笑) 。「山口さん家のツトム君」の作者としても有名。マニアの間では、「途上にて」「年月 (としつき) の渇き」が好まれているらしい。

<Years Navi>
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