明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。
流行年月 | 曲名 | 歌手・アーティスト | ひとこと |
---|---|---|---|
1974.01. | 赤ちょうちん | かぐや姫 | 後に映画化もされた代表曲。「神田川」と「妹」とともに、四畳半フォークの3部作。 |
1974.01. | 襟裳岬 | 森進一 | 当時のディレクター、高橋隆氏は元ソルティ・シュガーのメンバー。以前、酒席で拓郎が森進一に曲を作りたいと言ったのがきっかけ。仮タイトルは「たき火」で、B面にされそうになったのを森進一が必死に説得して両A面扱いにしてもらったいわくつき。「襟裳の春は なにもない春です」という歌詞が物議をかもしたが、観光客が来るようになったのでえりも町から感謝状を贈られた。そして昭和49年度日本レコード大賞と日本歌謡大賞の2大タイトルを独占。 |
1974.01. | 気になる17才 | あいざき進也 | スクールメイツ出身のアイドル歌手で、この「気になる17才」はデビュー曲。 |
1974.01. | 突然の愛 | あべ静江 | ミディアムテンポで片思いを綴った曲。 |
1974.01. | 銀の指環 | チューリップ | メンバーの姫野達也がヴォーカルを取っている。軽く奏でるギターのフレーズや、軽快なリズムが60年代のオールディーズを思い起こさせる。 |
1974.02. | せめてお名前を | 黒沢 明とロス・プリモス | ロス・プリモスが「せめてお名前を」と歌い、竹下景子が魔法瓶の名前をいうタイガー魔法瓶のCMソングだった。 |
1974.02. | 逃避行 | 麻生よう子 | この曲で日本レコード大賞新人賞を受賞。難解なバラードを歌いこなすことが出来る歌手として注目されたが、彼女の持ち味に合う曲に巡り会えず、最後は布施明などとの競作になった、グロリア・ゲイナーのカバー「恋のサバイバル2」 (1979年) が最後のヒットとなった。 |
1974.01. | うそ | 中条きよし | 彼はこの曲の前に歌手デビューしているがうまくいかず、赤坂でスナックのマスターをやっていた。そこへやってきた日本テレビのディレクターに声をかけられ、のど自慢番組『全日本歌謡選手権』に出場、チャンピオンになってデビュー。たたみかけるように、サビで言葉数が増えるのが特徴。 |
1974.02. | 各駅停車 | 猫 | メンバーだった大久保一久は、後に伊勢正三と「風」を結成している。作曲はメンバーの石山恵三。 |
1974.02. | 薔薇の鎖 | 西城秀樹 | マイクスタンドを使ったアクションと、はだけた胸に鎖がぶら下がっているという衣装が話題に。 |
1974.02. | 星に願いを | アグネス・チャン | 初期の代表曲の1つで、作曲は平尾昌晃。舌足らずな歌い方がよかったといわれるが、未だに日本語が下手なのはいかがなものか (笑)。 |
1974.03. | 二人でお酒を | 梓みちよ | 歌謡曲で久しぶりの大ヒットとなった。2年後には、吉田拓郎の曲で「メランコリー」がヒットする。 |
1974.03. | 学園天国 | フィンガー5 | 後に小泉今日子がカバー。「個人授業」「恋のダイヤル6700」とともに代表曲の1つ。 |
1974.03. | グッド・バイ・マイ・ラヴ | アン・ルイス | 当時は清純派アイドルだった。「白い週末」でデビュー後、この曲が大ヒット。ロッカバラードで、途中で入る語りの英語の発音、伸びやかな歌声とともに大きな武器となった。後に松崎しげるもカバーしている。 |
1974.03. | 春風のいたずら | 山口百恵 | |
1974.03. | 積木の部屋 | 布施明 | 「霧の摩周湖」 (1966年) のヒット以降、コンスタントにシングルをリリースし、このシングルもヒットし代表曲の1つとなった。翌年には、代表曲「シクラメンのかほり」が大ヒットする。 |
1974.03. | 私は泣いています | りりィ | ベッドの上で女が泣いている……とう情景は、当時はベッドが現在ほど普及していなかったのでおしゃれだった。りりィ本人の部屋にもベッドはなく、こたつで丸くなりながら作った曲だという (笑)。アレンジは木田高介だったが、シャッフル系のリズムなど細かく注文を出していたのは、当時の担当ディレクターで、オフコースの育ての親である武藤敏史だった。 |
1974.04. | 帰らざる日のために | いずみたくシンガーズ | TVドラマ『われら青春!』主題歌。いずみたくシンガーズという名前の通り、作曲はいずみたく。「涙は心の汗」という名フレーズを書いたのは山川啓介。挿入歌の「ふれあい」もいずみたくが作っている。シングルジャケットには、メンバーとおぼしき7名が写っており、関西で人気があったGSバンド、フィフィ・ザ・フリー解散後、メンバーの曽根隆、吉田一夫 、鈴木のりらがいずみたくシンガーズのメンバーとして参加している。 |
1974.04. | 夫婦鏡 | 殿さまキングス | 殿さまキングスを解散後、宮路オサムは屈指の雀士として活躍しながら地道にソロ活動をしている。 |
1974.04. | 精霊流し | グレープ | さだまさしと吉田正美のフォークデュオ。精霊流しを題材とした曲で、ギターのアルペジオともの悲しい歌声、マンドリンを模したフレーズなど、泣きどころ満載。この曲が大ヒットしたため、哀愁漂う曲ばかり歌う羽目に (笑)。 |
1974.04. | 闇夜の国から | 井上陽水 | 彼は1948年8月30日生まれ、ほどなく歯科医になるべく英才教育が始まった。1952年、家族の記念写真撮影を父が提案したが、自意識過剰により拒否 (笑)。強い説得によりやむなく承諾したそうな。 |
1974.04. | やさしさに包まれたなら | 荒井由実 | クリームをキャラメルで包んだキャンディ、不二家エクレアのCMソング。このお菓子、今は製造していていない。他にもこのCMソングとして「ほっぺたにぃ〜、プ〜レゼントォ〜」なんていうのも歌っていた (笑)。 |
1974.05. | 激しい恋 | 西城秀樹 | 「やめろっといわれてもぉ〜」のフレーズで大ヒット、初期の代表曲となった。「やめろっといわれてももたろ (桃太郎) さん、今では遅すぎたろう (太郎) さん〜」という意味不明な替え歌もあった (笑)。ちなみに、彼は昭和42年広島の私立二葉中学に入学、水泳部に入り県大会で優勝している。 |
1974.05. | 妹 | かぐや姫 | 四畳半フォーク3部作の最後を飾る曲。翌年の4月のコンサートをもってかぐや姫は解散した。 |
1974.06. | ひと夏の経験 | 山口百恵 | 「青い性」路線を受け継ぐヒット曲。女の子の一番大切なものをあげる、という歌詞に対して「何をあげるのか?」という質問が多く寄せられたという。彼女自身としては「真心です」ということだった (笑)。また、イントロが「およげ! たいやきくん」の元ネタになったのではないかという指摘もよくされている。 |
1974.06. | 恋のアメリカンフットボール | フィンガー5 | この曲は、ザ・ドリフターズ主演の松竹映画『『超能力だよ全員集合!!』』で、挿入歌として使用された。1974年の後半になるとメインボーカルの1人、晃が13歳になり、変声期を迎えた。彼らは1975年から1年間、休養とレッスンを兼ねてアメリカに留学したが、帰国してみると彼らのテレビでの居場所はなくなっており、晃は自慢のハイトーンボイスが出せなくなったため、人気が急落した。 |
1974.06. | 結婚するって本当ですか | ダ・カーポ | この曲ができたきっかけは、高校時代の友人から結婚しますという手紙が来たことだった。結婚相手は、作詞の久保田広子が知っていた人とは別人で、前に付き合っていた人はどうしたのだろうと疑問に思ったことを歌詞にしたという (笑)。ただし、その歌詞はサビの「結婚するってほんとうですか」だけで、榊原政敏はこの歌詞をふくらませて曲を作っていったという。久保田は親から勘当同然で音楽の道へ進んだが、実は父親はレコードが出るたびにまとめ買いしていて影ながら応援していたという。 |
1974.06. | 岬めぐり | 山本コウタローとウィークエンド | ソルティーシュガーで「走れコータロー」をヒットさせた山本コータローがウイークエンドというグループを結成して放った大ヒット。2004年2月には、海外からこの曲の歌詞を知りたい、というメールがうちに届いた。仕方がないのでローマ字で打ったものを返信してあげたけど、一体その人はどうしようっていうんでしょうかねぇ? (笑) 2009年には女性用パンティが空を飛ぶアニメ『そらのおとしもの』のエンディング・テーマとしてカバー曲 (歌:月見そはら) が流れていた (笑)。 |
1974.07. | シンシア | 吉田拓郎&かまやつひろし | シンシアとは、当時トップアイドルに君臨していた南沙織の愛称のこと。売れっ子の吉田拓郎をつかまえてヒットに結びつけたかまやつひろしは、さすがとしかいいようがない (笑)。 |
1974.07. | ふれあい | 中村雅俊 | テレビドラマ『われら青春!』挿入歌。このドラマの主役に抜擢され、デビュー曲であるこの曲も大ヒット。同年11月には、同名の映画が公開されている。 |
1974.07. | 昭和枯れすすき | さくらと一郎 | 当時で100万枚を売ったお化けヒット。『時間ですよ昭和元年』というドラマで、薄倖カップルのテーマとして使われたのがヒットのきっかけ。一郎の芸名は徳川一郎となかなか立派 。作曲は、キングトーンズの「グッドナイト・ベイビー」を作ったむつひろしだ。 |
1974.07. | わたし祈ってます | 敏いとうとハッピー&ブルー | ムード歌謡のグループで、この曲と「よせばいいのに」が代表曲。鼻にかかるような歌い方が特徴で、この2曲はそれぞれ作曲者が違うが、ムードとサウンド、歌い方ともに方向性がまったく同じ。 |
1974.07. | 夕暮れ時はさびしそう | NSP (ニュー・サディスティック・ピンク) | シングルよりもLPが売れたグループ。「ごめんごめん」がインパクトのある曲で、同じフレーズを何度もループすることと、メロディにまったく抑揚がなく、語り口調になっているのが特徴。シングルジャケットのイラストは、横井精によるもの。 |
1974.08. | 旅愁 | 西崎みどり | 日本舞踊、西崎流の宗家だったため西崎という芸名を名乗ることになった。芸能界に入るきっかけは作曲家の遠藤実の勧めがあったといわれ、このデビューシングルもミノルフォンレコードから発売されている。必殺シリーズ第4弾『暗闇仕留人』の主題歌として人気が急上昇、最終的には100万枚を超えるミリオンセラーとなった。このとき彼女は14歳だったが、中学生とは思えない歌唱力で聴く者を圧倒、また女優として『必殺』シリーズに何度も出演している。「旅愁」の大ヒットが必殺シリーズの音楽にかなりの影響を与え、哀しさ、旅愁、帰郷、孤独といったテーマが織り込まれた曲が作られていくことになった。 |
1974.08. | ちっぽけな感傷 | 山口百恵 | 雑誌「明星」募集歌。 |
1974.08. | 傷だらけのローラ | 西城秀樹 | 「激しい恋」で波に乗り、仰々しいイントロ、「ローラ!!」と叫び続ける激しい歌唱で一世を風靡した。 |
1974.08. | 恋のパピプペポ | ずうとるび | メンバーは新井康弘、今村良樹、江藤博利、山田隆夫。 |
1974.08. | そんな夕子に惚れました | 僧位山太志郎 | 本業は大関止まりだったが、歌を歌わせたら「横綱」だ、とよく言われていた (笑)。 |
1974.09. | よろしく哀愁 | 郷ひろみ | この曲のヒットにより、単なるアイドルからの脱皮に成功した。作詞の安井かずみは、虫食い状態の歌詞を渡した後にさっさと旅行に行ってしまい、抜けた部分はプロデューサーの酒井政利氏が付け加えたといういわく付きの作品。詞のラスト・フレーズ、「よろしく哀愁」も酒井氏の考案。 |
1974.09. | 夕立 | 井上陽水 | イントロのハードなギターと、「ゆうだちだアッ! アッ! アッ! 」が強烈なインパクトだったが、歌詞の変な世界は相変わらず (笑)。 |
1974.10. | 12月の雨 | 荒井由実 | |
1974.10. | 眠れない夜 | 泉谷しげる | 泉谷しげるのもう一つのヒット曲。悪役の俳優やタレントとしての活動が目立っているため、歌手であることを知らない人も多い (笑)。 |
1974.10. | 甘い生活 | 野口五郎 | 小学校5年生の時、真っ赤なギターを抱えて美濃市のちびっこのど自慢に出場、「今夜は踊ろう」を歌ってチャンピオンになったという話が残っている。「私鉄沿線」の大ヒットにつながるきっかけとなったヒット曲。 |
1974.10. | 燃えよドラゴンズ! | 板東英二 | 「1番高木が塁に出て 2番谷木が送りバント 3番井上タイムリー 4番マーチンホームラン」という、4人で3点も入ってしまうドラゴンズのスゴイ応援歌 (笑)。作詞・作曲は、タイムボカンシリーズでお馴染みの山本正之。実は山本氏は大のドラゴンズファンだったのだ。 |
1974.10. | 東京 | マイペース | Aメロはなんとなくタートルズの「ハッピー・トゥゲザー」。メンバーの伊藤進、森田貢、根次男は3人とも秋田県出身で、名古屋で活動していた。 |
1974.11. | 雨だれ | 太田裕美 | 浅草の寿司屋の娘さんで、高校の音楽科を卒業、NHK「ヤング101」のレギュラー・メンバーだった。この曲はデビュー曲で、キャッチ・フレーズは「まごころ弾き語り」。 |
1974.11. | 学校の先生 | 坂上二郎 | 欽ちゃんよりも売れっ子なってしまった。ランラランというコーラスといい、ウンチャカするマンドリンなど、青春歌謡「高校三年生」のイメージをモチーフにしていると思う。苦労しているが前向きに生きている学生たちを描いた語りも入り、泣かせるように作られている。後年、二郎さんはユニコーンと一緒に「デーゲーム」を録音しているが、サンプルのCDが届いたとき、二郎さんは「このチョコレートみたいなのは何ですか?」と聞いたという (笑)。CDを知らなかったのだ。 |
1974.11. | 涙と友情 | 西城秀樹 | 昭和45年に私立山陽高校に入学、ヨットとサッカー部に入る。高校2年生の夏に、ジャズ喫茶で唄っていたところをスカウトされたとか。 |
1974.11. | 宇宙戦艦ヤマト | ささきいさお | テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』主題歌で、アニメソングが「売れる」ということを立証したが、発売当初はまったく話題にならず、ブレイクするのは再放送が頻繁に行われた1975年以降のこと。1978年には録音し直した盤が発売され、こちらの方がヒットしている。本人曰く「1974年の録音した方は、声が浮ついてて余り好きじゃないんだよね」とのこと。効果音の入り方も、2つの音源を聴き比べると微妙に違うことが分かる。作詞は阿久悠、作曲はザ・ピーナッツのヒット曲を手がけた宮川泰。 |
1974.12. | 冬の色 | 山口百恵 | B面「伊豆の踊子」は、東宝映画『伊豆の踊子』主題歌。 |
1974.12. | スモーキン・ブギ | ダウンタウン・ブギウギ・バンド | 宇崎竜童率いるDTBWBの最初の大ヒット。イントロはチャック・ベリーの「シェイク・ユア・マネー・メイカー」。後に、シャ・ナ・ナも英語でカバー。 |
<Years Navi>
【明治時代】
1868-1872 (明治01-05) 年 │ 1873-1877 (明治06-10) 年 │
1878-1882 (明治11-15) 年 │ 1883-1887 (明治16-20) 年 │
1888-1892 (明治21-25) 年 │ 1893-1897 (明治26-30) 年 │
1898-1902 (明治31-35) 年 │ 1903-1907 (明治36-40) 年 │
1908-1911 (明治41-44) 年 │
【大正時代】
1912-1916 (大正01-05) 年 │ 1917-1921 (大正06-10) 年 │
1922-1925 (大正11-14) 年 │
【昭和時代】
1926-1927 (昭和01-02) 年 │ 1928-1929 (昭和03-04) 年 │
1930-1931 (昭和05-06) 年 │ 1932-1933 (昭和07-08) 年 │
1934-1935 (昭和09-10) 年 │ 1936-1937 (昭和11-12) 年 │
1938-1939 (昭和13-14) 年 │ 1940 (昭和15) 年 │
1941 (昭和16) 年 │ 1942 (昭和17) 年 │ 1943 (昭和18) 年 │
1944 (昭和19) 年 │ 1945 (昭和20) 年 │ 1946 (昭和21) 年 │
1947 (昭和22) 年 │ 1948 (昭和23) 年 │ 1949 (昭和24) 年 │
1950 (昭和25) 年 │ 1951 (昭和26) 年 │ 1952 (昭和27) 年 │
1953 (昭和28) 年 │ 1954 (昭和29) 年 │ 1955 (昭和30) 年 │
1956 (昭和31) 年 │ 1957 (昭和32) 年 │ 1958 (昭和33) 年 │
1959 (昭和34) 年 │ 1960 (昭和35) 年 │ 1961 (昭和36) 年 │
1962 (昭和37) 年 │ 1963 (昭和38) 年 │ 1964 (昭和39) 年 │
1965 (昭和40) 年 │ 1966 (昭和41) 年 │ 1967 (昭和42) 年 │
1968 (昭和43) 年 │ 1969 (昭和44) 年 │ 1970 (昭和45) 年 │
1971 (昭和46) 年 │ 1972 (昭和47) 年 │ 1973 (昭和48) 年 │
1974 (昭和49) 年 │ 1975 (昭和50) 年 │ 1976 (昭和51) 年 │
1977 (昭和52) 年 │ 1978 (昭和53) 年 │ 1979 (昭和54) 年 │
1980 (昭和55) 年 │ 1981 (昭和56) 年 │ 1982 (昭和57) 年 │
1983 (昭和58) 年 │ 1984 (昭和59) 年 │ 1985 (昭和60) 年 │
1986 (昭和61) 年 │ 1987 (昭和62) 年 │ 1988 (昭和63) 年 │
【平成時代】
1989 (平成01) 年 │ 1990 (平成02) 年 │ 1991 (平成03) 年 │
1992 (平成04) 年 │ 1993 (平成05) 年 │ 1994 (平成06) 年 │
1995 (平成07) 年 │ 1996 (平成08) 年 │ 1997 (平成09) 年 │
1998 (平成10) 年 │ 1999 (平成11) 年 │ 2000 (平成12) 年 │
2001 (平成13) 年 │ 2002 (平成14) 年 │ 2003 (平成15) 年 │
2004 (平成16) 年 │ 2005 (平成17) 年 │ 2006 (平成18) 年 │
2007 (平成19) 年 │ 2008 (平成20) 年 │ 2009 (平成21) 年 │
2010 (平成22) 年 │ 2011 (平成23) 年 │ 2012 (平成24) 年 │
2013 (平成25) 年 │ 2014 (平成26) 年 │ 2015 (平成27) 年 │
2016 (平成28) 年 │ 2017 (平成29) 年 │ 2018 (平成30) 年 │
【令和時代】
2019 (令和01) 年 │ 2020 (令和02) 年 │