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 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

流行年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1978.01. ブーツをぬいで朝食を 西城秀樹 イントロでライターに火を付ける仕草が印象的だった。でも、寺内貫太郎一家のイメージが強すぎるので、ブーツを脱いで畳のお茶の間で納豆を食べている場面を想像してしまうのは、私だけだろうか (笑) ? 
1978.01. カナダからの手紙 平尾昌晃・畑中葉子 第3回空の音楽祭のグランプリ曲で、大ヒットしたデュエット曲。この曲のおかげで、カナダを訪れる人が大幅に増えたとか。裏方的な存在だった平尾昌晃が、歌手として久しぶりに表舞台に戻ってきた。
1978.01. 春の予感〜I’ve Been Mellow〜 南 沙織 1978年度、資生堂春のキャンペーン・テーマソング。
1978.01. いとしのロビン・フッドさま 榊原郁恵 レコーディングの時に風邪を引いていたので、別の日に録り直したという。
1978.01. 思い出は美しすぎて 八神純子 Aメロからいきなりハイトーン・ヴォイスが聴けるデビュー曲。高音のメロ、サンバホイッスルなど初期の音楽スタイルが、この曲ですでに完成していたことがよくわかる。
1978.01. サムライ 沢田研二 衣装にハーケンクロイツの腕章を使用していたことで物議を醸した作品。
1978.02. 赤頭巾ちゃん御用心 レイジー 都倉俊一が作曲した歌謡曲。ハードロック志向だったものの、売れずにベイ・シティ・ローラーズのアイドル路線を取ったこの曲で注目されるようになった。しかし、メタラー御用達のフライングVを持ってアイドル全開の振り付けで踊ったり、ドリフと一緒に体操する彼らを見て、衝撃を覚えた人も多かった (笑)。ヴォーカルのMichellは、後でアニメソングの歌手として大成する影山ヒロノブ。他のメンバー、Suzy (高崎晃) とDavy (樋口宗孝) はハードロック・バンドLOUDNESS (ラウドネス) を結成し、アメリカ進出も果たした。
1978.02. 微笑がえし キャンディーズ キャンディーズ、解散前のラストシングル。1978年4月4日、後楽園球場での解散コンサートを最後に、1676日の活動期間に終止符を打つ。
1978.02. 乙女座宮 山口百恵 星占いでよく知られている星座が歌詞に登場した。
1978.02. 時には娼婦のように 黒沢年男 (現: 黒沢年雄) 意味ありげに帽子をかぶり、つぶやくように歌って大ヒット。以前には「やすらぎ」なんていう曲もヒットさせていたが、今となってはこちらのインパクトしか残っていない。また、作詞・作曲のなかにし礼も歌い、小ヒットしている。歌った理由は、借金返済のためだったとか (涙) 。ちょうどこの曲がヒットしていた頃に、競争相手だったのがピンク・レディーの「サウスポー」だった。ちなみに、ヒロシ&キーボーで「3年目の浮気」を歌っていたのは、彼の弟である黒沢博。
1978.02. 夢追い酒 渥美二郎 「あなたなぜなぜ私を捨てた〜」で有名な、182万枚以上を売ったヒット曲。ニューミュージック全盛の中にあって特に異彩を放った。祖父は新内流し、父はギターの流しで、高校中退後ギター流しの道に入った。リリース当初はまったく話題にならなかったが、本人が全国の有線放送局やレコード店を1軒1軒地道にまわり、彼の記憶では北海道から沖縄まで5往復したほどだったという (笑)。
1978.03. 花しぐれ 高田みづえ
1978.03. 時間よ止まれ 矢沢永吉 資生堂・夏のキャンペーン・ソング。これにより、キャロルとは全く違う新しい世界を切り開くことに成功した。
1978.03. かもめはかもめ 研ナオコ 作詞・作曲は中島みゆき。研ナオコのデビュー時のキャッチ・コピーは「ピーターみたいな女の子」だった。ピーターとは、「夜と朝のあいだに」をヒットさせたあのピーターだ (笑)。
1978.03. 涙の誓い アリス
1978.03. 狼なんか怖くない 石野真子 作曲は吉田拓郎で、デビューシングル。2004年には『特捜戦隊デカレンジャー』に出てくる知的な博士、スワン役に抜擢されている。
1978.03. Mr.サマータイム サーカス 3人姉弟と従姉で構成されたコーラス・グループのデビューシングルで、カネボウ’78夏キャンペーンソング。フランスのミシェル・フュガンのカバーだったが、CMソングにするため原曲の歌詞をあえて無視するよう、ディレクターから竜真知子へ伝えられ、欧州の避暑地というイメージで歌詞が作られた。
1978.03. 表参道軟派ストリート 水谷 豊 途中でナンパに失敗した水谷豊のセリフが入っており「人の良さそうなニクめない奴」といった印象を受ける作品。
1978.03. さよならだけは言わないで 五輪真弓
1978.03. サウスポー ピンク・レディー バッターの王選手 (当時の読売ジャイアンツ) と、ピッチャーのピンク・レディーが野球対決をする、という架空の設定がバカウケ。今じゃ絶対にヒットしないだろうなあ。お茶の間があった頃の懐かしさに涙。スパンコールの衣装と野球のフォームを取り入れた振り付けもインパクト強し。
1978.03. 闘牛士 Char 歌謡曲路線の最後のシングル。
1978.03. 東京ららばい 中原理恵 函館出身、1956年6月15日生まれ。当人は「私は日本の歌手で初めて、シングルよりも先にアルバムデビューを果たした」と豪語していた。本当か?(調べてみたら、本当だった)。 ちなみにこの曲のイントロは、サンタ・エスメラルダのディスコ版「悲しき願い」 (アニマルズのカバー) から。
1978.03. ヴァイブレーション 郷ひろみ
1978.03. 与作 北島三郎 「ヘイヘイホー!」でおなじみの曲。NHK総合テレビ『あなたのメロディー』の応募作品をアレンジしたもの。エポック社のカセットビジョンでも、木を切る木こりの「与作」というゲームがあり、その中のBGMとしてこの曲が使われている (ただし、版権の関係からかメロディの部分ではなく、「ヘイヘイホー」を思わせる箇所だけ)。恐ろしいのは、このゲームではイノシシが与作を襲うので斧で倒すのだが、このイノシシがピンク色した単なる平行四辺形だったことだ (爆笑)。
1978.04. エ一ゲ海の旅 平尾昌晃・畑中葉子 「カナダからの手紙」の第2弾。他にも「サンフランシスコ行き」「ヨーロッパでさよなら」と世界一周してしまった。が、これらの曲を知る人はほとんどいない (笑)。
1978.04. かもめが翔んだ日 渡辺真知子 「ハーバーライトが〜」の部分と、「人はどうして〜」の部分はもともと別の曲で、一つにつなげてしまったらしい。ポール・マッカートニーみたい。もちろん彼女の代表曲となっている。驚くことは、この曲がヒットしたとき、彼女はまだ21歳だったということだ (笑)。
1978.04. ゴー・ウェスト ザ・ドリフターズ 「ニンニキ・ニキニキ……」のフレーズが印象的なドリフターズ1970年代後半のヒット曲。間違えて二木の菓子のCMソングを思い出した人は、かなりの年齢ですよ (笑)。メンバーそっくりの人形が出演するテレビ番組『西遊記』の主題歌だった。
1978.04. 飛んでイスタンブール 庄野真代 作曲は筒美京平。庄野真代自身はこのとき、イスタンブールには行ったことがなかった (笑)。当時流行になりつつあった海外旅行を見据え、無国籍なイメージをかぶせたいというディレクターの意向があったという。
1978.04. 宿無し 世良公則&ツイスト この辺りから、売れるロックバンドやロック歌手が一般的に認知されてきた。というのも、サザン、矢沢永吉、ゴダイゴ、Charなど次々と新しいアーティストが人気を得るようになってきたからだ。「宿無し」はそんな時代にマッチし、彼らで最も知名度の高いヒット曲に。テンポのよいブルーズ・ロックに、世良公則のスタンドマイクを使った派手なアクションも冴えていた。
1978.05. 青葉城恋唄 さとう宗幸 金八先生シリーズ、「仙八先生」役をやっていた。彼は地方や東京で仕事をするとき、必ず仙台を経由するようにコースを決めるという噂が流れていた (笑)。高校卒業まで宮城県古川市 (現在の大崎市) で育っている。ちなみに、彼の2番目の子どもの誕生日は3月18日です (←細かいって)。
1978.05. ダーリング 沢田研二 サビのピッチが少し低い気がする。ジャケットでは、幼い女の子を枕代わりに。こういう構図で有名なのが、ボズ・スキャッグスのアルバム『ミドル・マン』。ボズが膝枕をしていたのは、幼い女の子だったと話題になった。でもこのアルバムが出たのが1980年だから、それに先駆けていたともいえるかも?
1978.05. プレイバック Part 2 山口百恵 「プレイバック Part1」があったことはあまり知られていない。また、フェスタ・モードというグループが1994年に「プレイバック Part3」なる曲をアルバム『FESTA MODE Ⅱ』に収録している。曲調は全然違うし、作詞・作曲も阿木・宇崎のコンビではないけど。あの「バカにしないでよ〜!」の部分は、当時シングル曲として別の曲を持っていったがディレクターにボツにされ、明日までに別の曲を作ってこいと言われたので、頭にきたので入れたらしい。これはディレクターに対する当てつけでもあったんだわね (笑)。
1978.06. ジョニーの子守唄 アリス 堀内孝雄作曲、G-Em-C-D7の循環コードでできていて、ギターを練習するにはもってこいの曲。
1978.06. 勝手にシンドバッド サザンオールスターズ レコーディングの時、担当ディレクターに「胸騒ぎの腰つきって、どんな腰つきなんだ?」と説明を求められたとか (笑)。沢田研二の「勝手にしやがれ」+ピンク・レディーの「渚のシンドバッド」=サザンのデビュー曲。TBS系音楽番組『ザ・ベストテン』にジョギパン姿で出ており、次の日の学校で「今何時?」ってみんな真似してたほど、インパクトが強かった。
1978.06. モンスター ピンク・レディー ホラー要素を取り入れたヒット曲だが、この辺りを境に勢いが衰えていった。
1978.06. パープルシャドウ 高田みづえ
1978.06. 林檎殺人事件 郷ひろみ・樹木希林 「フニフニフニフニ……」が印象的。このフレーズを考えたのは、TVドラマ「ムー一族」、「時間ですよ」で有名な演出家・久世光彦。TVドラマ『ムー一族』挿入歌。
1978.07. シンデレラ・ハネムーン 岩崎宏美 ディスコ・タッチな曲。後にお笑いタレントのコロッケが物まねで使うようになり、この曲をを知らない若い人にも浸透していった。と、ここまではよかったが、この曲のイントロがかかるたびに観客に笑われるようになってしまったため、一時期歌うのをやめていたほどだった (笑)。
1978.07. 入江の午後3時 松任谷由実
1978.07. モンテカルロで乾杯 庄野真代 「飛んで〜」の第2弾はモンテカルロ。
1978.07. 夏のお嬢さん 榊原郁恵 この間、何気なくCDを聴いていたら、Aメロはスージー・クワトロの「ワイルド・ワン」とほとんど同じだということが判明した (笑) 。作曲の佐々木勉は、「星に祈りを」(ザ・ブロード・サイド・フォー)、「別れても好きな人」(ロス・インディオス&シルビア)、「3年目の浮気」(ヒロシ&キーボー)などをヒットさせた人物。編曲の小六禮次郎は、すぎやまこういちの弟子に当たる。
1978.08. 赤毛の隣人/悪い夜 来生たかお 「長雨」に続く、第4弾シングル。この曲は、ファーストアルバム『浅い夢』からのシングルカット。1977年7月に提供した「マイ・ラグジュアリー・ナイト」 (しばたはつみ) がヒットして、作曲家として注目を集めつつあった時期だった。
1978.08. 青い闇の警告 井上陽水 陽水は1964年、高校入学。夜、コンプレックスの数を数えると24個もあり眠れなくなったという (笑)。
1978.08. 銃爪 (ひきがね) 世良公則&ツイスト 解散後、ベースの鮫島は同系列のバンド (笑)、ハウンド・ドッグへ移籍した。「あんたのバラード」「宿無し」「銃爪」「燃えろいい女」がツイストのヒット4部作。
1978.08. 君のひとみは10000ボルト 堀内孝雄 ステージ上で「瞳のボルテージは?」とチンペイさんに聞かれ、「ワットじゃ小さいから……ボルトですね」と言った間抜けな孝雄君でした (笑)。ライヴアルバム『栄光への脱出』を聴いてみれば分かります。後年、なぜか美空ひばりもカバーしている。作曲家の宮川泰は、「君のひ|とみはい|ちまんボルト」と、普通ではあり得ない場所で単語をぶつ切りにしているところが新鮮だったと語っていた (笑)。
1978.08. 季節の中で 松山千春 松山千春の5枚目のシングルで、グリコ・アーモンド・チョコレートのCMソング。めったにテレビに出ない彼だったが、1978年11月16日のTBS系「ザ・ベストテン」に出演した (コンサート先、旭川からの中継) 。
1978.08. たそがれマイ・ラヴ 大橋純子 TVドラマ『獅子のごとく』の主題歌で、広い音域と大きな声量、清涼感のある歌声が聴く人の心をとらえた。彼女は身長150センチ足らずなのに、どうしてここまで素晴らしい歌声が出るのか、担当したディレクターも不思議でたまらなかったという。
1978.08. ヤマトより愛をこめて 沢田研二 アニメ映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の挿入歌となり、ヤマト人気もあってヒットした。さらにこの流れをくむ「Love〜抱きしめたい」もヒット。
1978.08. 絶体絶命 山口百恵 三角関係をテーマにした曲で、「やってられないわ」の台詞が印象的。
1978.09. 女ともだち 高田みづえ
1978.09. Love (抱きしめたい) 沢田研二 当時、シングルレコードを買いにレコード屋さんに行ったところ、この曲は売り切れていて何軒かまわらなければならなかったのを憶えている。第20回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞、第9回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞している。
1978.09. グッド・ラック 野口五郎 本名は佐藤靖、生まれは昭和31年2月23日、好物は焼き肉だったとか。
1978.09. みずいろの雨 八神純子 八神純子最大のヒット曲。「思い出は美しすぎて」でもAメロでハイトーン・ヴォイスを聴かせていたが、こちらはサビ始めでしかも高音を繰り出している。曲調もアップテンポだったので、より強いインパクトを与えた。
1978.09. 涙あふれて 浜田省吾
1978.09. おもいで河 中島みゆき
1978.09. 透明人間 ピンク・レディー 全盛期のヒットは、すべて作詞は阿久悠、作曲は都倉俊一。歌詞は当時の世相を反映しているものが多い。
1978.10. 僕の先生はフィーバー 原田 潤 日本テレビ系ドラマ金曜劇場『熱中時代 (教師編) 』主題歌。子役歌手だった。「あの人は今……」的な番組でも取り上げられないのが不思議。「フィーバー」は、当時流行していた映画「サタディ・ナイト・フィーバー」から来ている。この映画のサントラは、ビージーズやジグソーなどの名曲がそろっていて大ヒットした。
1978.10. ガンダーラ ゴダイゴ 日本テレビ系テレビドラマ『西遊記』主題歌。これまでずっと英語の歌詞で歌っていたが、このシングルで初めて日本語の歌詞を乗せている。
1978.10. 埠頭を渡る風 松任谷由実 12枚目のシングル。洗練されたアレンジにストリングス、ホーンが絡む曲で、彼女の中でも人気の高いシングル。
1978.10. みにくいあひるの子 研ナオコ 作詞・作曲は中島みゆきで、アップテンポな曲調と歌詞に出てくる女性=研ナオコというイメージがぴったりの名曲だった。
1978.10. ミスコンテスト 井上陽水 1967年、陽水は大学受験失敗。原因はビートルズ、女性、性的不安だったそうだ (笑)。
1978.11. いい日旅立ち 山口百恵 旧国鉄 (現在はJR) のキャンペーンソングで、現在にも歌い継がれている谷村新司作の名曲。宇崎竜童は「シンジの奴、オレが変化球ばっかり投げてる間に思いっきりストレート投げやがって……」とラジオで文句を言っていた (笑)。
1978.11. 気分しだいで責めないで サザンオールスターズ シングルとアルバムでは、バージョンが違う。「勝手に〜」の二番煎じといわれ、売り上げ、評論家からの評価ともに芳しくなかったが、個人的には悪くないと思う (笑)。
1978.11. 時代遅れの恋人たち 中村雅俊 中村雅俊自身が主演した日本テレビ系テレビドラマ『ゆうひが丘の総理大臣』主題歌。16ビートにカントリー音楽でよく使われるバンジョーという取り合わせはかなり異質な感じがした。出だしでは、ストリングスがカントリーのフィドル風の旋律を奏でている。ちなみに、B面の「海を抱きしめて」は同ドラマのエンディングテーマに採用されている。両曲とも作曲は筒美京平、編曲は大村雅朗。
1978.11. マスカレード 庄野真代 1980年の春に休養を宣言して世界旅行へ旅立ち、彼女はこのとき初めてイスタンブールへ行ったのだった (笑)。しかし、「飛んでイスタンブール」のように乾いたイメージとはほど遠く、12月に雪が降って、荷物も湿ってしまい、非常に重かったという (笑)。
1978.11. 戻っておいで・私の時間 竹内まりや
1978.11. 夢想花 円 広志 この曲の歌詞によく登場する「飛んで飛んで……」は「一体何回言ってるでしょう?」と、よくテレビ番組のクイズの問題に出題されるほど、しつこく繰り返してインパクトを与えたヒット曲。正解は72回です (笑)。彼は大学時代、ズームというバンドで活動し、世良正則が裏方で手伝うなど、大阪では名前が知られていた。しかしバンドは解散、世良はツイストでヒットして一人悶々とした生活を余儀なくされる (笑)。しかしこの曲で世界歌謡祭に出場、見事グランプリを獲得し、世良も応援に駆けつけるなど、大きな話題となった。しかしこの曲が売れすぎたため、後が続かず。後に、公園で暇をつぶしていると女子高生が、「円広志って交通事故で死んだらしいよ」と目の前で会話しているのを聞いてしまったり (笑)、島田紳助にラジオで「飛んで飛んでどこかへ行ってしまった」と悪口をいわれたりしていた。頭に来た彼は抗議したところ、対決することとなり、これが面白かったので今度はタレントとして復活 (これは紳助が仕組んだものともいわれる)。また、森昌子に「越冬つばめ」を提供。彼自身は、1994年にはTVバラエティ『探偵! ナイトスクープ』主題歌「ハートスランプ二人ぼっち」を歌っているが、関東ではほとんど知られていない (笑)。番組自体が深夜の不定期放送で余り知られていなかったからだ。彼は関西圏を中心に、現在でも活躍を続けている。
1978.11. オリビアを聴きながら 杏里 杏里のデビュー曲。作詞・作曲は尾崎亜美。オリビアとは、オーストラリア出身の歌手、オリビア・ニュートン・ジョンのこと。男性を捨てるという積極的な女性の姿を描いたこの作品は、彼女の能動的なイメージと重なった、と尾崎亜美は後年語っている。
1978.12. カメレオン・アーミー ピンク・レディー 1979年、「Kiss in the Dark」という英語の曲でアメリカに進出し、ビルボードのトップ40に入る健闘を見せた。しかし、プロモーションにお金を使いすぎて、事務所が経営難に陥ってしまった。
1978.12. チャンピオン アリス 「冬の稲妻」と並ぶ、アリス最大のヒット曲。このヒットで、谷村新司が全てのイメージをかっさらって行ってしまい、小粒の良作を作ってきた堀内孝雄の立場がなくなってしまった (笑)。また、このボクサーにはモデルとなる人物がいた。元東洋ミドル級チャンピオンのカシアス内藤で、チンペイさんは「チャンピオン」が発売されてから20年ぶり以上たった2002年4月6日に彼と劇的な再会を果たしている。
1978.12. Hero〜ヒーローになるとき、それは今 甲斐バンド 甲斐よしひろ本人は、「なんでもっと前にこれぐらいのヒットが出なかったのかなあ」と自問自答していた (笑)。
1978.12. モンキー・マジック ゴダイゴ TVドラマ『西遊記』主題歌。イントロでいきなり「アチャー!」にはびっくり。たしかヨーロッパでも発売された。歌詞は、山の頂上に猿がいて……という孫悟空の物語そのまんま。アルバム・バージョンでは、イントロが異常に長い (笑)。約20年後に、「あの」槇原敬之がカバーしたが、その印税は金太郎ちゃんのお小遣いとお薬に消えていったのだろう (涙) 。

<Years Navi>
【明治時代】
1868-1872 (明治01-05) 年 1873-1877 (明治06-10) 年
1878-1882 (明治11-15) 年 1883-1887 (明治16-20) 年
1888-1892 (明治21-25) 年 1893-1897 (明治26-30) 年
1898-1902 (明治31-35) 年 1903-1907 (明治36-40) 年
1908-1911 (明治41-44) 年
【大正時代】
1912-1916 (大正01-05) 年 1917-1921 (大正06-10) 年
1922-1925 (大正11-14) 年
【昭和時代】
1926-1927 (昭和01-02) 年 1928-1929 (昭和03-04) 年
1930-1931 (昭和05-06) 年 1932-1933 (昭和07-08) 年
1934-1935 (昭和09-10) 年 1936-1937 (昭和11-12) 年
1938-1939 (昭和13-14) 年 1940 (昭和15) 年
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【平成時代】
1989 (平成01) 年 1990 (平成02) 年 1991 (平成03) 年
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