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 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

流行年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1979.01. おもいで酒 小林幸子 新潟県出身、古賀政男に師事し、古賀の「ウソツキ鴎」でデビュー。しかしヒットに恵まれず、キャバレー回りで日銭を稼いでいた。この曲でようやくブレイクしたが、すでに古賀は亡く、恩師へ報いることができなかったと悔やんでいた。この曲は、「6時、7時、8時」のB面で、ギタリストはロック系の人だったり、8ビート曲だったりときわめて異例の演歌曲としてヒットした。
1979.01. 私のハートはストップモーション 桑江知子 ジャケット写真は最初、沢口靖子と区別できなかった (笑)。ポーラ化粧品のCMソングとなりヒットしたが、何か他人事のような感じがして素直に喜べなかったという。その後、録音予定だった曲が嫌いだったためスタジオから飛び出してしまうなど、わがままにより担当ディレクターが降板、ヒット曲からも遠ざかっていった。一時期、ロス・インディオスに在籍していたこともあるが、現在は沖縄民謡を活動の中心にしている模様。
1979.01. 天までとどけ さだまさし フリーフライトレーベルを立ち上げ、リリースした初シングル。彼はかなりのシスコンで、佐田玲子は未だ独身 (笑)。
1979.01. 君は薔薇より美しい 布施 明 1979年のカネボウ化粧品のコマーシャルソングに起用され、久しぶりのヒット曲となった。このCMに出演していたのがオリビア・ハッセーで、このCMがきっかけとなって布施とオリビアは結婚した(後に離婚)。作曲と編曲はゴダイゴのミッキー吉野で、ミュージシャンも浅野孝己(エレキギター)、スティーブ・フォックス(ベース)、トミー・スナイダー(ドラムズ)とほぼゴダイゴの布陣だった。B面の「セ・ラ・ヴィ─人生なんてそんなものさ─」は布施自身が作詞作曲し、編曲は浅野孝己が担当している。ちなみに、シングルジャケットの撮影に使われたのはホテル鹿島ノ森NICOLEだった。
1979.02. アメリカ橋 狩人 アメリカ橋とは東京にある恵比寿南橋のこと。本物は白かったが、歌詞の中では「青い橋」となっていたため、レコード会社が渋谷区役所に「青色に塗り替えて欲しい」と願い出たが、見事に却下されたという (笑) 。しかし、現在のアメリカ橋は水色に塗られている。
1979.02. カサブランカ・ダンディ 沢田研二 ウィスキー (らしき液体) を口に含み、グレート・カブキみたいに吹く仕草がおお流行り。オールディーズのEP盤をパロったジャケットも印象的。
1979.02. 魅せられて ジュディ・オング ワコールのCMソングで、この年のレコード大賞を獲得。ステージ衣装のモデルは、孔雀だった。サブタイトルの「エーゲ海のテーマ」を巡って池田満寿夫氏 (同じ時期、「エーゲ海に捧ぐ」が映画化されたが、主題歌は全然別) と裁判で争ったことも。最初に彼女を起用したいとプレゼンしたときには却下されてしまったという。その理由は、当時テレビの時代劇に出演し、エーゲ海のイメージとはほど遠いと想われていたからだった (笑)。
1979.02. ネコ・ニャンニャンニャン あのねのね B面の「ヤンヤンロック」は、『ヤンヤン歌うスタジオ』テーマ曲。いかにも70年代後半の歌謡曲というアレンジだが、見事なコミックソングとなっている。
1979.02. 想い出のスクリーン 八神純子 ミディアム・テンポな曲で、サンバホイッスルが入る。歌い方もちょっと色っぽくしているようだ。
1979.02. おやじの海 村木賢吉 秋田出身で銅鉱や精錬所、製罐工場で働いていた時に知り合った同僚・佐義達雄が趣味で作っていた曲がこれだった。二人は1972年に500枚を自主制作、その後6年してから北海道の有線放送から火がつきメジャーデビュー。この歌がヒットしたときには、彼はすでに47歳になっていた。
1979.02. サンタモニカの風 桜田淳子 「来て〜来て〜」でおなじみのヒット曲、個人的には「わたしの青い鳥」と並ぶくらいインパクトがあると思うのだが (笑)。「サンタモニカの爽やかな風をお届けします」がキャッチフレーズだった、ナショナルエアコン「楽園」CMソング。
1979.02. Young Man (Y.M.C.A.) 西城秀樹 ヴィレッジ・ピープルのカバーで、西城秀樹最大のヒット曲だが、レコード大賞をジュディ・オングにさらわれた。原曲の歌詞はホモ・セクシュアルを歌ったものだったので、コアなファンからは反対の声も。あのY.M.C.Aの手振りがバカウケ。ただし、Cのポーズで必ず左右を間違えてしまう人が多かったのは、仕方がなかった (笑)。あの振り付けは原曲にはなく、素人でも考えつくものと、振り付け担当の一の宮はじめは述懐している。訳詞を担当したあまがいりゅうじは、天下井隆二といい、当時西城秀樹のマネージャーをしていた人物。
1979.03. きみの朝 岸田智史 TBSのTVドラマ『愛と喝采と』の主人公として起用され、劇中で歌ったのがこの曲だった。岸田は、渡された歌詞について試行錯誤しながら3通りの楽曲を作ったという。彼の従兄弟はシンガー・ソングライターの卵で、岸田が披露した自作曲を録音してあった。その従兄弟はソニーにデモテープを持って行くとき、ストックとしてこの曲も入れておいたが、プロデューサーの酒井政利は岸田の曲を気に入り、デビューへの道が開けた。でも、個人的に気になるのは、デビューできなかった従兄弟の方。今、彼はどうしているのだろう? (笑)
1979.03. いとしのエリー サザンオールスターズ このバラードヒットで、キワモノバンドからの脱皮に成功。TVドラマ「不揃いの林檎たち」でも使われ、これで清水健太郎と楽屋で腕相撲をする必要がなくなった (個人的にはやってみたかったぞ!) (笑)。1989年には英語の歌詞をつけてレイ・チャールズがカバー、サントリーウイスキー「ホワイト」のCMソングに起用されたことでヒットしている。
1979.03. ジパング ピンク・レディー オリエンタルなイメージを利用した曲だったが、曲調と衣装、振り付けがややインパクトに欠けていた。
1979.03. 美・サイレント 山口百恵 「あなたの××が欲しいのです」という伏せ字攻撃には、さすがに参った!
1979.04. 愛を描いて (Let’s Kiss The Sun) /潮騒 山下達郎
1979.04. ビューティフル・ネーム ゴダイゴ 「国際児童年」の協賛歌で、子どもたちと一緒にリズムを取って歌えるように作られている。
1979.04. カリフォルニア・コネクション 水谷 豊 曲名と歌詞の内容がどうしてもつながらない。さすがは阿木燿子 (笑)。日本テレビ系ドラマ「熱中時代 刑事編」主題歌で、彼にとっての大ヒット曲。アイパー姿の水谷豊が懐かしい。
1979.04. 燃えろいい女 ツイスト 資生堂 ’79サマーキャンペーンソングとなり、ヒットした。CMソングということで、世良はAメロ、Bメロをやや抑えめに歌っている (笑)。
1979.04. 男達のメロディー SH GUN 芳野藤丸 (よしの・ふじまる) を中心に、腕利きのミュージシャンで結成されたバンド。TVドラマ『俺たちは天使だ!』の主題歌となり、ヒットを記録。作曲のケーシー・ランキンは、後にソロで『超時空要塞マクロス』の続編、『超時空世紀オーガス』の主題歌、「漂流〜スカイハリケーン〜」を歌っている。
1979.04. そして、昼下がり/ゆるやかに愛が 来生たかお 4月1日には、三浦友和のアルバム『素描』制作に参加、全曲を作曲している。この曲は東宝映画「黄金のパートナー」 (三浦友和主演) の主題歌となり、高中正義とともに音楽を担当。また、エンディングロールで初の映画出演を果たすことにもなった (笑)。
1979.04. 夢去りし街角 アリス 夢が去った街は一体どの街だったのか──答えは、谷村新司いわく新宿三丁目周辺らしい。
1979.05. アメリカン・フィーリング サーカス 「Mr.サマータイム」に続くさわやかなヒット・シングル。JAL “Come to AmericaI ’79” CMソングだった。「さあ、その想い、ぶつけて! あなたのアメリカ!」がキャッチフレーズだった。CMで使われていたバージョンは、テンポがやや速く、曲も編集されていた。後に、アニメ『まんが日本史』のEDも歌っていた (「風のメルヘン」)。
1979.05. 舟唄 八代亜紀 途中で「ダンチョネ節」が入る。「雨の慕情」と双璧で、この辺りが全盛期。作詞の阿久悠は、美空ひばりに曲を書くとしたらこんな感じ、という形で新聞に掲載した歌詞が原形になっている。
1979.05. ホップ・ステップ・ジャンプ 西城秀樹 「Y.M.C.A.」の次にリリースされたシングルで、明るく健康的なイメージを演出。ローラースケートをはいて歌っていたこともある。
1979.05. Oh!ギャル 沢田研二
1979.05. ピンク・タイフーン ピンク・レディー
1979.06. ほほにキスして 水越けいこ TBS系テレビ『8時の空』テーマソング。制作当時のスタッフは、ディレクターが萩原克己、ミキサーが北川照明、デザインは松尾博、フォトはおおくぼひさこだった。
1979.06. 愛の嵐 山口百恵 トヨタ自動車「ターセル」「コルサ」のCMにも使われていた。
1979.06. ジンギスカン 5カラット ドイツのグループ、ジンギスカンのヒット曲をカバーしたもの。欧州のユーロヴィジョン・コンテストに出場し、一躍有名に。後にモーニング娘。のシングルでこの曲の「ウッ、ハッ!」の部分を取り入れていた (笑)。2008年にはBerryz工房が、5カラットの歌詞を使ってリメイクしている。
1979.06. 陽はまた昇る 谷村新司 TVドラマの主題歌になった曲。曲と歌詞が出来たときには、まだドラマのタイトルが決まっていなかった。そのため、この曲名からドラマのタイトルが生まれた。いきなり歌詞が「夢を削りながら年老いていく」と切り込んでくるのはさすが (笑)。
1979.06. 忘れてほしい 渥美二郎 「忘れてほしい」っていわれても、この曲誰も憶えていないって (笑)。
1979.06. よせばいいのに 敏いとうとハッピー&ブルー メンバーの森本英世は、その昔TVアニメ『タイガーマスク』の主題歌を歌っていた (新田洋名義)。よせばいいのに (笑)。
1979.07. 愛の水中花 松坂慶子 作詞は、作家である五木寛之。ドラマ『水中花』の原作者である彼は、下積み時代、数々の歌謡曲の作詞を手がけていたが、そのほとんどが不発に終わっていた。レディ・ドール姿で歌うのを考案したのも彼だそうで、歌謡曲に対する執念にはすさまじいものを感じる (笑)。
1979.07. 銀河銀道999 ゴダイゴ 映画版「銀河鉄道999」の挿入歌。この曲は英語の歌詞が先にあって、後からタケカワユキヒデが作曲し、ミッキー吉野が編曲を施した。歌詞は奈良橋陽子の手によるもので、サビの英語の部分が残され、日本語の歌詞として山川啓介が新たに作ったという。「銀河鉄道999」の作者、松本零士はもっとスローでオーケストラと一緒に演奏している曲を想定していたらしく、エンディングでこのアップテンポな曲がマッチするかどうかが争点となったが、結局試写会の時にクライマックスで大きな拍手で会場が包まれた、ということからも大成功だったという。
1979.07. 関白宣言 さだまさし この曲は、妹の佐田玲子 (当時22歳) が結婚することを想定して書いた曲で、後に同タイトルの映画も作られた。この大ヒットのあと、自ら関わった映画製作の失敗から30億の借金を抱えることに…… (笑)。「ラララーラ……」のフレーズは、フランキー・ヴァリの「君の瞳の恋してる」の変形。後年、この曲をパロディにした「関白失脚」を作っている 。こちらの方は、マイナーでわびしさ全開だが、後ろに行くにしたがって頑張れを連呼する応援歌に変わっていくのはさすが (笑)。また、当時アンサーソングとして「良妻宣言」という曲が作られているが、ほとんどヒットしなかった。
1979.07. 風を感じて 浜田省吾 日清食品カップヌードルのCM曲ということもあって、一気に知名度を上げた。
1979.07. 虹とスニーカーの頃 チューリップ 16枚目のシングルで、彼らにとって1970年代最後のヒット曲となった。財津和夫の2ndソロシングル「Wake Up」もこの頃で、バンド・ソロ活動ともに充実していた。しかし同時にベースとドラムズが脱退したため、新たにメンバーを追加している。
1979.07. 思い過ごしも恋のうち サザンオールスターズ デビュー曲「勝手にシンドバッド」、2枚目のシングル「気分しだいで責めないで」と同じ路線だったため、さすがに飽きられてしまった。
1979.07. ポーラ・スター 八神純子 7枚目のシングル。TBSの歌番組『ザ・ベストテン』の司会者だった久米宏は、山口百恵のおしりを触るなどセクハラしていたが、八神純子の時には一切そういうことはしなかった (笑)。
1979.07. セクシャル・バイオレットNo.1 桑名正博 カネボウ化粧品のCMソングで、大ヒットを記録してロック歌謡の代表曲となった。
1979.07. 新宿・みなと町 森進一 この年にナベプロから独立、新機軸として作詞家に麻生香太郎を起用、独立後の真価を問われる第1弾は見事成功した。
1979.08. 微笑の法則 柳ジョージ&レイニー・ウッド 資生堂化粧品「ベネフィーク・グレイシィ」のCMソングとなり、ヒット。柳ジョージは「和製エリック・クラプトン」ともいわれている。
1979.08. なぜか上海 井上陽水 後にタモリに、「あんた上海に行ったこともないのによくそんな詞が書けるねぇ」といわれていた (笑)。
1979.08. 大阪で生まれた女 BORO 昔、河島英五の「酒と泪と男と女」と区別がつかなかった (笑)。この曲は18番まである大作 (虎舞竜の「ロード」みたい) で、まずはショーケン (萩原建一) によって歌われたが、作者である彼がセルフカバー、関西を中心に大ヒット。この系統のヒット曲としては他にも、上田正樹の「悲しい色やね」がある (笑)。2003年9月には、「大阪で生まれた男」というシングルをリリースしている。ただ歌詞を変えただけなんだけどね (笑)。彼はかまやつひろしの父親、ティーブ釜范のもとで音楽を勉強し、兵庫県のクラブやバーを回ってギターの弾き歌いをしていた。クラブのステージで披露してから3年後、内田裕也のプロデュースでこの曲がシングルとしてリリースされた。
1979.08. September 竹内まりや
1979.08. 潮騒のメロディー 高田みづえ
1979.08. 道標ない旅 永井龍雲 「しるべないたび」と読む。グリコのCMソングとして使われた、彼にとって唯一のヒット曲。「君が歩けば そこに必ず道はできる」と、高村光太郎の「道程」を取り入れている。1996年には五木ひろしに「女の酒場」を提供し、10万枚を売るヒットに。
1979.08. 夜明け 松山千春
1979.09. ロンリー・ウルフ 沢田研二
1979.09. 万華鏡 岩崎宏美 富士重工・スバルの「ザ・ニュー・レオーネ」CMソング。本人もCMに出演していた。歌詞にも「バックミラー」が登場している。
1979.09. マイレディー 郷ひろみ TTVドラマ『家路』挿入歌。ゆっくりのテンポからブレイクし、アップテンポになるヒット曲。アコースティック・ギターがいいアクセントになっている。
1979.09. おまえとふたり 五木ひろし 第21回日本レコード大賞金賞を受賞した大ヒット。作曲は木村好夫、編曲はTV特撮『快傑ズバット』の音楽を担当した京建輔。
1979.09. 織江の唄 山崎ハコ 「シンスケしゃ〜ん!」ミキサーが、山崎ハコの曲を聴きながら泣いていたという逸話がある。しかし、その涙は感動していたからなのか「何で俺がこんな曲のミキシングしないといけないんだよ〜」という涙だったかは、定かではない (笑)。脱力した歌い方が特徴。映画『青春の門』のサブテーマ。
1979.09. りばいばる 中島みゆき
1979.09. SACHIKO ばんばひろふみ タイトルが横文字なのは、漢字だと演歌になってしまうからだとか。当初のタイトルは「幸子」だった。字に反して薄幸のイメージがあるというところからできた曲。
1979.09. しなやかに歌って -80年代に向って- 山口百恵 サブタイトルは「80年代に向って」。歌詞に出て来たレコードが、この1980年代にCDに取って代わられることは誰が予想しただろう (笑)。
1979.09. 秋止符 横山みゆき アリスの「秋止符」と同じ。声がちょっとアイドルっぽくて、曲調と不釣り合い。
1979.09. 別れても好きな人 ロス・インディオス&シルヴィア 「別れても〜」の「わっ」部分で、男のヴォーカルがミョーに鼻にかかるところがまたグッとくる (笑)。
1979.10. テクノポリス(Technopolis) イエロー・マジック・オーケストラ(YMO) イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のデビューシングル。細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏の個性がぶつかり合い、シンセサイザーとコンピューターとの融合によって類い希なるグループが誕生した。イントロの「TOKIO!」ではヴォコーダーという声にエフェクトをかける機材(ローランド製VP-330の試作機)を使っており、他にも当時としては最新鋭の機材を惜しげもなく投入することで斬新なサウンドが誕生した。作曲は坂本龍一。
1979.10. 君はどこまで美しくなるのか。 因幡 晃
1979.10. あなただけGood Night/マイ・ラグジュアリー・ナイト 来生たかお 朝日放送系ドラマ『見知らぬ恋人』の主題歌となった。B面は、もちろんしばたはつみに提供した曲のセルフカバー。10月9日には、結婚式を挙げている。出会いは、前年 (1978年) のコンサート会場の楽屋だったとか (笑)。
1979.10. 安奈 甲斐バンド 前作は「感触」で、いまいちだったがこの曲で盛り返した。
1979.10. C調言葉に御用心 サザンオールスターズ C調とは、調子いいをひっくり返した業界用語。ナビスコ「チップスター」CMソング。
1979.10. ホーリー&ブライト ゴダイゴ
1979.10. 異邦人 久保田早紀 サンヨーのTVのCMソング。大ヒットを記録したが、1985年に久米明 (TVのナレーションで有名) の息子と結婚、久米小百合に改名。現在は教会音楽に従事している。
1979.10. 親父の一番長い日 さだまさし 曲が非常に長いため、12インチシングルで発売された。やはりモデルは妹の玲子で、女性の誕生から結婚までのリアルな人生と、それに対して喜びや悲しみを感じる父親を表現した力作。
1979.10. 夜明けのマイウェイ パル 桃井かおりが主演していた日本テレビ系ドラマ『ちょっとマイ・ウェイ』主題歌。桃井かおりが扮するケーキ屋さんで起こる事件をコミカルに描いたドラマだったことは憶えているが、主題歌はとんと憶えていない。不思議だ。後年、レコードを買ってみて聴いてみたがやっぱり憶えていなかった (笑)。ちなみに、作詞・作曲は、「いとしのマックス」などで有名な荒木一郎。リード・ボーカルの新井正人は、後に『機動戦士ガンダムZZ』の主題歌、「アニメじゃない〜夢を忘れた古い地球人よ〜」を歌っている。
1979.11. ブランデーグラス 石原裕次郎 久しぶりのヒット曲。1977年にリリースされていた曲だったが、再リリースしたところヒットしてしまった。
1979.11. 大都会 クリスタルキング 1998年、珈琲のCM「クリスタル・ブラック」に使われ、ヴォーカルも出演。このヒットの後、アニメ『北斗の拳』の主題歌「愛をとりもどせ!」で再起をかけ、インパクトを十二分に残した。売れなくなって生活がすさみ、草野球で喉にボールを当てて声を悪くしたため、ハイトーンヴォイスはもう聴けない。あとは小野正利だけが頼りだ (爆) 。第10回世界歌謡祭グランプリ曲。
1979.11. 真夜中のドア〜Stay with Me〜 松原みき 松原みきの出世作。後年、作曲家としても活動しており、OVA『機動戦士ガンダム0083』の主題歌にも関わっている。「真夜中のドア〜Stay with Me〜」は、2020年にシティポップへに対する世界からの関心の高まりや海外アーティストによるカバーなどによって再評価の気運が高まり、Spotifyグローバルバイラルチャートで18日間世界第1位を記録している(2020年12月10日〜12月27日)。作曲は、「悲しい色やね」(上田正樹)、「悲しみがとまらない」(杏里)、杉山清貴&オメガトライブの一連のヒット曲を作った林哲司。
1979.11. 贈る言葉 海援隊 海援隊の大ヒット曲で、TBS系テレビドラマ『3年B組金八先生』で使われ、卒業式の定番ソングとして長い間歌われた。しかし、驚くべきことは当時彼はまだ30歳になるかならないかという年齢だったことだ (若かった)。2003年には、FLOWがパンク・アレンジでカバーしており、コアな海援隊ファンの怒りを買っている。曲名は、柴田翔の小説から取ったのこと。「悲しみこらえて〜」の部分は武田鉄矢が納得いかなかったため、作曲の千葉や中牟田、さらになぜか堀内孝雄までがかり出されて (笑) 手直ししたがうまくいかず、最終的には千葉のメロディのままリリースされている。
1979.12. 愛染橋 山口百恵 作曲は堀内孝雄。愛染橋とは、大阪市浪速区に実在していた橋だった。
1979.12. さよなら オフコース 17枚目のシングル。このヒットで、ニュー・ミュージックのバンドとして知名度を高めた。作詞・作曲は小田和正。
1979.12. あしたのジョー〜美しき狼たち〜 おぼたけし
1979.12. 夫婦舟 三笠優子 3枚目のシングルでロングセラーを記録、1982年に日本レコード大賞ロングセラー賞を受賞している。このとき、すでに結婚していて3人の子どもがいたが、事務所の方針で隠すことに。これだけヒットしたものの、デビューから10年は給料が家賃、衣装料込みで20万円だった。後で営業ギャラが1本200万円だったことを知り、独立したのだとか (笑)。
1979.12. 日本全国酒飲み音頭 バラクーダー 要するに酒が飲めればいいわけね (笑)。これは宴会などの定番曲として知られている曲で、リーダーの岡本圭司、作曲のベートーベン鈴木がメインメンバー。2003年10月には二日酔い防止商品の応援歌としてリメイクした「帰ってきた酒飲み音頭」をリリース、リストラやローンのネタも登場している (笑)。この時には、及川ちかしとおさむというメンバーが加わっている。
1979.12. さよなら オフコース 17枚目のシングル。このヒットで、ニュー・ミュージックのバンドとして知名度を高めた。
1979.12. 秋止符 アリス 横山みゆきよりも雰囲気が合っている。「終止符」を「秋」としたのは、恋の終わりと、その時期が秋ということを意味するためだ。
1979.12. 美しき絆 – Hand in Hand – アリス 「秋止符」と一緒にリリースされたシングル。「ハンド・イン・ハンド」とは、宗教や政治に左右されることなく世界の子どもたちの明るい未来と幸福を実現するため、各人がボランティアとして参加するユニセフ募金活動のこと。1979年の国際児童年に水と衛生、栄養、保健、教育、緊急援助等への支援を通し、「子どもの権利条約」が守られるようにと始まったもので、この時期からボランティアやチャリティーコンサートということばが定着するきっかけとなった。一過性のブームに終わらせないために「ハンド・イン・ハンド募金キャンペーン」の継続を決定したユニセフは、「ハンド・イン・ハンド~100円玉の大行進~」と題して活動を続けた。シングルジャケットの裏面には「<Hand in Hand 100円玉の大行進>の趣旨に賛同し、このレコードの売り上げの一部はユニセフへ寄贈されます」と書かれていた。
1979.12. Wake Up 財津和夫 チューリップのリーダー、財津和夫のソロシングル。セイコーのCMソング。
1979.12. ユー・メイ・ドリーム シーナ&ザ・ロケッツ 作曲に細野晴臣が加わり、JALのCMソングとなりブレイクした。

<Years Navi>
【明治時代】
1868-1872 (明治01-05) 年 1873-1877 (明治06-10) 年
1878-1882 (明治11-15) 年 1883-1887 (明治16-20) 年
1888-1892 (明治21-25) 年 1893-1897 (明治26-30) 年
1898-1902 (明治31-35) 年 1903-1907 (明治36-40) 年
1908-1911 (明治41-44) 年
【大正時代】
1912-1916 (大正01-05) 年 1917-1921 (大正06-10) 年
1922-1925 (大正11-14) 年
【昭和時代】
1926-1927 (昭和01-02) 年 1928-1929 (昭和03-04) 年
1930-1931 (昭和05-06) 年 1932-1933 (昭和07-08) 年
1934-1935 (昭和09-10) 年 1936-1937 (昭和11-12) 年
1938-1939 (昭和13-14) 年 1940 (昭和15) 年
1941 (昭和16) 年 1942 (昭和17) 年 1943 (昭和18) 年
1944 (昭和19) 年 1945 (昭和20) 年 1946 (昭和21) 年
1947 (昭和22) 年 1948 (昭和23) 年 1949 (昭和24) 年
1950 (昭和25) 年 1951 (昭和26) 年 1952 (昭和27) 年
1953 (昭和28) 年 1954 (昭和29) 年 1955 (昭和30) 年
1956 (昭和31) 年 1957 (昭和32) 年 1958 (昭和33) 年
1959 (昭和34) 年 1960 (昭和35) 年 1961 (昭和36) 年
1962 (昭和37) 年 1963 (昭和38) 年 1964 (昭和39) 年
1965 (昭和40) 年 1966 (昭和41) 年 1967 (昭和42) 年
1968 (昭和43) 年 1969 (昭和44) 年 1970 (昭和45) 年
1971 (昭和46) 年 1972 (昭和47) 年 1973 (昭和48) 年
1974 (昭和49) 年 1975 (昭和50) 年 1976 (昭和51) 年
1977 (昭和52) 年 1978 (昭和53) 年 1979 (昭和54) 年
1980 (昭和55) 年 1981 (昭和56) 年 1982 (昭和57) 年
1983 (昭和58) 年 1984 (昭和59) 年 1985 (昭和60) 年
1986 (昭和61) 年 1987 (昭和62) 年 1988 (昭和63) 年
【平成時代】
1989 (平成01) 年 1990 (平成02) 年 1991 (平成03) 年
1992 (平成04) 年 1993 (平成05) 年 1994 (平成06) 年
1995 (平成07) 年 1996 (平成08) 年 1997 (平成09) 年
1998 (平成10) 年 1999 (平成11) 年 2000 (平成12) 年
2001 (平成13) 年 2002 (平成14) 年 2003 (平成15) 年
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2010 (平成22) 年 │ 2011 (平成23) 年 │ 2012 (平成24) 年 │
2013 (平成25) 年 │ 2014 (平成26) 年 │ 2015 (平成27) 年 │
2016 (平成28) 年 │ 2017 (平成29) 年 │ 2018 (平成30) 年 │
【令和時代】
2019 (令和01) 年 │ 2020 (令和02) 年 │