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 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

流行年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1981 炎の女 宇崎竜童 カメリア・ダイアモンドのイメージソング。
1981.01. チェリーブラッサム 松田聖子
1981.01. ド・ラ・ム 三原順子 3rdシングル。
1981.01. 恋のぼんちシート ザ・ぼんち 作詞・作曲は近田春夫。折しも漫才ブームの真っ最中だったが、後に出した「ラヂオ」は売れなかった (笑)。これはザ・ダーツの「ダディズ・クール」のパクリで、本人も認めたという。曲名自体、近田春夫が手がけたジューシィ・フルーツの「恋はベンチシート」のもじりだから、二重にパクっているといえるかも (笑)。ロッキー・シャープ&ザ・リプレイズのヴァージョンを聴いてみたが、やっぱり似ていた (爆) 。混同されやすいので付け加えておくと、ロッキー・シャープ&ザ・リプレイズ解散後、何人かのメンバーが結成したのがダーツ。そして、近田春夫はダーツに「シュラッシュシュ天国」という曲も書いていたのだった。今では黒人音楽に傾倒していると思われがちだが、もともとはロックン・ロールをやっていた。クールスの「紫のハイウェイ」を書いていたのも彼だったしね。今でこそ「考えるヒット」なんかでいろいろ言っているけど、オイオイ、と思ってしまう私って…… (核爆) 。
1981.01. 恋= Do! 田原俊彦 「こいはどぅ!」と読む。あの情けない歌い方はなんとかならなかったんだろうか?
1981.01. 街角トワイライト シャネルズ デビューから「ハリケーン」まではいずれも大ヒットしている。作詞は湯川れい子、作曲は井上忠夫 (大輔) がいずれも担当している。
1981.01. スローなブギにしてくれ 南 佳孝 「ウォンチュ〜!」で全てが決まった、同タイトルの映画主題歌。主演は浅野温子。マンガ「すごいよ!マサルさん」のギャグの元ネタでもある (と思う) 。
1981.01. サンセット・メモリー 杉村尚美 NTV系TVドラマ『炎の犬』主題歌。八神純子にも匹敵するハイ・トーン・ヴォイスがウリだった。この人は「日暮し」というバンドのヴォーカルで、1977年に「い・に・し・え」をヒットさせている。
1981.01. 他人酒 渥美二郎 本人が、「私ゃジミ二郎でございやすから……」とラジオでしみじみと語っているのを聞いたことがある (笑)。
1981.01. ツッパリHigh School Rock’n Roll (登校編) 横浜銀蠅 銀蠅といえばコレ。他にもサビが同じである「試験編」がある。この年の紅白歌合戦には出場できなかった。というのも、この曲が「放送上注意を要する曲」として事実上閉め出されたからだ (笑)。歌詞に出てくるスラングは、若い人には理解できないものが多い。「ドカン」は土管のようなのように太い学生ズボン、「ヨーラン」は洋ラン (丈の長い学ラン)、「タイマン」は1対1の対決、「赤テープ」は皮製学生鞄の持ち手に赤いテープを巻くことで「喧嘩買います」の意思表示を表していた (笑)。
1981.02. 春咲小紅 矢野顕子 カネボウ化粧品のCMソングで、彼女の代表曲となった。
1981.02. ルビーの指輪 寺尾 聰 1981年を代表する曲で、テレビの歌番組に出まくっていた。昔に出していたシングル曲もチャート・インしたりと大活躍。アルバム『リフレクションズ』は「Havana Express」など名曲揃いだが、間違えて『リフレクションズ2』を買わないように (爆) 。
1981.03. 17才 河合奈保子 1970年代のアイドルが歌いそうな曲。曲のアレンジがちょっと古い感じがした。
1981.03. シンデレラ・サマー 石川優子 彼女の代表曲は、JAL沖縄’81CMソング。
1981.03. E気持 沖田浩之 原宿の竹の子族からアイドルへ、そして俳優となった「ヒロくん」のデビューシングル。TBSのドラマ「3年B組金八先生」に不良の役で出演し好評を博す。歌番組にも黒の学ランで登場した。
1981.03. ヨコハマ・チーク 近藤真彦
1981.04. ブギ浮ギ I Love You 田原俊彦
1981.04. 抱かれたい、もう一度 矢沢永吉 A・B面両方とも英語で歌ったシングル。日立マクセル・カセット・テープCMソング。
1981.04. ロンリー・ハート クリエーション 日本テレビ系ドラマ『プロハンター』主題歌。
1981.04. まちぶせ 石川ひとみ 通産11作目に当たるシングルでようやくブレイクした。作詞・作曲はユーミンで、三木聖子が歌ってヒットしていたもののリメイクだった。NHK人形劇『プリンプリン物語』のヒロイン役を演じたりしたが、1987年には慢性B型肝炎で入院。しかし、タレントとして無事復帰。昔、倉田まり子と区別がつかなかったなぁ (笑)。
1981.04. メモリーグラス 堀江 淳 ステージに上がるときには、必ず「まだ生きてまーす」といって笑いをとるらしい (笑)。歌詞や歌い方から、オカマっぽいと言われていた (笑)。
1981.04. もしもピアノが弾けたなら 西田敏行 この曲、最初はB面だった。TVドラマ『池中玄太80キロ』第2シリーズの挿入歌だったが、人気が上昇したため主題歌へ格上げとなった。
1981.04. 長い夜 松山千春 通算10枚目のシングルで、彼の最大のヒット曲。1981年6月には再度TBS系「ザ・ベストテン」にVTRの形ではあるが出演した。従来のアコースティックなイメージを払拭し、音楽的な幅の広さを見せつけた。ものまねでは、「なが〜〜〜〜〜〜〜〜い〜」とえらく引っ張るとこがよく真似される (笑)。
1981.04. 夏の扉 松田聖子 彼女のヘアスタイルは「聖子ちゃんカット」と呼ばれ、大いに流行、この時期は曲にも恵まれていた。
1981.05. 不良少女白書 榊原まさとし ダ・カーポの男性の方、といわなければ分からないかもしれない。おまけに、ジャケットはセーラー服の女子高生が通る中うつむいてたばこを持っている姿。今見ても十分に危ない (笑)。作詞・作曲はさだまさし。
1981.05. Goodbye Day/ちょっと、ドギマギ 来生たかお 「夢の途中」へと続く、ミディアム・ヒットシングル。
1981.05. ハリケーン シャネルズ 「Everyday is-a どしゃ降り」という歌詞のセンスがスゴイ (笑)。
1981.05. 渚のラヴレター 沢田研二
1981.05. お嫁サンバ 郷ひろみ ヒロミ・ゴーの手の振りが懐かしい。結婚式でよく歌われるようだが、ハズす可能性が高いのであまりオススメできません (爆) 。
1981.05. サニーサイド・コネクション 三原順子 4枚目のシングル。
1981.06. エスピオナージ アリス 「ウォウオハッハ!」が耳を離れない名曲 (笑)。
1981.06. ブルージーンズメモリー 近藤真彦 たのきん映画の第2弾の主題歌で、コーラスに山下達郎 (笑) やEPOも参加。
1981.06. I Love You オフコース
1981.06. ジェラシー 井上陽水
1981.06. 守ってあげたい 松任谷由実 サイケなEPジャケットが印象的。「歌のトップテン」などでもチャートインした (出演はしなかったけど) 。
1981.06. サチコ ニック・ニューサ 博多出身で、ナイトレストラン「La La La」でレギュラーバンドをつとめていた。バンド名は、「New York City, New York U.S.A」の頭文字を取って「Nyc Nyusa」としたもの。言われなければまったくわかりませんねぇ (笑)。
1981.06. スマイル・フォー・ミー 河合奈保子 元気いっぱいに歌う彼女のキャラクターと相性がバッチリの曲の代表曲。
1981.06. すみれ色の涙 岩崎宏美 もともとは、ジャッキー吉川とブルーコメッツが歌っていた。作曲は、メンバーの小田啓義。
1981.06. 鳥の詩 杉田かおる これを歌っていた当時は、あんな風になるなんて想像もしていなかったけど (笑)。だてに中学生で××××…… (以下自主規制) (笑)。
1981.07. 涙のジルバ 高田みづえ 歌詞に出てくる「バイビー」が時代を感じさせる (笑)。編曲は、「私はピアノ」を担当した松井忠重。
1981.07. シティ・コネクション エマニエル いつまでたっても年をとらないエマニエル坊やの大ヒット曲 (笑)。クラリオンのカーステのCFに登場、人気を博した。
1981.07. 群青 谷村新司 映画『連合艦隊』主題歌。森重久彌氏はこのデモ・テープを非常に気に入ったため、砂浜でのロケの時、急遽スピーカーを砂浜に埋め込み、この曲を流しながら撮影したとか。
1981.07. 哀しみ本線日本海 森 昌子 常磐○のあまりの寂しさに、この曲をもじった「哀しみ本線常磐○」という名称がつけられている (笑)。
1981.07. キミに決定! 田原俊彦 AMラジオの「全日本歌謡選抜」を思いだした人は相当の通。
1981.07. キッスは目にして! ザ・ヴィーナス 作曲:ベートーヴェン (!) 、「エリーゼのために」。今はなき日産座間工場へ社会科見学に行ったとき、工場内でこの曲が流れていた。カネボウ化粧品秋のキャンペーンソング。
1981.07. 白いパラソル 松田聖子 この曲は、松本隆が松田聖子のために書いた初めての歌詞、ということでも知られている。
1981.07. てれて Zin Zin 竹本孝之 松村邦洋が、よくものまねをしていた。一般的には、この曲よりもアニメ『キャプテン翼』の主題歌、「燃えてヒーロー」の主題歌を歌っていた人、といった方が通りがよい。ちなみにキャプツバの主題歌には、沖田浩之ヴァージョンもある。
1981.08. ハイスクール・ララバイ イモ欽トリオ テクノ歌謡の代表曲で、作曲は細野晴臣。イントロはまるで「ライディーン」。山口良一のタレントぶりは相変わらずで、2003年に20年ぶりの再結成をしてこの曲をテレビ番組で披露。「僕たちはいままでコンサートを1回もやっていないんですよ。もしやるんだったらこの曲を30回位歌わなきゃ間が持たないんですよね」と話していた (笑)。一応、アルバムも出してるし、次のシングル「ティアドロップ探偵団」もややヒットしていたんだけど。やっぱりこの曲しか知らないか (笑)。
1981.08. サヨナラ模様 伊藤敏博 いまだにトヨエツと区別がつかない (ウソ) 。彼は新潟県出身、昭和31年生まれだ。
1981.09. ふるさと 松山千春 「長い夜」とはうって変わったアコースティック・サウンドで、都会に住む孤独な人間像を描いた作品。売れなかった (笑)。
1981.09. ギンギラギンにさりげなく 近藤真彦 当時、この曲を知らず「ギンギンギラギラ夕陽が沈む〜」の曲 (童謡の「夕日」) と間違える大人も多かった (笑)。 
1981.09. 悲しみ2ヤング 田原俊彦 江崎グリコのCMソング。
1981.09. 少女人形 伊藤つかさ 当時中学生だったため、夜の9時以降の歌番組の出演はできなかった。作曲は南こうせつ。
1981.09. ス・ト・リ・ッ・パ・一 沢田研二 ウッドベースを使っていれば完璧なネオ・ロカビリー・ソング。
1981.10. マイ・チャンプ おぼたけし・森みどり 1982年に公開された、映画「巨人の星」の主題歌。
1981.10. 悪女 中島みゆき 中島みゆき、1980年代最大のヒット曲。シングルとアルバムではヴァージョンが違い、ダークなアレンジのアルバムヴァージョンがコアなファンを喜ばせたという (笑)。Aメロのコード進行はベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」とほとんど同じ。
1981.10. デザイアー もんた&ブラザース 「ダンシング・オールナイト」に隠れて、今ではほとんど知る人もいない隠れた名曲。もんたの叫びもイカす。
1981.10. ハロー・グッバイ 柏原よしえ 歌詞に出てくる「紅茶のおいしい喫茶店」はどこ? と思ったら、南こうせつのお兄さんが経営していた喫茶店「ハロー・グッバイ」が実在していたことが作詞家・喜多条忠の証言で明らかになった。カップには「Hello」、そしてお皿には「Goodbye」の文字が書かれていたため、お茶を飲む度行ったり来たりすると言うわけ (笑)。この曲、最初はアグネス・チャンが歌っていたということは余り知られていない。
1981.10. 風立ちぬ 松田聖子 グリコ・ポッキーのCMソング。大瀧詠一が書いた名曲だ。
1981.10. センチメンタル・ジャーニー 松本伊代 この曲といい、「ラヴ・ミー・テンダー」といい、洋楽の同名異曲が多かった。昔、お笑いの番組で江頭2:50が水の中で息を止めている間だけこの曲を歌えるという「センチメンタル息止め」というコーナーをやっていた (笑)。
1981.10. ツッパリHigh School Rock’n Roll (試験編) 横浜銀蠅&嶋 大輔 曲の中に「ひとつ……、ふたつ……」という数え歌を盛り込んでいる。他にも「翔んでるセブンティーン (ツッパリHigh School Rock’n Roll 女子校編)」という曲がよく知られていた。こちらは特撮番組『宇宙刑事ギャバン』第41話にちょっとだけ流れていたので、気になる人はチェックしてみて。しかも主人公のギャバンが虚無僧たちに追いかけられるシーンで流れていたので、なかなか笑えるのだ。
1981.11. ジェームス・ディーンのように Johnny 横浜銀蝿のギター、Johnnyのソロシングル。「歌のトップテン」では、「おいでカモン」とひっかけて「来門」という名前の少年 (本名らしい) が出てきた (笑)。TVドラマ『茜さんのお弁当』主題歌。何枚かのソロシングルを出した後、所属先のキング・レコードに就職し、ディレクターとして活躍した。
1981.11. 悲しみは雪のように 浜田省吾 この時期ではなく、1992年に大ヒット。
1981.11. 風のエレジー 井上陽水 1965年、陽水はクラス旅行で海へ。同級生 (女性) が波でブラウスを濡らし、ブラが透けて見えたのにいたく感動し、交際を申し込んだ (笑)。
1981.11. 心の色 中村雅俊 「『のぼるサンライズ』って、意味が同じことを2回言ってるんですよね」とは本人の弁 (笑)。TBS系テレビドラマ『われら動物家族』主題歌。
1981.11. なめんなよ 又吉&なめんなよ 「なめ猫」という、仔猫に洋服を着せた写真やグッズが大流行した時に発売された企画モノのシングル。実際に演奏していたのは、M-Bandだった。このなめ猫は、写真集のみならず運転免許証やものさし、下敷きとあらゆるグッズが売られていた。案の定、柳の下を狙った作品「おちょくっとんなよ」が発売されたが、やはりというかヒットしなかった (笑)。
1981.11. セーラー服と機関銃 薬師丸ひろ子 当時、「歌わない最後のアイドル」が歌ったと評判に。どうやらこの曲、最初は彼女が歌うのではなく、作者の来生たかおが歌うはずであった。振り付けがなく棒立ちで歌っていたが、薬師丸ひろ子本人は「合唱部に入っていたから」と弁明していた (笑)。2006年にはテレビドラマ化され、主演の長澤まさみがカバーした。しかし、素っ気なさまで似せた歌い方をしなくても……と思ったのは私だけではないだろう (笑)。
1981.11. すずめ 増田けい子 作詞・作曲:中島みゆき。低音のハスキーな魅力を生かしたヒット曲となった。そういえば、曲調が中島みゆきが研ナオコに提供した路線に似ているような気がする (笑)。
1981.11. ウェディング・べル シュガー メンバーは長沢久美子、笠松美樹、そして毛利公子。デビュー曲で、コミックソングとして人気があった。
1981.11. 夢の途中 来生たかお 薬師丸ひろ子のシングル「セーラー服と機関銃」と異名同曲で、本当は映画の主題歌も来生たかおが歌うはずだった。また、一番の歌詞も微妙に異なる。というのも、「セーラー服と機関銃」のレコーディングに作詞の来生えつこは直接参加せず、ファックスでやりとりをしていたので何通りも直したものが混ざってしまったのではないかということらしい。結局、作詞者が納得のいく歌詞で録音したのが「夢の途中」だったわけ。イントロはポインター・シスターズの「スロー・ハンド」 (1981年4月発売) に似ている気がするけど、どうだろう?
1981.12. 夕暮れ物語 伊藤つかさ セカンドシングルで、TBS系ドラマ『鞍馬天狗』挿入歌。当時14歳で労働基準法の問題で、ベストテンなど夜の歌番組には出演できないなどのエピソードがある。

<Years Navi>
【明治時代】
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1888-1892 (明治21-25) 年 1893-1897 (明治26-30) 年
1898-1902 (明治31-35) 年 1903-1907 (明治36-40) 年
1908-1911 (明治41-44) 年
【大正時代】
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【昭和時代】
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1930-1931 (昭和05-06) 年 1932-1933 (昭和07-08) 年
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1938-1939 (昭和13-14) 年 1940 (昭和15) 年
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【平成時代】
1989 (平成01) 年 1990 (平成02) 年 1991 (平成03) 年
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【令和時代】
2019 (令和01) 年 │ 2020 (令和02) 年 │