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 明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成〜令和と150年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲、日本の大衆音楽) の歴史を探ろう、というのがテーマです。昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月 / 流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

流行年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1982 ハートブレイク M-Band 藤タカシのヒカップが冴える、「アキラ」と並ぶ名曲。
1982.01. 赤いスイートピー 松田聖子 バラード・ヒット。後年、綾瀬はるかがアコースティックなサウンドでカバー。
1982.01. 雨のリグレット 稲垣潤一 デビュー当時から「シティ・ポップス」 (笑) と呼ばれていたが、本人はロックとポップスの中間に位置する「J.I.サウンド」だと言っていた。ロックとポップスの中間って、いったいどこなんだ?
1982.01. ぶりっこ Rock’n Roll 紅麗威甦 横浜銀蠅の弟分としてデビュー。メンバーには俳優の杉本哲太がいた。
1982.01. 情熱・熱風・せれなーで 近藤真彦
1982.01. 君に薔薇薔薇…という感じ 田原俊彦 8枚目のシングル。
1982.01. 麗人 沢田研二
1982.01. 浮気なパレット・キャット ハウンド・ドッグ カネボウのCMソング。「嵐の金曜日」でレコード会社の人に誉められたが売れなかったので、今度は大丈夫だろうと思ったが、資生堂が「いけないルージュマジック」、普段は力を入れていないコーセーが「色つきの女でいてくれよ」をリリースしたため、「完敗を喫しました」 (大友康平談) (笑)。
1982.02. い・け・な・いルージュマジック 忌野清志郎・坂本龍一 坂本龍一とキヨシローの夢の競演。キヨシローはTV出演したとき、のたうちまわったり坂本龍一の顔をペロペロとなめ回していた (笑)。島田紳助と明石家さんまは、この曲にあやかった「い・け・な・いお化粧マジック」を歌っていた (笑)。
1982.02. 色つきの女でいてくれよ ザ・タイガース ザ・タイガース、期間限定の再結成シングルで一番売れた曲。その後1990年代後半には、この曲の作曲者、森本太郎の経営する会社が倒産、岸部シローは破産し、岸部は日本テレビ系のワイドショウ番組「ルックルックこんにちは」のキャスターを降板した。
1982.02. 言葉にできない オフコース なんとなくだけど、口ずさんでみると「言葉に〜できな〜い〜」の部分が、ビートルズ「イエスタディ」の「Oh I believe yesterday」に似ている気がする。やっぱり気のせい?
1982.02. ラヴ・ミー・テンダー 松本伊代 エルヴィス・プレスリーのヒット曲とは別。
1982.02. お前サラサラサーファー・ガールおいらテカテカロックンローラー 横浜銀蠅 翔の高校生時代の恋愛経験を元にして作られた曲。銀蝿はデビューしてから2年以内に「シングル、LP、カセットをヒットチャートの1位にし、武道館を満席にすること」を公約として掲げた。
1982.02. Yes My Love 矢沢永吉 コカコーラのCMイメージ・ソングとしてヒット、バンコクでもヒットしてしまった。
1982.03. 愛の終りに 高田みづえ
1982.03. ふられてBanzai 近藤真彦 サザンが1996年に出した「愛の言霊〜Spiritual Message〜」のc/w、「恋のジャック・ナイフ」のイントロはこの曲が元になっていると思う。よく聴くと、歌詞の意味がよく分からない (笑)。作詞は松本隆。
1982.03. 北酒場 細川たかし 「心のこり」で大ヒットを飛ばしたなかにし礼・中村泰士のコンビで作られたこの曲がまたまた大ヒット。続く「矢切の渡し」はミリオン・ヒットとなり、演歌では「孫」がブレイクするまで、実に18年近くミリオン・ヒットが出なかった。
1982.03. ティアドロップ探偵団 イモ欽トリオ イモ欽トリオのセカンドシングル。作詞・作曲は「ハイスクール・ララバイ」と同じ松本隆と細野晴臣のコンビだったが、それほど話題にならなかった。イモ欽人気に便乗して「Potato Boys」と書かれたTシャツ、トレーナー、コットンバッグ、ステッカーなどが発売されていたが、一体誰が買ったんだろう (笑)。
1982.04. あまく危険な香り/Music Book 山下達郎
1982.04. Down Town/パレード Sugar Babe
1982.04. 気分は逆光線/シルエット・ロマンス 来生たかお 「夢の途中」の次に出したシングルで、大橋純子に提供した「シルエット・ロマンス」をセルフカバー。歌番組では、エレキギターを弾きながら歌うことが多かった。
1982.04. 渚のバルコニー 松田聖子 9枚目のシングル。「缶コーラ」の発音で苦労したとか。この時期、フォークランド紛争が話題となっていた。
1982.04. 男の勲章 嶋 大輔 「ツッパることが男の たった一つの勲章」と言い放ち、アフロ・リーゼントと白の特攻服に身を固めた嶋大輔が放った大ヒット。作詞・作曲は銀蝿のJohnny。そのうちに、戦隊もののライブマンに出たりウルトラマン・コスモスのチームEYES隊長をやってみたりと、ツッパリからはほど遠い役者になってしまったが…… (笑)。2004年には「男の勲章」をセルフカバー、発表会イベントには当時の格好のままで登場、会場を沸かせた。さらに翌年にはインディーズ・チャートにまで登場するヒットを記録した。
1982.05. 原宿キッス 田原俊彦
1982.05. おまえにチェックイン 沢田研二
1982.06. ハイティーン・ブギ 近藤真彦 エンディングの部分を、メロディに合わせて「これで決まりさ これで決まりさ これが最高!」と歌うと決まる。しかも作曲は山下達郎 (笑)。←これで決まりさ! (爆笑)
1982.06. $百萬Baby Johnny 「ジェームス・ディーンのように」の次に出たシングルで、余勢を駆ってヒットしたが、覚えている人は少ない (笑)。
1982.06. ライオンは起きている -Lion Sleeps Tonight- 朝倉紀幸&ギャング タイトルはもちろん、トーケンズのヒット曲「ライオンは寝ている」から取ってきており、楽曲もそのカバーだが、なぜ「起きている」としたのかは不明。ビートたけしが主演したテレビドラマ『刑事ヨロシク』の主題歌だった。朝倉紀幸は後に朝倉紀行へと名前を変更し、アニメ『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』やPlayStation用ゲームソフト『天誅』の音楽を担当している。
1982.06. La Saison アン・ルイス 作詞は三浦 (旧姓山口) 百恵、作曲は沢田研二と豪華メンバー。
1982.06. 聖・少女 西城秀樹 作曲は吉田拓郎。振り付けもヤングマンほど派手ではなかったが、「セイイェイイェイイェイ」で前に出てきて「少女」で右手をくるっと回して後ろに下がるのが印象的だった。
1982.06. サマーツアー RCサクセション RCの武道館ライブは、当時カセットテープのみで販売されていた。というのも、より安く、より長く (往復約1時間) 聴いてほしいため、というのがその理由だったのだ。
1982.06. Yes-Yes-Yes オフコース
1982.07. 氷雨 佳山明生 日野美歌と競作になったことでも知られているが、実はこちらの方がかなり前にリリースされていた (が、売れてなかったのだ) 。
1982.07. 悲しいくらいほんとの話 原田知世 デビューシングル。フジテレビ系ドラマ『セーラー服と機関銃』主題歌で、作曲は薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」を作曲した来生たかお。
1982.07. ねじれたハートで 桃井かおり・来生たかお
1982.07. リバーサイド・ホテル 井上陽水 1988年に『ニューヨーク恋物語』の主題歌となり、ヒットした。とんねるずのTV番組『みなさんのおかげです』で石橋が田村正和の物まねをするときに、いつも流れていた。
1982.08. 越前岬 川中美幸 「ふたり酒」と並ぶ代表曲となった。越前岬とは、福井県にある日本海に面した岬のこと。
1982.08. 暗闇をぶっとばせ 嶋 大輔 2001年、TBS系特撮「ウルトラマンコスモス」の隊長として出演した。すっかり太ってしまった彼を見て、ツッパルことが男の勲章ではなかったんか〜と思ってしまった (笑)。
1982.08. 涙をふいて 三好鉄生 中外製薬の『新グロモント』CMソングに抜擢され、力強い歌声で人々を魅了した。
1982.08. Ninjin 娘 田原俊彦
1982.08. 3年目の浮気 ヒロシ&キーボー ヒロシは、「時には娼婦のように」をヒットさせた黒沢年男の弟。寺内タケシとバーニーズのメンバーになって「太陽野郎」などを歌っていた (笑)。一方、キーボーは元OL。このヒットの後、「5年目の破局」がリリースされたがパッとしなかった (笑)。
1982.08. さざんかの宿 大川栄策 第25回日本レコード大賞・ロングセラー賞を受賞した演歌のヒット曲。テレビ番組に出演し、タンスを担ぐ特技も話題となった (笑)。
1982.08. 約束 渡辺 徹 日本テレビ系ドラマ『太陽にほえろ!』でラガー刑事として出演していた頃は、まだ痩せてました (笑)。レコードのジャケ裏には、中学生の時に同級生と交わした約束として、「お互い何か人にやれないデッカイことをやろう」と書かれていた。その友人は勉強して東工大に行ったが、渡辺徹は太りすぎていつの間にか身体が「デッカく」なってしまった。まあ、約束は果たしたということで…… (笑)。グリコ・アーモンドチョコレート・イメージソング。
1982.09. ガラスの花 高田みづえ 作詞・作曲は谷村新司。
1982.09. ホレだぜ!乾杯 近藤真彦
1982.09. 時代を越えて 紅麗威甦
1982.09. けんかをやめて 河合奈保子 ヤマタツのFM番組『サンデー・ソングブック』で、「けんかをやめて」は二人の男性が一人の女性を奪い合う歌詞なのですが、竹内まりやさんの恋敵はいったい誰だったのですか?」という質問に、「この曲はまだ知り合う前、そして河合奈保子さんに書いた曲なので勘違いしないように」と言って逃げていた (笑)。
1982.09. 長崎小夜曲 さだまさし 小夜曲と書いて「シティ・セレナーデ」と読む。イントロと曲調は今までのさだまさしとはうってかわってのAOR路線。タイトルもクリストファー・クロスの「ニューヨークシティ・セレナーデ」を意識しているのかもしれない (謎) 。
1982.09. 涙のBirthday ハウンド・ドッグ
1982.09. 夏をあきらめて 研ナオコ サザンもセルフカバーしている。第24回日本レコード大賞金賞、日本有線大賞有線音楽賞、全日本有線放送大賞優秀スター賞を受賞。
1982.10. 花梨 (かりん) 柏原芳恵 作詞・作曲は谷村新司、編曲は初期のアリスを手がけた青木 望。
1982.10. ドラマティック・レイン 稲垣潤一 稲垣潤一の出世作。イントロは来生たかおの「夢の途中」 (1981.11.) に似ている。作曲は筒美京平。
1982.10. 野ばらのエチュード 松田聖子
1982.10. Rockin’ In My Heart 矢沢永吉 ジョン・マクフィーの作品で、パイオニア・シェルフコンポーネント・プライベートCMソング。B面の「Why Did You Ever Go」は1983年1月に全米でリリースされた。
1982.10. Zig Zag セブンティーン/Gジャンブルース シブがき隊
1982.11. 冬のリヴィエラ 森進一 作曲は大滝詠一。
1982.11. 花ぬすびと 明日香
1982.11. 哀しみの黒い瞳 郷ひろみ フリオ・イグレシアスの「Natalie」のカバー。
1982.11. お前だけ I Love You 嶋 大輔 彼があるテレビ番組に出演していたときのこと。「ヤンキー」の語源は何か、というレポーターの質問に、「俺はツッパリだ。ヤンキーじゃねぇ!!」と答えていた (笑)。
1982.11. 好きさ好きさ好きさ 紅麗威甦
1982.12. めだかの兄弟 わらべ この時代は、欽ちゃんファミリーの全盛時代で、中でもこの曲は大ヒット。童謡のような曲調と、お遊戯のような振り付けが特徴だった。

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